武道空手研究会 ~武術・ダンス・東洋医学~

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たわいもない一日

最近、と言ってももう何年もだが、相変わらず道場になかなかいけない。

組手は日曜の琉球古武術の道場でできているので、まあまあと言ったところ。
やはり働いている身には、土曜か日曜に稽古があるのはあり難い。

寸止め系の道場に出入りしたのは、こちらが初めて。
一応、「寸止め」とジャンル分けされる流儀の道場であるが、そこに集う人たちは多種多様。

他の格闘技を弊習する者あり、もとストリートファイターあり(笑)、自分が思っていた程「やんわり」としてものではなかった。
武器術だけでなく、思いの他良かったと思った点である。

とにかく見たり聞いたりする事より行動の数。
自分が接したものは、自分にしか分からないが、結局それしか自分のものにならない。
環境やコンディションの差など嘆く間に、自分の身になると思う経験、行動を積極的に行っていきたい。
それしかない。

朝から介護予防の為の体操教室、午後からは治療と、保険請求や様々な事務処理作業。

最近、頭が疲れている感じがするので、帰りに行きつけの両国のSOUL BARに行こうと思ったが、明日は朝から患者さんの予約が立て続けなので、自粛する事に(週末にするか)。

帰宅。
当然、子供はすでに眠っている。少し風邪気味なので、頬が赤い。
朝、子供のために作っておいた漢方薬の残量を確認。
この子は、出生後まもなく漢方を飲ませ始め、充分に母乳で育ったので、きっと強い子になってくれるだろう。

かえって自分の方が、高度経済成長期の現代薬品至上主義的な考えの世代の親に、薬をよく使われていたから、かえってよくなかったのではないかと思ってしまう。

力みを取り、正中線の感覚を出す為の調整体操。
武術的筋トレ。
チーシや鉄下駄、四股立ちでの様々な動き。

最後に柔軟をゆっくりと行いシメ。
武道ができるだけで幸せだとつくづく思う。

そして明日も携帯の目覚まし音の「カッコウの鳴き声」に起こされ、一日が始まる。
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      『二聖二天流稽古会』

2/10(日)午後13:00〜17:00 
2/24(日)     同上

上記の日程で江戸川区の体育館で私、木田実主催の二聖二天流稽古会を行います。
詳細はブログ内のカテゴリ「稽古会」をご覧下さい。
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職人?

宗家はよく
「自分は職人と言われるのは好きではない。」
と言われる。

その意味は、なんだか一つの事しかできないみたいな感じがするからだそうだ。
自分も確かにそう思う。

「一人一流」
とも宗家がよく言われる事。
皆、個性がそれぞれあるから、同じ流派の武道を学ぶ門下においても、皆それぞれに特性、特技がある。
これらを総動員して、武道を表現できれば「一人一流」になっていくのだろう。

宗家も「武道は感性を開発し、個性を開花させるもの。」と言われている。
ただし、その前には押さえて置かなければならない基本もあるし、また「自分」と言うものを正しく見つめる事も不可欠である。

結局、武道の技術の鍛錬を通して「自分」を確認していく作業。
より深く「自分」を考えていく作業。

相手がある。
自分の技術が通じない。
この様な時が一番、自分を考える時だ。

「なぜ通じない。」

その時々により、答えは様々であろうが、これは一生続く作業。
解決のヒントは全て自分の中にあると思っている。

自分は昔から人を笑わせるのが好きであった。
だが、伝統医学や伝統武術などに取り組み方が深まるにつれ、なんだか真剣と言うか深刻になっていた時期が長かったと感じている。

これは他人との接し方にも大きく影響し、いつのまにか「つまらない自分」になっていた様に思う。
2〜3年ほど前からこの事に気付き始めた。

先日、勤務先の治療院で、副院長が冗談で撮影した自分の体操紹介の動画が、「YOU TUBE」のおすすめ動画に選らばれた。

投稿して一週間ほどでその再生回数は2万を超えた。
自分としては、仕事や武道などに「おふざけ」を持ってくるのは抑えていたのだが、なんだか自分の抑えられていた一部が開放された様な気がして楽な気がする。

