武道空手研究会 ~武術・ダンス・東洋医学~

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苛立ち

29日で今年の仕事が終わった。
30日は家の掃除、そして地元友人たちとの忘年会があった。

休みに入り少し落ち着くかと思っていたが、理由は分からないがなぜかイライラしていた。
今年は仕事でも空手でも、新しい試みがたくさんあり充実していたと思うのだが、このイライラの原因はなんだろう。

B-FIELD山下さんとの武談にもある事だが、山下さんが武道を「現代派」と「古流」と言う枠で分類した。

自分は両方とも経験し、その長所と短所をよく知っている。
全ては取り組む人間にかかっている事だが、両方とものめり込むあまりに現実性を失う精神状況に陥りやすい。

「現代派」に熱中していた頃はルールの中とは言え、相手との全身全霊をかけた場面にも遭遇し、自己を知るいい機会であった。

が、その反面、力を思い切り相手にぶつけていく特性から、「いきおい」や「力ずく」だけでも通用してしまう事もあったりする。
それは粗暴で雑な精神状態になり易く、日常生活の上であらゆる「勘違い」を犯し易い。

「古流」をもっぱらとする様になってからは、自由に力と技をぶつけ合うと言う事が極端に減った。
二つの道場にかよう事で、かろうじて「試し合い」の稽古ができている状況である。

特殊な技術体系を学ぶ為、細かい部分の修練に偏る事が多くなった気がする。
それによって日常の体の操作でも応用できる様になり、得をしたと言う点もあるが、戦いと言う武術の本質からかけ離れている様で、精神的には決して満たされない。

技術だけでなんとかできる様にしようとする、なんだか「ずるい」精神になっている気がしてくる。
練習の中だけでの技術では、実際にはほぼ自分の思うとおりにならないものだ。
だから、できる範囲で「実際」に近い稽古が不可欠だ。

今思えば以前は、その様な発想に凝り固まり、痛い思い、つらい思いをせずに強くなろうとしていた時期があった。

自分の痛みや辛さ無しに敵を制圧しようとなどと言う発想は、相手の痛みが理解できない歪んだ精神になる。
また、何もできないのに「自分はできる」と勘違いをした妄想家に落ちぶれる。

その様な者に成り下がる危険性を自らよく分かっているから、納得のいく稽古ができていない事に苛立っているのだろう。

仕事や家庭など、様々な問題はあるが、チンタラした稽古をやっていては精神の安定さえ得られない。
自分を全開にして挑戦していないと何も手につかん。

納得のいく稽古とは、時間を多く費やすだけではない。
体力的な限界を求めるだけの自己満足でもない。
ひたすら相手と体を壊しあう様なものだけでもない。

強いて言えば「質のいい組手」、「組手から還元される基本稽古」か・・・・。

武道と言うものをきっぱりと止められたらこんな事も無いのだが。
とても止められそうにも無い。

自分をもっと「現実」にさらす。
自分のできない事を正確に把握する。
何もできないのに、できるつもりになった者が一番いやだ。

何事にも無意識的に「逃げ」をしてきた自分。
そいつだけは、もうどうしても許す事ができない。

40歳が近くなり、人生で残された時間を肌で感じてしまう。

このあたりの壁を乗り越えられないと、武道で楽しめる様な境地には到底たどり着く事はできない。

このようにあがくのも絶対通らなければならないもの。
来年は腰を据えてコイツに取り掛かっていくか。
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武談・第2弾!!

早くも第二弾を掲載できる事となりました。

今回は私からのお題です。
この件に関しては、以前から幾度となく山下さんとの会話で出てきた事ですが、
改めて山下さんに問いたいと思い、挙げてみました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<キダ発のお題>
武術は護身術としてもすぐれている


<木田のアンサー>

<木田のコメント>
まず私が「武術」と定義するものは、前の武談で山下さんが「古流」と定義したものを指すことをお断りします。

「現代派」の武術に比べ、直接打撃のある試合は少ないですが、武器術も範疇に入れたスキの無い動作を身に付ける事を重要視するものです。
この伝統的・古流的な武術を指すならば、護身術としても優れるはず、だと思います。

武器の使用も考慮した技術体系ですので、危険な状況を多く想定し、それに対応すべく心身を開発するものです。
とするならば、当然「危機」に関するセンスも磨かれると思います。

