武道空手研究会 ~武術・ダンス・東洋医学~

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しかって良い時悪い時

娘が今年小学校にあがる為、しつけに関して口うるさくなっている様だ。

しかっても口ごたえをする事もしばしば。
言う事も生意気になってくる。

普段は一喝して終わりになるのだが、たまに

「これはしかってはいけないな!」

と瞬間的に思ってしまう時がある。

娘の表情やその他の雰囲気で直感的にそう感じてしまう。

「親には言わないが、何かいやな事があったのかな。」
「何か不満がたまっているのかな。」

そんな事を考える。
明確な答えはないが、子供と接しているといろいろな事を考えさせられる。
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身体開発と技

自分が常々考えていた事。

技術の開発の前にまず身体の開発があるべきかと。  

厳密にどちらが先とは言いがたいが、師から教わった技ができない時など、いち早く自己の身体のどこに違和感や力みが生じているのかを知覚できれば解決は早い気がする。  

部分的に知覚すると、身体の統一感がなくなってしまうと思われるかもしれないが、身体各部(主に骨格)の正しい位置、正しい動かし方を知っていれば身体感覚がバラバラになる事はない。

身体各部を正しい位置にできれば、自ずと全身の脱力を得る。         
また身体に統一感を与える極めつけが「重力」を「正中線」で受け止める事である。

一番の問題は、静止時の理想的身体だけではなく、動きの中での理想的身体だ。

その基本が「立位」であり、寝て脱力が得られても立った瞬間に普段の力みが出る様では困る訳だ。

いろいろな理由があるが、単純に流儀の稽古法だけでは上達は難しいとつくづく思う。

仕事や家庭を持って、多くの稽古量をこなす時間的余裕はない。

心身についてもっと学んでいかなければならない。

やはり春は来ていた

庭にお稲荷さんが祭ってある。
毎朝、出かける前に手を合わせてくる。

今朝、お稲荷さんの後ろにある白梅が開花していたのを発見した。

「やっぱりもう春だ!」
と思った。

寒いながらも、日差しも変わってきている。
明らかに違う。

稽古会を始めたり、治療院移転など、いろいろと新たに始まった事
も、季節に合っていて良いのかもしれないと思った。

がんばろう。




春のにおいをかいだ

午後8時半。いつもよりちょっと早めに治療院を出た。
途端に
「春だっ!!」
と思った。
微風が生暖かい。ほんの少し雨がふっている。

湿った空気、早めの春独特のにおいだ。
このにおいをかいだ瞬間に気分が高揚してきて、むしょうにどこかに出かけたくなる。

昔からこの季節から秋までは、家の近くの川の土手で、地元の友人らと語り明かした。

中学頃から高校、成人した後も。
ビールを買って、友人らと土手で夜を明かした。

夏の夜は土手の上のアスファルトで舗装された道で大の字になった。
酔った体には冷たくて気持ちよかった。

なんだか前回に続き、回顧録みたいな事ばっかりになってしまっているが、最近忙しいからかもしれない。

勤務先の治療院が移転の為、様々な手続きや患者さんへの案内、その他雑務でスケジュール調整が大変だ。

しかし、こんな時に限っていいひらめきがあるものだ。
武道や治療などに関するいい発見があった。

感性とはそんなものか。
意識的になってない時に、勝手に向こうからいいアイデアがやってくる。

1人の時間

最近電車の中で携帯型のゲームをやっている人をよくみかける。

忙しい日常の中で、全てを忘れられて1つの事に没頭できる時間がないと、精神が疲弊してしまうだろう。

携帯電話でメールをしているのかと思えば、これまたゲームが多いのに気付く。
インターネットを見続けてしまう理由もうなずける。

自分も初代ファミコン世代で、中学から高校の頃は友人の家でよくやったものである。
8年ほど前に友人から新機種のゲーム機をゆずってもらい、リアルな釣りゲームにはまった事もある。

