武道空手研究会 ~武術・ダンス・東洋医学~

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内功的鍛錬・2

あれからまた日本武術の内功的鍛錬について考えている。

単に武術の技術向上の為だけでなく、健康維持や特殊な感覚をも発達させ得る
気功的鍛錬法は、主に密教や修験道、道教などの修行法であり、日本武術の流儀で
それを明確な稽古体系として含んだものはあまり無い様な気がする。

「気」や「意念」などと身体を調和させる鍛錬法。
内的感覚の向上だけでなく、体力気力までをも統制する。


日本の技術は何でも「単純化」させるところに凄さがある。
現存する古流武術も、その多くが深く広いものを単純化させたもの。
良いものであるほど、体得し難い。

「合気」なども高級な技術だろう。
触れた瞬間に崩して、吹っ飛ばす。

中国武術なら、それを明確に段階的に把握して、鍛錬をしていく。
精緻な技術を求める日本伝統武術を稽古するには、この辺りの問題を
解決しないといけない。

技の原理を言う前に、「姿勢」や「呼吸」、「感覚」などを高める為の具体的な鍛錬法が必要だと思う。

以心伝心の文化で、それを可能とする感性も持っていた日本人。

しかし、現代では天才と呼ばれる様な、よほど才能にあふれた者でなければ
到底不可能だと思う。

物質至上主義で、自然と触れ合う機会も減り、自然な感覚はどんどん失われていく。

「心」と「体」と言う自然の産物のパフォーマンスを最高度にまで高めるには、
時間も環境もだいぶ限られてしまっている。

自分は勿論天才ではない。
現代人である以上、様々な制約を受けている。

何でもいいから、より良い鍛錬をする為に有効な手段を取り入れる。

とにかく師の技の再現を目標とする。
誰でもない、自分ができる様にならなければ。

試行錯誤していくには、自分の気持ちに素直でありたい。
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気  〜内功的鍛錬〜

勤務先の治療院が中央区人形町から台東区上野へ移転して3週間。
引越しの片付けや、他の処理すべき業務がまだまだ残っていて、
何かと忙しい。

今日は休みだが、自宅治療院で午前の患者さんの治療を終え、
昨日の残りの鍋物を急いで食べて、やっとパソコンの前へ。

家の前にある大きなコブシの木から、白い大きな花びらが散っている。
大好きな沈丁花の香りももう終わってしまった様だ。

桜も上野では、ほぼ満開。
今日は天気もいいので、上野公園はすごい事になっていそう。
娘ももうすぐ小学生で、公私共に節目が多い。


最近一段と「気」に関する自覚が強まっている。
伝統鍼灸治療をしているせいもあるが、以前より関心は強かった。

「気」と言ってしまうと、つかみどころが無く、怪しい雰囲気イメージ
が先行しがちだが、東洋の伝統医学と東洋の伝統武術には欠かせないものだ。

武道で言えば、当流の宗家も自分が入門した頃から、
「気なんて当たり前の事なんだよね。」
と言われており、その存在を肯定されていた。

自分の場合、内臓などもひどく調子を崩した事があるので、「気」のレベルで
の治療効果と言うものを確かに感じており、日常の健康維持の為、武道の技術
向上の為に「気功的な鍛錬」をしている。

空手の型や基本の動きをゆっくりとイメージを強く持ちながら行ったり、
時にはある形のまま止まっていたりする。
微妙に動いてはいるのだが。
呼吸している限り、完全な停止はあり得ない。

これによる効果は一言では言えないが、簡単に言えば激しく、運動強度の高いと
される方法では養いずらい「正確さ」が得られる。

宗家もゆっくり行う稽古法は推奨されてきたが、イメージ(意念)を強く明確に用いた自己開発法は、現在宗家の「感性教室」の中にて主に行われている。

これらは宗家が様々な鍛錬法(密教の荒行や自己催眠なども)の中ならシンプル化
させたものである。

しかし、技のイメージを指導される事はあるが、武道技術の鍛錬法と一体化ものは
今のところ無い。

その為、自分も含む当流の門下生も、宗家の技のイメージをつかむ事に四苦八苦している様だ。
その点やはり中国武術は詳細に、また段階的に見事に体系化されている。

これは日本武術全体にいえる事だと思うのだが、中国武術で言う「内功」
(動きと意念を一体化させ、より向上させる鍛錬法)がほとんど無い。

「練丹の法」や「禅」、「内観法」など、それらしいものも存在するが、
正確に伝承されているか、またはそれらにより現在も多くの効果をあげていると
言った情報は、自分は耳にした事が無い。

その多くは、失伝したか潜在化されて伝承されているかだろうと思う。
「潜在化されて」と言うのは、意識せずとも意念と動きを一体化させるべく作られた古武術の「型」にあるのではないか、と感じた事である。