これも「自分」である事には間違いない。
自分の特性を知る、個性の開花と言う事はどの様な事なのか。
またどうすれば可能なのか。

「個性」と言う事について、もう少し考えを深めていきたいと思う。
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      『二聖二天流稽古会』

2/10(日)午後13:00〜17:00 
2/24(日)     同上

上記の日程で江戸川区の体育館で私、木田実主催の二聖二天流稽古会を行います。
詳細はブログ内のカテゴリ「稽古会」をご覧下さい。

感性と思い込みは紙一重

武道で大切な事は、感性だと宗家から言われていた。
感性で一瞬の状況を全体として把握し、その後に理性で確認、補正などするのだと言う。

確かに、感性の能力は常識を超えた一瞬の判断力や記憶力、運動能力などに現れる。
伝統医学でも、しっかりと基本を学んだ後は、最終的に感性の為せる業である。
この他にも感性としかいいようがない現象は多い。

自分も長い間、感性の世界に憧れ、感性を重視してきた。
しかし、それは「思い込み」であった事が多い様だ。

自分の様な偏り易い性格は、もともと思い込みが激しいタイプ。
これは感性だ!!と感じた(思い込んだ)もので失敗した事数知れず。

もともとが理性的な人なら、感性の重要性を感じてもいいのだろうが、
人のタイプによっては、よくよく注意しなければならないと思った。

これは基本的な人間関係にも、確実に当てはまる事。
感性だ!なんて思い込んで、周りの人に迷惑かけっぱなしであったなぁと今つくづく思う。

自分の場合は、全て「現実的に」がキーワード。
それで丁度いい。

「感性」なんて自由なもんだから、ほっとくと子供の様に勝手に飛び回ってしまう。

感性と言えど、現実に役立ってなんぼのもの。
現在の、現実の自分はどんななんだと。
何ができて、何ができないのかと。

鍼灸の大先生が言われていた事。
「伝統のシステムは基本どおりにきちんと学べば、必ず感性がひらめく様にできている。」

現在の空手、武道はどうか。
今一度、じっくり考え、取り組んでみたい。
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      『二聖二天流稽古会』

2/10(日)午後13:00〜17:00 
2/24(日)     同上

上記の日程で江戸川区の体育館で私、木田実主催の二聖二天流稽古会を行います。
詳細はブログ内のカテゴリ「稽古会」をご覧下さい。

「殺人と武道」〜 B-Field山下さんの記事〜

B-Field代表、山下さんのブログ「みっか坊主日記」に深く考えさせられたところがありましたので、そのまま引用させていただきます。

それにしても彼の洞察力には、いつも頭を冷やされる思いがします。

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「殺人と武道」  
●ベトナム戦争の混乱期に暗躍した日本人のノンフィクションを読みました。
主人公は多くの人間を殺しているのですが、印象的なのは、「戦場での戦闘」と「市街地での暗殺」では、精神的な疲労度がまったくちがうともらしている点でした。

●特定の人間をつけねらって……相手の自宅や帰宅の途中といった「日常の場所」で……殺人をおこなうのは、百戦錬磨の戦士でも並ならぬ罪悪感に責められるようです。
つまり「暗殺」は、不特定多数を相手に“ヤラなければヤラれる”という本能に根ざしておこなう「戦争」とは別モノだということでしょう。

●さて、私自身は、ヒトを殺すほどの度胸も冷静さも持ち合わせていません。
また、私の武道にしても、“殺人に対する洞察”はいちじるしく欠けています。
ですから、私の武道を“はたして本当の武道と呼べるのか”については、いまだに自信が持てないでいます。

●ただ、現代日本の武道場で、「殺人の実体」を理解するのは不可能だろうとも思っています。
武とは、それほどナマやさしいものではないはずだからです。

●しかし一方では……昨今の殺人事件などをふりかえると……“戦場での戦闘はできないけれど、特定の人間をつけねらった殺人はできる”という日本人は着実に増えている気がします。

●これは、冒頭で紹介した実話小説の主人公のメンタリティとは、真逆でないでしょうか?
時代が変われば、ヒトのココロも殺人も変わるのでしょうか?