現代は、人の処理能力をはるかに超えた速度で動く世の中で、頭の中は常にスケジュールでいっぱい。
一時でも良いから開放したい。

一人の時間を大切にする事は自分を大切にする事。

マンガを読むのもいいだろう。

自分は週刊誌を買う習慣がないので、今度マンガ喫茶でも行って「釣りバカ日誌」や「三国史」など読破したいと思っている。

自分を開放するのに武道、武術はどうか。楽しく思える時もあるが、逆に落ち込む事もある。
まあ真剣にやっていれば、当然だろう。

ではダンスはどうか。
マニアックにやると疲れる事も・・・・。

全ては自分の性格ゆえか。
楽しむ気持ちになれないと何も楽しめない。

その様に気持ちが疲れきった時、自分は大好きなソウルのスローバラードをかけながら、昔よく友人たちと行った場所などへ1人でドライブする。
夜そっと抜け出して・・・・

そんな時間の中、いろいろな事を考えている内に、過去の自分と現在の自分がいい具合に融合してくる。

さて、そろそろ帰るか・・・・。

ケアと身体操作

「脱力」、「正中線」、「膝の抜き」、「ナンバ」、「インナーマッスル」、「コアマッスル」、「股関節」、「股関節」、「三軸(二軸)」etc・・・・。

どれも最近話題になっている身体開発のためのキーワードである。
どれも大事。どれも必要。

健康や美容、競技者としての高い運動性を求める為にも重要なものばかりである。

だが、それらを有機的に統一感のある動きにするにはちょっとしたコツがある。
そのコツさえ理解できれば、あとはレベルを高める、深めるだけの作業となる。

また他人の動きを見て、どこがどう良いのか、悪いのかが、すぐに理解できる様になってくる。
勿論、自分ができる事の範囲で。

自分にできない事は

「見えない」。

最近、治療院で動きのアドバイスをさせてもらう事が日に日に増えている。
様々なジャンルのダンサーの方たちが口コミで来院して下さる。

治療もよく体が動く様な、身体の感覚が明瞭になる様な施術を目指し、その後に動きのアドバイスをさせて頂く。

高齢者の介護予防や機能障害のリハビリに転用しても、ある程度通用する事が分かってきた。

会社員の方たちからゴルフの動きの質問もよくある。
趣味と言えども実際にスポーツしている人は、非常に理解が早い。

やはり、手が2本、足が2本である同じ人間の体。
構造が一緒なら、おおよそは共通しているもの。

自分が目標としている事。

まず第一に、
「脱力」と「理想的姿勢」を如何に得るか。

次に、
「効率良い動き」と「正確で自在な動き」を如何に得るか。

以前から気付いていた事が、具体化してきた。
上記の条件を全てそろえる為に重要なキーワードが2つある。

「リズム」と「反復性」

この2つだ。

これらは自分がストリートダンスをしていなかったら、分からなかったと思う。
全身で音楽を刻む「ボディリズム」。
全身を自在に操る為の「アイソレーション」。

これらの要素を取り入れる事によって、技術の修得が一段と早くなる。
リズムと反復性を意識した指導法は昔からたくさんあったと思う。

しかし、リズムが重要な要素である、ソウルからヒップホップなどのストリートダンスを経験した事によって、より深いリズムへのこだわりと魅力、そしてその効能を広く応用できたのだと思う。

対人を想定した場合、この様に自分の身体を開発した後に「技」から「術」、そして「芸(戦略)」へと展開させていく。

治療院で行っている「介護予防体操教室」。

本日参加していただいた50〜60才代のご婦人たちに、上記の理を簡潔に体感してもらう為、

「ホース」
「ファンキーチキン」
「ファンキーペンギン」

と言ったソウルステップを紹介した。
少し、体操風にアレンジをして。

1、2で反復する簡潔な動作。左右対称の動き。全身の協調運動。
エクササイズとして理想的である。


「リズム」の効用。
リズムに集中し無意識的な動きとなり、自然と脱力と調和が取れてくる。

「反復性」の効用。
同じリズムで同じ動作を反復する事により、大脳、小脳などの中枢神経に記憶され、理想的な運動パターンが身体に定着する。

リズムと反復性を意識した運動指導を試して良い結果などあれば、是非御一報頂きたいと思います。

これからの私自身の研究を更に深めるためにも、また多くの方と共同で、更に効果的な運動指導、健康保持の体操開発など行っていくためにも、是非ともご協力お願いいたします。

しつけと武道

最近、娘が成長してきたので、しつけがきつめになってきた。

特に身の周りの事に対して、できる限り自分でさせる様に。
手伝える事はどんどんやらせる様に。

そんな中で、しつけそのものの意義が希薄に思うのである。
子供からすれば、

「そんな事やんなくたっていいじゃん。」

「なんで、そんなめんどくさい事やんなくちゃいけないの。」

と思われても仕方ないと思ってしまう。

幼い子供に、その裏にある必要性、道徳性を説くのは無理。
俄然、しつけは「おしつけ」になる。

身の周りの手伝いなども、昔なら生命維持に直結したものばかりで、その様に指示される事に子供にも納得がいくものであったろう。

例えば、
「水をくんでこい。」「薪を拾ってこい。」
「台風がくるから、家の修理を手伝え。」
これらは生命維持に直結する事ゆえに、疑問や反感が入る余地が無い。

近所の人らと仲良くするのも、小さい集団で日々の糧を得る為の作業を協同で行わなければならないからだ。

文明が発達すると、全てにおいて効率が良くなり、そう言った「個々のつながり」に対する気遣い、小さな日常生活レベルでの営みに対して、重きを置く必要がなくなっていくのではないか。