これは特に「武器術」に顕著だ。

これは木刀や居合刀などの様々な武器を持つ事によって、その武器がかえって自分の動きを邪魔する様な事が無い様に、自由に自己の身体と一体化させて高度な動きをする事を追求するからである。
俄然、イメージ力は上がる。

素手の武術には、イメージ力が乏しく、なかば無理にでも成功してしまった技を良いとしてしまい、そのままになってしまう場合が多い。

それを回避するためには・・・・・
自分の技量を明確に自覚できる為の「自由組手」と、
意念と身体が一体化した動きを手にする為の「内向的鍛錬」
の2つが不可欠である。

これらの点において、「意拳」や意拳を母体とする「太気拳」などは非常に優れた
システムを持った流儀であり、その愛好家が多いのも当然の事であると思う。

シンプル→分かり易い→鍛錬し易い→時間の短縮化

これでいて奥の深いものであるなら、なおさらであろう。

現代においては、できるだけやる事は少ない方が良いと思う。
あまりにも多くの型などは、その手順を覚えるだけで精一杯。
仕事や家庭を持ったら、そんな時間を割く余裕は無い。

技の原理は一緒であるならば、そんなに多くの型を覚える必要があるのだろうか?

宗家の技術もいたってシンプル。
武蔵の影響も強く受けている事もあるが、そのせいばかりでなく、本来武道とは
そう言ったものである。

殴る、蹴る、投げる、捻る、絞める。
あるいは武器を使用するにしても、その武器の形状と特性を知り、あとは応用だろうから、そんなに多くの型は必要無いはず。

実際には一つの型から、その応用を多く学ぶべき。
その応用までを「型」としてしまうと、キリがなくなってしまう。
またそれ以外は対応できなくなる。

大事な事は「原理」や「性質」を知る事。

自分は武道のためだけでなく、日常を乗り切る健康と体力を維持、増進する為にも
「内向的鍛錬」を主としている。

そのため、当流の型には無い型だが「転掌」や「三戦」なども自分なりに内功的に
行っている。
当流には「セイシャン」の前半部分がそれらによく似た形である。

その他の型はバッサイやナイハンチの形くらいか。
勿論、今後その他の型も学ばなければとは思うのだが・・・・。

今のところはシンプルな動作を繰り返し、内功的に行うので精一杯。
気力が養われるので、治療院に来られる患者さんの為にも、
今はそれが一番いいと思う。

迷いの無い技

土日を使って福島まで墓参りに来ました。
家族でスパリゾートハワイアンズに一泊し、久し振りにゆったりできました。

ハワイアンズの中に似顔絵コーナーがあり、娘が似顔絵を描いてもらいました。
似顔絵を描いている人は、60代位の女性で、かなり落ち着いた、静かな雰囲気の人でした。

20分位で出来上がった似顔絵は、予想以上にそっくりな仕上がりで、さすがだなぁと感じ入っておりました。

部屋に戻り、手に取ってまじまじと見て驚く事がありました。

うちの娘のまゆ毛は太めで特徴があり、それをよく捕らえているなぁと思っていたのですが、よく見ると色鉛筆で、たった2本の線だけで描いてあるのです。

たった2本の線で、これだけ似させるとは…。

しかも描き始めからすっとはらった描き終わりの部分まで、まったく迷いが無い。筆跡を見れば、それが本当によくわかる。

人により、様々であろうものを簡単に手数をかけずに描いてしまう。
これほどの技術を身に付けるのに、どれ程の時間と労力を費やしただろうと思いました。

自分も鍼灸や武道の技術を、それ位のレベルまで鍛練しなければと思ってしまう名人芸に出会えた事は、思ってもない収穫でした。
これも墓参りに来て御先祖様のお導きか。
ご先祖様ありがとうございます。

朝の8時半からハワイアンズ入口前に、日帰りの利用客が長蛇の列をつくっておりました。

心技体

「心技体」とはよく言われる事だが、自分は修得していく順番については「体技心」だと思っている。

以前から感じている事だが、まず体を作って技術を学び、その後に心、戦略などの総合段階へと進むものだろう。

しかしこれも完全に区別して行なう訳ではないが、特に体作りは最優先だろう。
最近はどんどん昔の鍛練法を採り入れ、昔の身体に近付けようとしている。

伝統武術に取組み始めて12年。
それ以来、伝統武術を修得する上での悪い心身の癖を取り去ろうと、過去の自分を否定し続けてきた。

それが最近になって、それらを復活させているのだ。
と言うのも、この二三年、古傷が痛んで、日常生活でもかなりつらい事がよくあり、それらを克服する為の様々な運動法や姿勢調整などが、今まで否定し続けたものばかりなのだ。