●それはさておき……結局、いつの時代も「リアルな殺人」に近いのは、道場よりも一般の社会の方なのです。
この問題をどう受け止めるべきか……やっぱり、私ごときにはよくわからないでいます。


以下、山下さんブログへ木田が投稿したコメント

『かなりシリアスなテーマですね。
私も山下さんと同感です。
いくら直接打撃制の格闘技を経験しても「現実」の方がよっぽどおそろしい。
イキナリって事が多いですからね。全てが予測不能。
よく組手やスパーリング、ケンカなどが大好き、楽しくて仕方がない、などと言う人に会ったりしますが、そう言う人は
「本当に怖い目に遭った事ないんだなぁ。」
といつも思ってしまいます(一時はそう言う時もあるべきとは思いますが)。

ケンカなどの経験が無くとも、絶技を持った武道家と対峙した経験があれば、よほどニブイ人でない限り、理解できると私は思っています。』

「今」

現代は全てが便利になっている為、同時に多くの事を進める事ができる。
特に仕事などで思うが、何かをしながら、別の仕事も勝手に進んでおり、
それらをチェックしながら、目の前の事をする。

これは子供でも、老人でもそうかもしれない。
自分の知らないところで勝手に何かが進んでおり、大事な手続きなどを忘れていたり、
事前に情報を得られかった為に損をしたなど、よくある事だ。

同時に複数の事を進められると言う事は便利ではあるが、それだけ全てのものへの
チェックも必要だと言う事だ。

人間である以上、必ずミスは付き物であるし、人間の処理能力の限界を超えた
速度で世の中が動いている様な気がする。

現代に生きていく以上、それは仕方の無い事であるが、
「今」と言う時間を大切に感じたいと思う。

「今、朝飯を食っている。」
「今、子供を起こしている。」
「今、治療の準備をしている。」
「今、風呂掃除をしている。」
「今、空手の稽古している。」
「今、鍛錬具の手入れをしている。」

それらには、全て自分の想いが入っている。
いろんな事を考えながらしている。
忙しさに負けて、そんな日常の一つ一つの「想い」をかき消してしまうのはもったいない。

たわいも無い一つ一つの想いが積み重なって一生になると「言誌四録」か「菜根譚」で読んだ記憶がある。

また禅の書で読んだ句に、
「いまという いまなる時はなかりけり ”ま”の時くれば”い”の時は去る」
たぶんこんな句だったと思うが、なるほどと思った。

宗家も
「時間の概念にとらわれない。まだ来ない未来も存在せず、過ぎてしまった過去もまたそうである。存在するのは、”永遠の現在”だけ。」
と言われ、一瞬一瞬を見極めよと言う武道の核心を言われている。

「将来」、「計画性」なども重要であるが、
できるだけ「今」を味わっていきたいと思う。

稽古会連絡

昨日、PCからの返信不可能な方への連絡先として、私の携帯アドレスを掲載し、携帯へ御連絡頂きましたが、携帯からも返信エラーが生じました。

原因を調べて頂くか、まだ日が先なので、往復ハガキなどで対応して下さい。
ご連絡を頂戴して、2日以内にはお返事をかえす様にしております。
返事が遅く、ご自分かなと思った方は、こちらのブログコメントにでも投稿下さい。
こちらからのメール返信は不可能でも、ブログコメントには反映させられると思いますので。
何卒よろしくお願いします。