結果、人間同士の繊細なやりとり、基本的な生命活動(衣食住など)への意識は希薄になる。
結局はしつけも、生命維持と言う目的があるに相違ない。

これは、武道・武術にもまったく同じ事が言えそうだ。

昔は武芸は国防の手段。
自己の生命、家族の生命を守る。
これ以上に必要性のある理由はあるまい。

現代はボタン1つでドカン、あるいは細菌兵器をばらまく、様々なテロ。
情報戦などに重きがある様に思う。

腕力を練ったり、技を磨く事とはかけ離れている。

そんな時代に武芸をたしなむ。
やりたい理由は様々あれど、「技術の向上」と言う目的は誰しもあるに違いない。
しかし、直接暴力と関わる警察や軍隊以外、どれだけの必要性を感じられるだろうか。

仮に必要性を感じられたとしても、ごく普通の生活をしていれば、それを現実的に把握するのは、なかなか難しい事であるなぁと、子供と窓拭きしながら考えた。

まぁ、仕事においても現実を把握する事は不可欠であろう。
それができなければ、飯の食い上げである。

だが、結構、楽しようと思えば楽できてしまう部分もある様に思う。

「う〜ん。しつけと武道ねぇ・・・・。」

高度な技術への挑戦

昨日の稽古会の時、道場の後輩Hくんから質問を受けた。

「道場に入りたての頃、先生や先輩の技量があまりにもすご過ぎて、本当に自分でもやっていけのるかと思った。その様な不安はどうやって克服したのか。」と。

自分も最初は不安は少なからずあった。
真剣にやめようと考えた事も何度もあった。
入門してから、ほぼ一年周期でホントにそう思ってたね。
「自分は本当に才能が無いなぁ・・・。」って。

習い始めの時、他の流儀に変えた時に、不安を持ち込まず一心不乱に鍛錬できる人は上達が早いんだろうな。
その様な人との差は何かと言うと、たった一言

「甘えがない」

それだけの差。
自分自身、「俺自身がやらなくちゃ!!」と言う自覚が甘かったと思う。

自分はフルコン空手、グローブ空手、シュートボクシングなど長く経験していたので、二聖二天流とはまったく逆の運動理論でやってきた、その体のクセを少しでも早く取りたいと、様々な意味で自分を否定し続けたね。
辛かったねぇ、あの頃は。
ネクラだからね、もともと(笑)。

道場に入門して、12年目に入ろうとしている。

最初の3年目位までは、道場びたりの生活だった。
宗家の言う事をメモしまくったり(笑)、稽古日が月・水・金で明け方まで稽古。そのまま勤務先の整形外科へ。
睡眠時間が一日おきに2時間位でそのまま仕事していた。

それ以降は、だんだんと道場に行ける日が少なくなってきた。
結婚して、子供も生まれ、鍼灸院を開業したり・・・と生活が忙しくなってきた。
同世代の人間もこの忙しさが当たり前だから仕方が無い。

いろんなカラミがあり、自分の趣味(本人は趣味以上と解釈してるが)ばっかりやっていられる状況ではない。
今では月に1回位行けるか、と言う状況になってしまった。

何年か前、宗家が体調を崩し、入院された事があった。
もともとお体の繊細な方なので、無理がたたってしまったなぁと思った。

弟子として、縁起でも無い事を考えてしまった。
「もしも、宗家に万が一の事があったら・・・。」
年齢的にも還暦を越えておられた頃の事だったので、不謹慎にもそう思ってしまった。

現在の自分の技量もたいしたものではないが、ある時期から急激に伸びたと思う。

「宗家に万が一の事があったら、誰にも教えてもらえないし、自分でやるしかない。二聖二天流に身を置くなら、看板背負ってく覚悟はあるのか。」

その様に本気で覚悟した時からだと思う。
師への依存心が強いうちは・・・もう誰にも聞けない・・・本気でそう思った方がいい。
自分の場合は。もとが”甘ちゃん”だからね。