もちろん、伝統武術的な身体操作を踏まえたものに再構築したものであるが。

若い頃に作りあげた心身は、その個人の基礎となり、何かやるにも、それに沿ったものにしないと自己の中で拒絶反応でも起きるのかもしれない。
それを通した上で認識しないと心身が理解できないのか。

一度は完全に捨て去ろうとした色々なものが、復活している近頃である。
以前打ち込んだストリートダンスを始めとした様々なブラックカルチャーにも触れる機会も多くなった。

若い頃に打ち込んだものは、その後の自分の方向性を決定づける。
そして、それは決して捨て去る事のできないものであり、血となり肉となり、潜在意識の奥底にしっかりと根を張っている。

筋トレなども最近よくやるが、それも体をでかくしたいとか、単純に力をつけたいと言う訳でなく、古傷の痛みを解消する為のものだ。
伝統武術にそう言った具体的方法が無い訳ではなく、細かい個人的な事は伝統武術の理をもって自由にアレンジしていくものなんだろう。

過去に築き上げたものや経験などは捨てるのではなく、上手に活用すると言うのがいい。
これから数年はそう言った自分自身の稽古が主体になるだろう。

かかと推進派?〜100m走その後の考察〜

リラックスした直立姿勢で、「つま先」を踏ん張ると

体は後ろに倒れようとする。

逆に、「かかと」を踏ん張ると

体は前に倒れようとする。

この事からも、前進する為の「推進力」を得ようとするなら、

「かかと」

を有効活用するのが最適なのではないかと思う。

素早い動きに対応する為には、通常

「つま先立ち」

にするものであるが、自然落下を利用する伝統武術的な身体運用では、

「かかと」

はしっかり接地するのは当然の事としてやってきた。

リラックスして良い姿勢とは、全身の筋・骨格系が理想的な状態である。
この状態から良い動きをするなら、やはり「かかと推進派」(?)の考えが
良いだろう。

動く以前に、はじめの立ち方からしてこの良い姿勢や、
もっとも自然な体勢を体現できないと、かかとの有効活用には
考えがいたらないのかもしれない。

100m走トップアスリートの身体操作

もう先週の話になってしまうが、NHKの番組でジャマイカの陸上100mチャンピオン、
アサファ・パウエル選手の特集があった。

内容は主に、なぜ速く走れるのかを科学的に解明しようとするものであった。

彼独特の「エクスプローシブ・スタート」と呼ばれる爆発的なスタートなどの解明において、

「足裏の接地時間が長い。」
「足裏全体、土踏まずをしっかりと使っており、地面からの反作用の力を非常に強く受けている。」

と言う特徴があった。

他の選手は、かかとを着くより、つま先を使うようしている様だ。

同番組に出演していた、同じ短距離の日本のトップアスリートが、
「ぼくらがあれを真似しようとしてもできないんです。」
と言う様なコメントをしていた。

「できない」と言うのは、やろうとしてもできないのか、やったとしてもタイムが遅くなる
と言う意味なのかは定かでないが、とにかく困難であるらしい。

さらに昨今、運動業界でもよく話題にされる「腸腰筋」が、CTスキャン画像で
非常に太く発達しているとの事であった。

これらの事を、伝統武術から考えてみると、まず足裏全体、特に「かかと」をしっかり接地させて地面からの反作用の力を最大限に得ると言う事は、はじめから普通に行われている。

また、腸腰筋の発達と使用頻度についても、下肢を引き上げると言うより、それとまったく反対の操作で、瞬間的に股関節や膝などを屈し、自然落下を加速させる身体操作も当たり前の事としている為、特別に意識して行っている訳ではない。

その本質や内容を具体的に検討しない内に、安易に表面的な部分を取り入れてしまったりすると、かえって成績が悪くなったり、怪我をし易くなる事さえ有り得る。

100mを走るのと武術では、その運動要素はかなり異なるが、一流選手の身体操作が人間にとって、もっとも自然で効率の良い動きであり、それはジャンルの違う競技であっても共通する事として検討しても良いのではないかと思ってしまうのである。

なぜなら、武術はごく限定された条件下においては、一流アスリートに匹敵する様なパフォーマンスを実現させているからだ。

人と戦うと言った、ごく近い距離の間において、
「瞬間的、爆発的な加速度運動」
と更に、
「変化を伴い、自身の身体や質量などを最大限に強力なエネルギーに変換させる」
と言った事を実現させているのだから。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
          『二聖二天流稽古会』

3/30(日) 13:00〜17:00(終了16:30頃)     

上記の日程で江戸川区の体育館で私、木田実主催の二聖二天流稽古会を行います。
その他の詳細はブログ内のカテゴリ「稽古会」の中の、
「稽古会〜詳細〜」をご覧下さい。

年々親に対する尊敬や感謝が増してきている様に感じる。
口に出す事はないが。

特に父は厳しい存在で良かったとつくづく思う。
自分の様なめちゃくちゃな性格では、まともな人生歩めなかっただろう。
そんな事を考えられる様になったのも、自分が親になったから。