稽古会問い合わせについて

稽古会についてのお問い合わせを頂いた方の中で、何かのエラーで一部返信が不可能な方が見受けられます。

だいたい御連絡を頂いてから2日以内には返信をしております。

当方からの返信が遅いと思った方は下記の木田携帯アドレスへ御返信下さい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下に携帯アドレスを掲載しておりましたが、迷惑メールが来る様になりましたので、本日(2008,09,08)削除いたしました。

今後はPCアドレスのみの連絡とさせて頂きますので、ご了承下さいませ。

実戦的意識〜止める事の難しさ〜

今年の稽古はじめ(2007,1,06)で、宗家が全力で寸止めした、打ち下ろしのハンマーパンチ。
自分の下顎に当たり、すごい音をさせたが、何の傷も無く済んだのは、改めて非常に高度なテクニックであると本日痛感した出来事があった。

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本日は今年初めての琉球古武術の稽古の為、下総中山の神明館道場へ。

少し早めに到着すると、前半の空手(国際松涛館)の稽古の真っ最中。
稽古始めでもあったせいか人数も多く、組手の稽古に熱が入っていた。
恵下浄尊館長から挨拶もそこそこに、組手に参加させられる。

「いやぁ丁度いいところに来たよ、木田くん。ちょっとMさんと軽くやってみたら。」
こちらのMさん、昨年末に初めてお会いし、館長にいきなり組手をさせられた方。
館長はごっつい組手をする人に必ず自分を紹介して、組手を勧めて下さる(笑)。

そんな中の一人、中国から日本に来たS君。
彼はロシア国境近くの新強ウイグル自治区出身で、二十代の若者だが、自力が日本人とは違う様な気がするほどのナチュラルなぶつかり合いの強さを持っている。
闘争心も一級だが、また骨が硬いのなんの。

出身地の環境も多いに影響している事と思う。
非常に寒く、厳しい自然環境は人を強くさせるのか。
土地柄なのか、彼が作ってくれる中華料理は非常に辛い。
「木田しぇんぱい、これじぇんじぇん辛くないよ。」(いえ、もう舌がシビレてます)
塩も唐辛子も、日本とは使う量がかなり違う。
そんな彼は、寸止め形式の試合では、常に注意されてしまう様なファイトスタイル。

仕事がら漢方医学に関心の高い自分は、中国文化が大好きな為、彼ともすぐに仲良しに。
彼も日本で仕事をしており、日本人の女性と結婚、今では一女のパパになった。
家族ぐるみの付き合いである。

話がそれたが、「実戦技術の修得」(2007,12,02ブログ)にても書いたがこのMさん、IT関連のコンサルティングをなさっている頭の切れる方。
がしかし、私の4〜5才年上であり、「不良全盛期」の中、かなりのアブナイ経験をなされたらしく、雰囲気もある。

実際に組手をすると、一発一発が重く、確実に倒しにくる攻撃を無理矢理止めている様な感じである(笑)。

そんな訳で道場到着後、すぐMさんと組手をする事に。いやぁ、今回も激しかった。

ストレートなのかロングフックなのか分かりにくい軌道のパンチや、連打が素晴らしい。
中途半端な技術じゃ太刀打ちできないと思わせる。
また、実際の場において「トドメを刺す」、と言う非常に重要な要素を見事に習慣化させている。
武蔵も「底をぬく事」などと言い、中途半端に攻撃の手をゆるめると手痛い反撃を食らったり、最後の最後で勝敗が逆転しかねない事を戒めている。
自分の場合、ここが一番甘いところで、今回も痛感させられた。

相手の前進、攻撃の手を止めるには、またしても武蔵の言う「顔をあおのかす事」が重要だ。
顔面を攻撃するぞと言う意識で相手のアゴが上がり、姿勢を崩し易くするのである。
実際に顔面を攻撃しないと、相手の攻撃の手がゆるむ事は無い。