スポーツ・競技も大変厳しいものですが、ルールがある以上ある程度「守られている」のは否めません。

武術を学んでいたため、「強盗から逃れられた」、「泥棒を取り押さえた」などのニュースを耳にする事もありますが、身体技術的な事で対応するのは、あくまでその危機的状況から逃れられなかった場合に限りすべきで、現代ではとにかく逃避・回避する事が先決でしょう。
「君子危うきに近寄らず」ですね。

技術を学ぶ上でも自然な感覚や本能を充分引き出せるシステムが存在するもの、
それが私の定義している「武術」なので、「危機感知能力」を向上させる効果が
あると言えます。


<やましたのアンサー>
 「×」
<やましたのコメント>
私はオクビョウでケンカも弱い人間ですから、「護身」という言葉にはたいへん
シビアです。
そのため、今回は×を選びました。

さて、私は護身をふたつの種類にわけて考えています。
まずひとつは“危険を未然にふせぐ”ための護身。
これは医療でいえば、病気にならないための「予防医学」のようなものです。
そしてもうひとつは“遭遇してしまった危険から脱出する”ための護身です。
これは医療でいう「治療」にあたると思います。

結論をいいますと、“身を護(まも)ること”を追求する場合……私は“危険を
未然にふせぐ”工夫の方が99パーセント大事であり、“遭遇してしまった危険から脱出する”ための備えというのは、ほとんど意味がないと考えています。
私のつまらない過去の経験からすると……たとえ体力や修練の差でこちらが有利であっても、手段を選ばない人間に不意をつかれるとまったくのお手あげになって
しまいます。

ひょっとしたら……映画『ダイ・ハード』の主人公のように……達人レベルともなれば、どんな危機に直面しても解決が可能なのかも知れませんが、私ごときのレベルですと、“危険にまきこまれない”ように全力をつくすのがベストのようです。

今回のお題に×と答えた理由は、そういう「護身の実際」を理解するのが、武術の稽古ではあんがいムズかしいと私が感じているためでした。

また、キダさんの指摘された「危機感知能力」がそなわるほどに稽古の進むヒトというのは、ほんのひとにぎりで……たいていは私のように「生兵法」でイタい目にあうのがオチだという考えから、否定的なアンサーを示した次第です。

ちなみに、生兵法で生キズがたえない人間は、“おのれの短気を治療するのが一番の護身”と心得るべきだと思っています。


<出題者(キダ)の総括>
山下さんとは反対のアンサーとなりましたが、「危険」と「安全」と言うものを
よりシビアに広い観点で考えておられるのだなぁと感じました。

また山下さんから予防医学の話が出て、私自身が東洋医学をもっぱらとする者で
すが、医療と武道の新たな視点を頂いた様です。

また、私の師は「武技を身に付ける前に”武運”を身に付けろ。」と言われます。
「武運」とは、日常の生活での失敗を少なくせよと言う様な事です。
これは昔日の武芸者や侍たちにとっては、最も重要な事であったに違いありません。

人は焦ったり、欲張ったりすると、失敗をする事が多いようです。

小さな失敗ならまだしも、事故にあったり、不注意で怪我をしたりと、身体に関
わる事や、大きな財産(信頼なども)を失う様な事があってはなりません。

ちょっとの「得」を取ろうとするばかりに、見落としが生じて大きな失敗につながる様な事があってはいけません。

それには常に「自然体」で「理性と感性の切り替え」をスムーズに行える様にしておかなければならないそうです。
無駄な欲張りを捨てて「自然体」でありたいものです。

※今回も第1弾同様、B-FIELDの掲示板にも同じ内容のものが掲載されております。

師の絶対なる力

今日も子供を寝かせた後、キッチンの前のフローリングのところで一人稽古をした。
いつも自分が練習する場所だ。

目の前には、子供が寝ている部屋。
一つ向こうの部屋では、洗濯物をたたみながら妻が録画しておいたドラマなど見ている。

生活のパターン上、いつもそうなってしまう。
帰宅して食事をし、風呂に入り、そして子供を寝かしつけた後で始まる。
特に寒い冬が苦手な自分は、夏以外はこの場所で練習する事が多い。