教えてもらおうなどと言う気持ちは今でも持っていない。
模範を示して頂く、それを拝見する、頭に叩き込む。
そんな感じだ。

最終的には自分でやるもの。
自分がすべて。
誰かの模倣じゃダメなんだ。

宗家も言われる。「一人一流」と。
再現すべきは技の原理さ。

謙虚さが必要だとすれば、それは自分自身に対して謙虚である事。
師を敬い、仲間と和し、後輩を思う事などは当然の事なのだから。

痛い思いして、恥かいて、自分の実力を自覚すれば、人に言われなくたって謙虚になるさ。

自分に自信を持てるには、何でもいいから「自分なりの実績」を作る事。
自分の場合は、一時期であったが、

「道場の誰よりも睡眠時間が短く、稽古に打ち込んだ」
「道場の誰よりも、足捌きの稽古量が多かった。」
「道場の誰よりも、宗家の言葉を記憶し、記録した。」
「道場の誰よりも、武器術の研究をした。」
「道場の誰よりも、マニアックな懸垂をした。」

などなど、本当に一時期でも良いから、誰にも負けない実績を作る事、それが一つ一つ自信の源として積み重なっていった。

一つ一つを見れば、どれもたいした事ではない。
つまらない事かもしれない、直接それで技術が上がる訳でもない。
だが、そう言った事を重ねる事が、いつしか自信につながっているのに、気付いた。

自分の弱点を素直に見られる心。
つまらないプライドや恥は捨てていける覚悟。
日々、新たにしていきたいと思っている。

「自分でやる!!」
そう思えば、自ずと答えは出てくる様に思う。

でもねえ、矛盾する様だけど、そこまで思える様になるには時間がかかる人が、結構いると思うんだよね。自分みたいに。

H君、そう言えばB-FIELDの山下さんにも、この事を聞いてみたいと言ってたから、山下さんにも聞いてみようかな。

第1回稽古会続き〜中国武術の視点〜

今回参加して頂いた千葉のIさんは中国武術を稽古されている。

自分も中国武術には強い憧れがあったので、きちんと習った事はないが、だいぶ予備知識はあると思う。

Iさんと稽古ができたお陰で思った事。
中国武術は身体感覚に関する具体的なイメージを、具体的な言葉で端的に表現している。

ある状態や身体操作の要領をつかむのに、できるだけ簡潔に表す事は重要である。
説明にかける時間の節約にもなる。

自分がIさんに説明した時に、この独特の四字熟語の様な用語で話すとIさんも理解が早かった様だ。
共通言語を持つと言う事は強い。

例えば「立身中正」、「含胸抜背」、「沈肩墜肘」、「蓄勁」、「沈墜勁」、「暗勁・寸勁」、「十字勁」、「纏糸勁」などなど。

日本人の感性は、すべてをシンプル化させる方向性が強い様である。

何度も触れた問題だが、複雑な身体操作をシンプル化した表現や指導で、現代の日本人が本当に理解できるのか。

それなりの経験を積み、身体で理解できる者、稽古に多大な時間と労力を費やせる環境の者、または天才的才能を有する者。

これらを除く、自分の様な「凡人」が如何に難解な身体操作を修得していくか。
可能な限り、具体化させるしかない。
理論でも、身体感覚でも。

師から教わったものや、既存の稽古法以外に甘んじる事なく、様々な条件下に身を置く事が重要である。

そう言う意味では「出稽古」はとても勉強になる。

今回の様な稽古会でも参加者は、参加する事に対して「緊張感」があるはず。
「他流試合」をする訳ではないが、漠然とした緊張があるものだ。
自分も他流の稽古会や研究会などに参加した経験があるから理解できるが、ちょっとした勇気がいるものである。

そしてその緊張感は、小規模な自分のプライドから来るものが多いと思う。
「みっともないやられ方したらどうしよう。」
自分もよくそう思っていた。

挑戦する心、開拓する心にあふれた者は、その様な臆病さは無い。
自分も様々な先達らを拝見し、その気持ちこそが最も重要であると感じる。

稽古会に参加される方々以上に挑戦する心を持っていたいと思う。
Iさんと稽古ができて、新たに気が引き締まった思いがする。

稽古会〜2月・3月の日程〜

          『二聖二天流稽古会』

2/24(日) 13:00〜17:00(終了16:30頃)
3/30(日)      同上

上記の日程で江戸川区の体育館で私、木田実主催の二聖二天流稽古会を行います。
その他の詳細はブログ内のカテゴリ「稽古会」の中の、
「稽古会〜詳細〜」をご覧下さい。

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