Mさんの様なナチュラルファイターには必須の「顔面攻撃」で止めにかかる。
しかし、そこは「寸止め」と言う形式上、やられたと言うのが相手に伝わっていないと、相手は攻め続けてくる訳だ。
自分はこの「間」を間違えた。

「先」を取ったり、カウンター的に顔面へ決めて、自分が止めた後でも、一拍おいてMさんの2,3発の連打がくる。
これは追い詰められた獣の様な、完全に絶命しない限り、反撃の手をゆるめないと言う、Mさんの過去の荒々しい経験を想像させる。
Mさんは全く悪気は無い。深層意識にまでしみ込んだ反応なのだろう。
実際、話していて非常に丁寧な方。

動きの中で(ここらでいいだろう)と、自分が勝手に一区切りつけてしまった時に、Mさんの直突きが飛んできた。
一旦一区切りつけてしまった後の動きはにぶい。
拳サポーターで右目をかすめられてしまった。
拳サポの一部が目に入ったか、視界を奪われた。
右目がぼやけてほとんど見えない。

こういう時もあるのだ、と自分に言い聞かせ続行。
しかし、この後またしても同じ過ちをおかしてしまう。

周りにも組手稽古をしている道場生たちで込み合っていた為、場所をずらそうかなと思っていたところにMさんの突き飛ばす様なかかとで蹴り込むサイドキックが左わき腹に。
転体(体捌き)で交わしたつもりが間に合わず、胸下辺りに浅く食らってしまった。
相当な勢い。まともに食っていたら・・・。

(う〜ん、もうちょっと厳しく前進しないといけないなぁ)
と思いつつ、体で打つ事に重点をおいて手腕の力をいっそう抜き、加速しやすくする。
自分から前進、Mさんがカウンターと取ろうと動いた時、自分が転体しながら右の鈎突き(フック)へ。
「あああーっっ!!すいませーん!!!」
Mさんの口元辺りに当たってしまった。

体でかわした後、腕はブラン、とした感じでかなり遅く、ゆるく出したつもりだったのだが(帰宅後、リュックから荷物を出してみたら、拳サポに結構血が着いていたのに気付き当たりの強さを再認識。その様な事が気になるので、拳面のクッションがやわらかく厚めのものを着用している)。

直突きと違い、軌道が曲線を描くフックやアッパー、打ち下ろしのハンマーパンチなどは、遠心力もかかっており、直線の様に往復運動させる事が難しい。

ピッチャーの体ごと加速する投球動作を、途中で逆方向にできるかをイメージするとわかり易い。

(だから体で突くと止めづらいんだよな〜。やりたくないな〜)
かと言って、現在の自分の実力では、ストレート、直突きばかりで対応できる様な相手ではない。
正中線のしなりと復元力、腰の切り戻しが組手で出る位に身についていないと、止めらんないよなぁ。

その後はしかたなく直突き系で、Mさんの前進を止めつつ、落ち着いたところにまた失敗。

決まったかな、と思った一拍後、安心しきって忘れた頃にやってきたかの様な肘打ちが、自分の左の頬に炸裂。
「ゴンッ!!!」
見事に顔をあおのかされながら、道場全体に響く様なデカい大笑いをしてしまった。

肘打ちが飛んできたタイミングも非常に面白かったのもあったし(そんなところで来るんだみたいな)、それほど遠慮の無い攻めをしてくれる痛快さ、爽快さがあった。
こんな組手に付き合ってくれる人とやったのは、久しぶりだったので。

顔面に肘を入れられ顔をあおのかせながら、大笑いをしている自分は相当にヘンであったと思う。
Mさん、私は変態ではありませんからね。

ともかく、いつ攻撃の手を休めるか、残心をどう残すか、「とどめを刺す」「底をぬく」と言う事の重要性、曲線系の突き技をどう「寸止め」するのか(実際は少し当てないと相手が当てられた事が分からないので、宗家は「寸当て」と言われている)。
また今回も様々な課題を残した。