練習と言っても我が家は2階で、1階の両親(二世帯住宅です)にもうるさいだろうし、なんせ家がいたむので、激しい踏み込みを伴わない動きしかできない。

まぁ、「浮身」など床の反作用を使わない様にするのが当流の原則であるから、その点ではあまり困る事はないのだが。

今月も宗家の誕生日の時しか道場に行けなかった。
仕事の締め日と同日の道場忘年会もあやしくなってきた。

こんなに道場に行けていないのに、やる気が失せずに継続できるのは、師匠の絶大なる実力のためだとつくづく思う。

わが師は70歳も近くなったと言うのに、その破壊力、反応速度、変化といずれをとっても、
「殺される!!!」
と覚悟してしまうほどである。絶対にかなわない。
もとより小柄で視力が弱く、体格に恵まれていないのに。

しかし、あわよくばとも思うのだが、てんで子供扱いである。
そんな師とめぐり合えた事を本当に幸せだと思う。

「毎日やる事がある」それだけでも幸せだ。
圧倒的な「力」を見せ付けてくれた宗家に感謝。

武道や格闘技に限らず、圧倒的な実力を持った師を持つ事は、成長する上で不可欠なものであろう。
学者であれば、圧倒的な学力と発想力。医者であれば圧倒的な診断力や治療技術。

思うに「師」と言う存在は、その分野において圧倒的な実力を示してやらねばならないものだろう。
口だけで指示、指導する者を「師」と思えるだろうか。

また、こうした師を持たずに、人は成長する事ができるのだろうか。
個性によって様々だろうが、自分の様なバカは、端的に物事を見せてくれないと理解できないし、前にも進めない。
だから、そう思う。

人間として完璧でなくてもいい、せめて自分の求めたものに対しては「力」を見せ付けて欲しい。
そう思うと、わが師は師たる上にあまりある才能を持った師である。
その分、末席に身を置く者として荷が重い気がしていたが、今は自分の限界や個性をわきまえ、自分の器に合った役割を果たしていこうと思う。

絶対的な目標が存在する限り、その師が死んだとしても、その畏れは一分たりとも変わる事は無いだろう。

師としばらく会っていなくとも、自分の稽古に対する執着心は一向に衰えない。
きっと、遠い遠い世界がある事を知ってしまった冒険家などの心境と同じ様なものだろう。
知ってしまった以上は、目指さずにはいられない。そんなところか。

さあ、そろそろ子供のとなりで寝るとしよう。

武談 第1弾!!

山下さんからのお返事を頂戴しましたので、さっそく記念すべき第1弾を掲載したいと思います。

なお、今後も山下さん主催のB-FIELDの掲示板にても、まったく同じもので掲載がある事をご了承下さい。


今回は山下さんからのお題でスタートです。
それではどうぞ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Webディスカッション
○×武談(1)

<はじめに>
木田さんとのメールのやりとりで“お互いの負担にならない形式のウェブ対談はできないものか?”という話が以前からありました。
そこで今回、私の提案で“「○×方式」の読みものをやってみよう”という運びになりました。
これは、まずテーマに対するおのおのの答えを○か×かで示すというものです。
単刀直入な出題に“○か×か”というシンプルな回答をするのですから、わかりやすい分、たくさんの誤解をはらむ危険があります。
そこで○×の後に、多少のコメントを加えることにしました。

今回は私の出題でスタートします。
解釈のムズかしいテーマ、一見わかりきっているようなテーマを、あえて○×で示すことによって、意外な発見や新しい考えを生み出す機会が得られればと思っています。


<やました発のお題>
「古流武術」と「現代武術」には本質的な違いがある


<やましたのアンサー>
 「○」
<やましたのコメント>
この出題は抽象的すぎてあまりいいお題ではないのですが、よく話題になるテーマですのでとりあげてみました。
そして、ちょっとムリをして「○」の答えを選びました。

まず「古流」と「現代派」の定義というのは武術家それぞれで、たいへんあいまいです。
はじめにお断りしておきますと、私の場合、“成立時代の古い、新しい”という時代考証による区別はしていません。

さて、剣術などの武器術においては、古流というと“真剣をあつかった……殺人を意識した技術”というイメージでとらわれることが一般的に多いと思います。
これに対比して現代派を定義すると、“真剣を封じてスポーツ性を強くしたもの”といえるでしょう。

この違いから、“古流武術は内向型、現代武術は発散型”という見方ができると私は考えています。
どういうことかといいますと、現代派の武術は危険性の少ない武具・技・攻撃箇所をルール化することで、思いっきりパワーをかけることが可能になっています。
そのため、体力を発散することを楽しんだり、パワーの発揮を尊ぶ傾向が強い気がします。

一方、古流武術は、危険性の高い武器をあつかう稽古のため、どちらかというと「力の発散」よりも「スキのない動き」を尊ぶ技術体系にあって、“ムダを排除した動きを追求する”のを楽しむ傾向が強いのではないでしょうか?