いやぁ、勉強になったなぁ。
Mさん、本日も本当にありがとうございました!!
ITオンチなので、今度パソコンの基礎的な質問させて下さい。

10数分はやってましたかね。
終了後、Mさんからは
「いや〜、三倍疲れる。圧力が全然違うもん。」
との御評価を頂きましたが、「圧力」ってなんだろう。

前に前にとかけていく、プレッシャーの事だろうが、武道空手の原理からすると、脱力して落下運動にまかせて前進する感じなので、自分から意識的に攻め込んでいる感覚が無く、力強さ的な感覚もまったく無い。
が、自分から見れば宗家もそうである。

結局、自然落下を利用して居着かない様に動ければ、意識的な攻撃性を伴わずとも「圧力」が出るのだろうと思う。

先日、この身で味わった宗家の打ち下ろしハンマーの寸止め(寸当て)。
改めて「絶技」であると思い知る。
こんな突き技ができれば、あらためて「とどめを刺す」必要は無さそうですね(笑)。

自分もそれなりに加速して前進し、宗家も加速した動きの中で、当て止め。
しかも青アザにもなってないなんて。

宗家、すご過ぎますよ。

武談4

<○×武談とは?>
「○×武談」とは、ビー・フィールドの山下さんと二聖二天流柔術憲法のキダが、お題に対するおのおのの答えを○か×かで示すというWeb企画です。

単刀直入な出題に“○か×か”というシンプルな回答をするのですから、わかりやすい分、たくさんの誤解をはらむ危険があります。
そこで○×の後に、多少のコメントを加えることにしました。
解釈のムズかしいテーマ、一見わかりきっているようなテーマを、あえて○×で示すことによって、意外な発見や新しい考えを生み出す機会が得られればと思っています。
今回はその第4弾です。


<お題>
「流派、門派に伝統は不可欠である。」


<キダのアンサー>
「○」
<キダのコメント>
○と答えましたが、技術体系も師のものを変えずに行えば良いと言うのではなく、本当に技術を伝承すると言う意味でこだわりが必要であると思います。

私の師も常に「一人一流」と申しており、近代の達人の映像など見ても、「皆、武道の同じ原理を使っているが、表現が違うだけだ。」と言われています。
昔日の流派を起こした達人らの伝書などについても、結局同じ様な表現が多いとも言われています。

同じ原理を伝承するのにも、師と全く同じ稽古の仕方では上達できません。ある面で崩す部分も必要です。基本動作や形(型)なども、正確にやったり崩してやる事が必要です。

なぜなら、それらには不変の「理」が内包されているので、様々な方法で試し、自分の感覚で掘り起こす作業が必要だからです。

古人はその時代と必要性から、これ以上無い位に人間の心身開発法を最高度にまで高めたと思います。
基本の形が分かっておればこそ、崩す事が可能です。型や基本は大いなる遺産です。

そう言う意味で伝統は絶対的価値があると思っています。


<やましたのアンサー>
「○」
<やましたのコメント>
今回はキダさんとほぼ同意見のため、同じ話について、私なりの言葉でコメントさせてもらいます。

まず私は、伝統を「文化のDNA」というイメージで考えています。そして、親を持たない人間がいないように……伝統を持たない文化も存在しないと考えています。

これは、武術に関しても同じです。直接師について教わるのはもちろん、本や映像からヒントを得ることも先達の教えを受けたことになるワケですから……そういう意味では、まったくの新派、我流などは存在しないと思います。