もちろん、実際にはこの通りでないのですが、言葉のイメージを元に考えると、上記のような違いが指摘できると思います。


<キダのアンサー>
 「○」
<キダのコメント>
私も山下さんと同様、現代武術と古流武術には大きな相違があると考えています。
○×を論じる前に、両者の定義もしっかりしないといけないとは思いますが、上記の山下さんのアンサーにもある様に、“一般的イメージ”をもとにして考えました。

ずるいかもしれませんが、○を選んだのは山下さんとほぼ一致した理由からです。

私自身、フルコンタクト空手からシュートボクシング、のちに現在の二聖二天流柔術憲法と琉球古武術。また、山下さんと同じ居合と剣術の道場に通った時期もありました(山下さんの後輩です)。

要するに、現代派をある程度経験して、古流に移行した訳です。

お題を論じる事から脱線しますが、私が両方経験して思うのは、山下さんが提示した「発散型」と「内向型」と言った方向性に偏ると弱体化すると言う事です。

主張がはっきりしている分、現実からどんどん離れてしまう事がよくあります。

スポーツ格闘技の世界でも、相手が凶器を持っていたとなると、通用しない技術があり、古流においても、武器を使うから試しあい(試合形式の稽古)はしないとなると、「できたつもり」におちいる。
これらは純粋に私自身の経験からくるものです。

その間を埋める努力が武技を学ぶ上で最も重要なものかと思います。
これには経験とセンスが必要だと痛感いたします。


<出題者(やました)の総括>
キダさんは現代格闘技と古流武術の双方を学ばれている方なので、間違いなく「×」のアンサーを選ばれると思っていたので……ちょっと意外でした。
それはさておき、“双方を経験されている”キダさんのご意見にはさすが説得力があり、ご指摘された注意点はたいへん参考になりました。
“「経験」と「センス」(が大事)”というコメントがありましたが、たしかにこれは稽古を方向づけるのに欠かせない要素ですね。

さて、次回のキダさんからのお題ですが、今から首を長くしてお待ちしています。

山下さんとの武談!!

急に決まった事なのですが、このたびB-FIELD代表の山下さんとブログ上で、武術に関する対談をする事になりました!

ただ今、お題の意見を交換中で、山下さんの確認が取れればすぐに掲載したいと思います。

山下さんがからめば、きっと面白いものになると思います。

B-FIELD
http://bfield.seesaa.net/

シャール ウィ ダンス?〜社交ダンス初体験!!〜

本日なんと生まれて初めて、社交ダンスを体験して参りました!!

仕事が絡んでの事なのですが、場所は勤め先の治療院のある中央区の保健センター。
なんでも、障害者のためのダンス教室があると聞き、当院も介護予防の体操教室やデイサービスセンターで高齢者の方々に医療マッサージ、運動療法などしているので、
「それは絶対に見なくては!」
と仕事を少し早めに副院長先生にお任せして、いざ会場へ。

小学校の体育館的な作りのお部屋で、50〜70代の男女の方々が、15人ほど集まっておられた。
「ん、一般の方ばかりだな。」

代表者の方に訪問した理由を話したら、喜んで迎えて下さった。
本日は一般の方のクラスで、障害者クラスは別日程だそう。

こちらの先生は女性で、もう十数年も障害者へのダンスを通じたリハビリや機能訓練を行ってきた。

音楽とダンスによって心を開き、それにより不可能と思われた動きもできる様になる事がしばしばあるそうで、その素晴らしさと感動を初対面の私に熱く語って下さった。
自分たちも、高齢者のリハビリや機能訓練は、心が開かないと(自ら前向きにならないと)、かなり困難である事を痛感している。

そして会場におられた女性が私を見て、
「なんだかヒップホップのダンスやる人みたいね。」
と言われた。
まぁ、私服なのでそんな格好なのだが、おそらく60代後半?であろう方からヒップホップなる言葉を聞き、
「う〜ん、今ドキの熟年層はなかなかナウいなぁ。」と感心。

先生からも「ダンスやってらっしゃるの?」と聞かれ、
「はい、ブレイクダンスとソウルダンスを・・・・。」と答えた。

その場ですぐに、
「ちょっとやって、やって!わ〜!パチパチパチ・・・・。」
と皆さんに乗せられ、少々やったらやはり、ウケました!
(あぁ、またしてもアソビがこんなところで役立った。真剣にアソビやってて良かったなぁ。)

その後、早速準備体操から参加させられる事に。
柔軟体操で、またしてもマタ割り全開でツカミはOK。
あまりほめられた事の無い人生だったのでヨロコビ一杯。

その後、腕や足の基本動作から、モダンのステップへ。
ワルツやタンゴ、5種類ほどのステップを曲に合わせ行う。

基本の姿勢作りでまたほめて頂く。
「はじめてなのに、形だけでもよくできるわね!」
(ほんとにブレイクダンスしてて良かった。真に受け過ぎ?)

基本姿勢は普段やっている空手と違い、腰をかなり反り、みぞおちを引き上げ、首を伸ばし、つま先重心で、膝をピン!と伸ばす。
この状態で踊ると、腰の捻りや腕の動きが胸の動きに連動して、非常に動き易く理にかなっている事を実感。
(やはり社交ダンスも一から体系化されているなぁ)

空手では真ん中重心で膝の力を少し抜いた状態がほとんど。
居着かない様に地面を強く踏む事も無い。

その後、ラテンのステップへ。
チャチャ、ルンバなど5種類ほどを続けてレッスン。

特にチャチャはソウルダンスのステップである「ソウルチャチャ」と基本がまったく同じで、そのお話しをすると、皆さんで一気にソウルステップ・レッスンに。

その好奇心と勢いに自分の方がタジタジである。
熟年の方々がソウルチャチャに興じていた光景はとても新鮮で、自分が元気になっていくのが感じられた。

また、女性の基本姿勢はかなり、頭部を後ろ斜めにそり、遠心力もかかるので、かなりハードだと思った。

基本動作から基本ステップと続けて2時間レッスンを受けた訳だが、最近調子の悪かった首と肩が治っていたのには驚いた。
それと、釣り船に乗っても船酔いしない自分が、帰宅後、少し頭がフワ〜っとする様な感じがするのも予想以上に大変なのだと感じさせる。

たまに違うジャンルの身体操作をすると、体がリセットされると思う。
普段、偏りがちな動きの矯正をしてくれる訳だ。
また新しい身体操作のための手掛かりをたくさん頂いた。

武道は武道だけの練習では、上達するのは非常に難しいと自分は思う。
忙しい現代人は、古人よりも感性がにぶいであろうし、現代においては命がけで稽古三昧と言う取り組みもなかなか難しい。

克服する為の工夫が必要だ。
自流の武道だけでなく、他流に出稽古に行く、他流の武道セミナーに参加する、自力で研究する、また他ジャンルのスポーツなどをする。

初心のうちから、あまりあちこちに落ち着きが無いのは害になるが、ある程度の経験と技量に達したら、壁を破るのは外にも目を向けていく事だと思う。
宮本武蔵も「五輪書」の中でそう言っている。

当流の宗家も様々な運動と格闘技を研究された。
もちろん、自流の研鑽をしながら。
また、既存の稽古法、鍛錬法以外に、独自の稽古法を多々編み出された。
それらは本当に技術を身に付けるのに、より入り易くなるものばかり。

自分はさらにそれらを噛み砕いたものを独自に研究している。
今回の社交ダンス体験でも、たくさんの「あっ、そうか!」を頂いてきた。

また確かに新しい体を手にいれた。

先生、ありがとうございました!
次回の障害者クラスにも参加させて頂きます!!!