このような理由から、“おのれの経験則”にこだわって“(伝統という)お手本から学ぶこと”をかたくなに否定する「我流主義」の認識は、あやまっていると思います。

学ぶべきことは素直に正確な形で学び、それをじっくりと検証しながら“おのれの経験則”を積みあげていくのが、理想的な稽古方法でしょう。

武術は「自得」が肝心ですが、自得にいたるには素養となるお手本も必要なのです。自得と我流は区別するべきでしょう。

それゆえに流派、門派には、伝統という膨大な学び……思想・様式・技術・しきたりなど……を意識して残し、伝える責任があると考えるのです。


<出題者(キダ)の総括>
今回は山下さんと同じく「○」との考えになりました。
これもやはり、一人で行う事の限界を感じたからこそ、この答えには到達したのでしょう。

歴史上、我流と見られる名人、達人もいると思われますが、現代よりも武芸が国防の最大の手段とされていた時代ですから、黙っていても他流の情報を得て、常に大いなるヒントを得ていた事でしょう。
その様な状況は、一人だけの発明とは言いがたいものです。

いつの世も常に既存の伝統があり、現代のものも将来は伝統となり、永遠に伝統は蓄積されていくのだろうと思います。

現代の私たちの世代は、途絶えそうな伝統文化を、ここらできちっと掘り起こしていく事が使命であると思っています。

「親を持たない人間はいない。」
山下さんの言われる様に、文化も同じであります。人から人へ。
自分らが武術から受けている恩恵は、諸先達のお陰である事に感謝しつつ日々稽古したいと思います。

先達が本当に伝えたかった事や、その道の本質をよくよく理解しなければと思いを新たにしました。

※当「Webディスカッション」は、山下さんのB-FIELDの掲示板「武術サロン」にも掲載されています。

稽古会について

稽古会の告知をさせて頂きましたが、あらためて私が主催する稽古会の趣旨についてお話させて頂きます。

目的は二聖二天流の技術の体感と体得ですが、その他に私個人が目指すところを以下にあげてみます。

1、あくまでも開放的に。
2、体を動かす事を楽しむ。
3、現実的な検証を常にしていく。
4、言葉で表現できるものは、可能な限り言語化する。
5、健康面を重視する。

特に「3」の為には、より良い鍛錬法を参加者の方々と考えていきたいと思います。
より正確に、より早く修得できる方法を目指していきます。

言うまでも無い事ですが、稽古にかけた時間の量と技術の向上とは、必ずしも比例するものではありません。
長年の経験があっても、ダメな稽古をしていればダメなままです。

私自身、その事を自戒して、少しでも良いものを残せればと思っています。

また、「4」についてですが、煙に巻く様なたとえ話でごまかす様な事は、私は絶対にしたくありません。
難解な身体内での現象といえども、可能な限りは言語化していくべきだと考えています。
情報を発信する側としての義務であろうかと思います。

また逆に、武道や武術は語り過ぎて、理屈に走るのも良くないですが、より理解しやすい形で示すところは示すべきであると思っています。

シンプルで良い場合と、複雑にして良い場合がある様に思います。

最後に「5」。
これは絶対ですね。
これは私が最も大事にしたい部分かもしれません。

ある程度、体を痛めたり、酷使する鍛錬も、個人のその時のレベルや年齢によっては必要でしょうが、現在の私はそれを求めていません。
その為、体力作りや激しさを重視する方には不向きであると思います。

しかしまた矛盾する様ですが、直接打撃制のジャンルの方の参加も熱望しております。
つまり、ある程度は「やる」と言う事です。
私も、もともとはそちらの出身でありますので、様々な意味で「不完全燃焼」は好ましくないと思っております。

その為にも、より武道として意義のあるものにする為、まず最初に取り組むべきは「顔面の攻防」
が不可欠ですが、安全面で最も問題をはらんだものでもあります。

これについては、色々工夫していきますので、楽しみにして下さい。
(組手稽古は強制ではありません)

また、武道としてならば「武器術」も当然考慮しなければなりません。
武器術を専攻されている山下さん主催の武学倶楽部との合同稽古もしたいと思っています。
やるべき事がたくさんあり、自分自身楽しみであります。

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