「みっか坊主日記」

いつもお世話になっている『B−FIELD』代表の山下さんのブログが面白いので、”反則”ですが、そのまま引用させて頂きました。

「みっか坊主日記」と言う山下さんのブログです。
彼はもともと文才があり、またサービス精神に富んだ人なので、いつも楽しみにしていいます。

武道と世の中の様々な事を交え、彼独特のセンスでいつも考えさせられ、笑わせて頂いてます。

では以下、山下さんの文をお楽しみ下さい(ご本人了承済み)。
12月14日の日記です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「寸止め(すんどめ)は美しい」  
●以前、“日本人の「寸止め」という美意識”についてふれた本を読んだことがあります。

●ある日本映画で、「戦争から帰還した夫」と「彼を出むかえる妻」が、遠くからお互いの姿に気づいて駆けよるシーンがあったそうです。
外国映画なら、そのまま抱きしめ合ってキスをするトコロなのですが……この夫婦は間近までくると、ナゼかスッと感情の潮がひいたかのように立ち止まってむかい合うのです。

●奥さんは“お疲れさまでした”とアタマをさげ、また、それを見つめる夫はだまってうなずく……それだけ。
“この「寸止め」のセンスこそ日本人の美意識ではなかろうか?”と、この著者はコメントしていたのですが、“なるほどなぁ、たしかに邦画にありがちの情景だし、感動的でもあるなぁ”と、私は深くうなずきました。

●さて、私が思うに、日本の伝統武術にも「寸止め」という特徴があげられます。
武技を単に「舞踊化」させたり、あるいは「競技化」させるのではなく、「寸止め」という形で残しているのは、どうもわが国が顕著のようです。

●「寸止め」をおこなうには、このままいけば“たおせる”(あるいは“たおされる”)という高度な「見切りの技量」が必要です。
それは“結果が見えたのならば、あえて結果を出すまでもない”という知性も要求される世界です。

●また「寸止め」で“たおせた”という場合、(結果を出していない以上は)実際にどうなっていたかわからないという「不確定要素」が残ります。
それが“さらなる完璧をめざす”ためのわきまえ……「謙虚さ」への道になっている気もします。

●かくも美しい「寸止め」ではありますが、現代では軟弱武術の常套(じょうとう)手段と目されているフシがあります。

●まぁ、近ごろは邦画でもラブシーンが濃厚ですし……「寸止め」が、受け入れられない時代となっているのかも知れません。
かくいう私自身も「なぐり合いの話」や「ジューシーなラブシーン」が大好きですので、猛反省しなければと思っています。

物事の良し悪し

物事の良し悪し。
これはその人にとっての良し悪しの基準があり、その対象のものをどう理解しているかで決まる。

個人の認識により、良くもなれば悪くもなる。
人が「あそこのラーメンうまいよ!」と言っても、自分にとってはそうでもない事はよくある。

治療などもそうだ。
まず「治す」と言う事を、治療家がどの様に認識しているのか。
また、受けての方が「治る」と言う事をどの様に認識しているのか。

何でもいいから今すぐなんとかしろと言う希望。
少しづつでもいいから再発しない様にしっかりと治療するのが希望。

様々な認識があり、その数だけ「いい治療」が存在する。
自分の中での治療指針は明確なのだが、非常に難しい仕事についたものだと思ってしまう。

それらに比べ武道は単純明快だ。

武器術などでは別問題だが、実際に手合わせしてみれば分かる事と思う。
自分自身が求めていたものと合致した『強さ』を持った師を選べば良いのである。

自分自身も、今までそうやって師を選んできた。

良いもの悪いものが、これほどまでに相対的なものである世の中で、唯一はっきりとそれを分からせてくれるもの。それが武道。

自分の中での『モノサシ』がはっきりすると言う事は、心が非常に安定する効果がある。

この安定感を生活のエネルギーに変え、なんとかやってきた。
それでも、まだまだだなぁ。

育児から武道を考える

本日、娘が通う幼稚園の「クリスマスお遊戯会」に行って“ビデオ係り”を勤めて参りました。

奥さんはお遊戯会の役員に任命されていたので、通常より早く子供と出かけていきました。
私は演目が始まる頃に出かけて、任務終了後すぐに帰宅。
日曜の朝からつらいなぁ。

踊りの振り付けで、腰を左右に振る動きが、娘は異様に目だっており、
「ソウルダンス仕込んでおいて良かったなぁ。」
腰のスイングがとてもファンキーだったので、みんなと左右の振りが逆になっていたのは帳消しです。
こいつも自分が気持ち良く踊ってればイイと言うタイプだな・・・。

ここの幼稚園、何でも一生懸命なのはいいけど、あんな手の込んだ衣装やら何やらで、とても幼稚園のお遊戯会とは思えない・・・のは世代の差のせいか。

私が幼稚園児だった頃、紙工作のお面と白いタイツ、そして蝶ネクタイぐらいをそろえただけで、親が何日も前から衣装製作を手伝ったり(役員の人だけですが)、次の出番の子たちの誘導とか、そんなのなかった気がします。

たまにではあるけど、運動会、授業参観、剣道参観、体操参観、子供の製作物展示会、そしてお遊戯会と、私が覚えてるだけでもこれだけあります。
その他にもあるはずです。
勿論、私は運動会とお遊戯会とあと1回くらい参加できるかどうかってところです。

それでも「論語」や「百人一首」の暗記などもやらせてくれるので、そんなところは嬉しいと思います。
「素読」を子供にやらせるのは、日本の伝統的教育の復活!みたいでいいですね。

子供なんて訳分からない事がほとんどですから、本当に良いものは「丸暗記」で、後々意味を知れば役に立つでしょう。

武道にしても、子供の内は伸び伸びやらせるのと同時に、大切な基本などは意味が分からなくてもいいから、ただやらせるに付きると思います。

話は変わりますが、先日新しい育児書を購入し、一気に読んでしまいました。
これは有名な小児科の「毛利 子来(もうり たねき)先生、」の著書(育育児典)で、マニュアル的でなく、変化する現状にどう対応していくかが、非常に現実的に書かれていました。

先生の真剣な想いが詰まっている様で、久々の一気読み。
その中で、
「個性を尊重した上での協調性」
と言う提言がありました。

個性が尊重されてこそ、「ここは仕方ないからみんなに合わすか・・・。」
位の妥協から始まり、自分が認められているのだから、相手も認めなければ、と言う発想に行きつきそうな気がしました。

以前は没個性で、みんなで頑張る事が尊重された時代。
戦争の時代はそうするしかなかっただろうし、その恩恵で高度な経済成長を成し遂げた。
しかし、現代は利便性や効率性、生産性などを追及した結果、個人の生活から地球全体にまで負担がかかり、もう限界かなと思ってしまいます。

武道がこれも当てはまるところがあると思いました。
みんなで一緒に!!と言う発想で、大きな組織や団体に成長した武道がたくさんあります。
しかし、それが今どうなっているか。

ある年齢まで一生懸命やって、さっさと引退して指導のみの指導者になったり、またまったく関わらなくなったり。

そんな事では本当の技術を残す事はとてもできません。
本当の技術とは、年齢的なものでそうそう衰えるものではなく、かつ日常や他の芸事まで応用範囲が広いものです。

その生きた証明が、私の師匠です。

いいものは受け入れるべきなのは当然ですが、私が関わる空手界も、外国人選手が試合技術のコーチに来るなどと言う現象が起きています。
もちろん外国の方でも本物の技術を身に付ける事は不可能ではありませんが、いわゆる「大量生産型」の技術なので、体格や基礎体力に勝った外国人には、日本人が勝てなくなってきている現状です。

東洋の伝統技法だから「ありがたい」と言って、現実に厳しい外国の方々がいつまで受け入れてくれるでしょうか。

大量生産型だからこそ、普及し易いと言う利点があるのも事実ですが、それを追い過ぎてしまったら・・・でも大きくなった流れは、行き着く所まで行かなければ止められない様です。
そんな現状だからこそ、伝統的な遺産を保存する活動を続けていきたいと思います。

現状は残念な部分もあるけど、否定はしたくない。
その恩恵も、どこかで自分が受けているはずだと思うので。

自分は「治療師」、「父親」、「空手を学ぶ者」などの顔があります。

役割や肩書きに、すでにその果たすべき目的が含まれているはずです。
私は「自分なりにやればよしとする」様な考え方は好きではありません。
でもまぁ、趣味と割り切っていたら別問題ですけど、日本の伝統文化に関わっておれば最低限のレベルは保持しないと、海外交流の時に恥です。

日本の素敵な文化には責任を持ちたい。
日本だけでなく他の国においても、文化と言うものに携わる事は、個人だけの問題ではないと思います。
すべての国の文化に携わる人を尊敬します。

子供にも自分自身をしっかり生き、そして人を否定せず、協調しなければいけない部分がある事を知ってもらえたらと思います。

空手をやるんだったら、空手の技術にこだわるべき。
医者が医学技術に怠慢だったら・・・・それと同じ事。

真摯に追求すれば嫌でも現実に直面し、「謙虚」や「没我」、「自他との共存」などの精神的目標はそうしなければならない様になっているもの。
技もできないのに、先に精神論がきちゃうと歪んだものを生じます。
また理想を追い過ぎても同じ事。

多少、自分が強くなってきた時に、より強い人にやられると
「自分はまだまだだな・・・」
と思い、調子に乗る事の愚かさを知った過去の日々。

とにかく現実的であれ!と自分に言い聞かせます。

おそるべしダンサーたちの身体能力

昨晩も遅い帰宅でしたが、週末は娘の幼稚園の「クリスマスお遊戯会」があり、ビデオテープが無い事に気付き、24時間営業の某ディスカウントショップへ買い物へ出かけました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その帰り道、またJR某駅の近くに行ってみました。
「またダンサーの子たち集まってるかな。」

いました、いました。
今夜も元気に踊っています。

主にブレイクダンス(くるくる回るアクロバティックなもの)、やロックダンス(きびきびと指をさす様な動作のもの)などを練習していました。

こういう若い子たちを見ていると、自分も路上で踊っていたのを思い出します。
昔を思い出し、元気になってきます(ジジくさ〜)。

しばらく、みんなの華麗で気合あふれるダンスを見学。
その内、自分が得意なアニメーション(ポッピング。エレクトリック・ブギー。ロボットや波の様な動き)を教えてくれないかとの御希望があったので、基本から少しずつ一緒に練習してみました。

そうしたら、私が約1ヶ月ほどかかって修得したハンド・ウェイブを言ったその場で、即コピーしてしまった「ユウタ君」。

ちょっとシャクにさわる感じ。
まぁ自分はもともと覚えが悪い方で、ダンスの経験まったく無しで初めて教わったのが、難しいエレクトリック・ブギーだったので、無理も無いとは思いますが、この後も首や胸、膝の動き、ポッピングと呼ばれる一瞬だけ筋肉を
「ガチッ!!!」
と固めるテクニックなど、その場でかなり正確に再現されるので、自分のかけた時間と比べて、驚嘆です。

でもこのユウタ君、自分がいろいろ紹介していると、
「あっ、でもやるならちゃんと覚えたいんで、一個一個確実にやってきます!」
と学ぶ姿勢がすでにプロです。

う〜ん、若い世代に古き良きものをやってもらえれば、うれしい限りです。
このユウタ君、実はボクシングのスーパーバンタム級日本ランカーで、試合などもテレビで放映されています。

運動神経が良いだけでなく、自分の様な医療関連の者じゃないとあまり知らない解剖学、運動学的な用語を使って
「あっ、これは骨盤を前傾後傾させる感じですね。」
「ローテーターカフ(肩のインナーマッスル群)のトレーニングの要領ですね。」
君はいったい何者?

(ハンドウェイブ練習中のユウタ君。目じりの傷が生生しかったね。イイ男なんだから気を付けろよ〜。スパーリングでもワセリン塗っといたらどう)
聞くところによると、ボクシングのトレーナーさんなどから、その様な運動学的知識を吸収しているらしい。
頭が下がりますね、その若さで。

あっ、でも自分も高校の時、グローブ空手をやってたので、整形外科やスポーツ障害の本を買って調べたりしてましたね。
自分で膝にテーピング練習したり。

それにしてもこの様な運動神経が良く、勤勉で実戦経験のある子が、伝統武術のテクニックを学んだとしたら、すぐに脅威となるのでは・・・と想像してしまいました。

でもその様な事が多くなれば、実にうれしい限りですね。
どんどんやってもらって、一人でも多くの人に楽しんでもらいたいです。

来たれ!!
実戦格闘技経験者!
伝統武術の世界へ!!!

その他、いつものメンバーも皆元気です。
2005年度の全国規模のブレイクダンス大会の優勝者で、ダンスインストラクターの「ダイモン君」も華麗なダンスを見せてくれます。

ダンスマニアとしては、とても目の保養になりますね。
また武道ばかりでなく、他ジャンルの身体文化に触れるのはとても感性がかきたてられます!

「ようし、オレもがんばるかあ!」
と若い子らの素晴らしいモチベーションのおすそ分けをいただき、今日も満足にしめくくる事ができました。

明日は休日でも、午前から自宅に患者さんが来られる。
誠心誠意、治療にはげもう!!

ダイモン君、きみも遅刻するなよ〜。

(ダイモン君のフリーズ。よゆうな顔です。みんな若くてかっこよくて、運動神経バツグン!もう歳だと再確認。涙)
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