叱るべき時と、叱ってはいけない時にめりはりをつける様に心がけているが、
特に叱るべき時の重要性を感じる時に、父の有り難さを思う。

叱られる事で引き締まる、自分の甘さが正される。
それは一人で世間に出た時に一番役立つ財産になる。

自分の両親は厳しいだけでなく、好きな事を自由にやらせてくれた。
特に競技格闘技で怪我が多く、相当な心配をかけただろう。
自分が親になって、その立場が容易に想像できる。

いまだ両親が健在であると言うだけで相当な庇護を受けているなと感じる。
それは世間との交わりの際によく思う。

冠婚葬祭や財産管理などの場面で、まだまだ親に教えられる事も多い。

武道の修練段階の「守・破・離」で言えば、世間に対する「守」、すなわち基本がまだまだな訳だ。

基本を学び、それを破り自分の形に合わせ、やがて自分にしかできない自分らしいものに仕上げていく。
そう言った順序としては格闘技・武道においては、理想的な学び方ができた。

若くて体力がありあまっている時に、ガンガンやり合う競技格闘技をアマからプロまで経験できた。
技術的、体力的に限界を感じた時に、それらを克服できる可能性をもった伝統武道の師に出会えた。

親と同じ位の有り難さだ。
そう思えるのも、若い内にやるべき事をやれていたからだなぁと今しみじみ感じる。

しかし、40近くなってもいまだ社会的には基本ができていないと思う事がある。

武道の方が先んじてしまったが、社会人、父親としても「守破離」の段階をしっかり踏んでいかなければならない。

親や師が健在であると言う現状がいつまでも続く事ではないと自覚し、その庇護に甘んじない様に一人立ちしなければならない。

年令を重ねる毎に、嫌でも人に指導していく立場になってしまっていく事を自覚しなければならないと思う。

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          『二聖二天流稽古会』

3/30(日) 13:00〜17:00(終了16:30頃)     

上記の日程で江戸川区の体育館で私、木田実主催の二聖二天流稽古会を行います。
その他の詳細はブログ内のカテゴリ「稽古会」の中の、「稽古会〜詳細〜」をご覧下さい。

パラエストラ小岩

私の鍼灸の後輩のK君は、時折うちにやってくる。
治療してあげながら、勉強してもらうと言う感じだ。

その彼もまた格闘技好きで、総合格闘技のジムに通いながら、休日にはそのジムの練習生たち
の治療、コンディショニングを担当している。

そのK君と話をしている内に、彼の所属する総合格闘技ジムの「パラエストラ小岩」にお邪魔
させて頂ける事をそちらの会長さんからもご了承を頂いた。

プロ選手も所属しているので、軽いスパーリングくらいはOKとの事。
これは願ってもない事である。
私の自宅からも自転車で行ける距離なので有難い。

本日も参加させて頂く予定であったが、皆試合近いので減量に追い込みをかけているとの事。
集中している時にかえって御迷惑と思い、またの機会に。

いずれにしても、スポーツ格闘技と言われる分野と交流を持てる事は意義深い。
同じ格闘技、武道でも一般に「伝統派」、「古流」と呼ばれるジャンルの人間は交わる事はほとんどない。

自分自身の中にも変なプライドが形成され、他流との交流を避けていた様な気がする。

最近、稽古会を始めたのをきっかけに、少しずつ自分の交流できる世界が開けてきた。

有名な師匠につくと、練習とは言え、
「外に行ってみっともないやられ方などできない!!」
などと言うつまらない考え方になってくる。

昔はある程度鍛錬したら、よその道場にしばらくやっかいになる
「武者修行」
が当たり前であったのだ。

仮にヘマをしたとしても、あくまで「練習」の中での事。
いわゆるガチンコの試合での事ではない。

一時の恥よりも、常に自分の進化を求めて、どんどん試していったらいいのではないかと思う。

また逆に、もしよければ古流と呼ばれる技法の一部でも、現代派格闘技の選手に取り入れてもらえたらとも思う。

ガチンコと言えば、自分が高校の頃通ったグローブ空手の道場は常にガチンコで、
12オンスのグローブだが、ブロックを割る拳を持った先輩らのフルスイングにさらされていた。

毎週火曜の稽古がいつも怖かった。
そう言った恐怖の経験は何事にも変えがたいものであった。
様々な怪我もしたが。

また、元はと言えば、自分もプロでシュートボクシングを経験した者であるし、そう言ったジャンルが懐かしい!と感じてしまうのが、正直なところである。

良くも悪くも最初についた師匠(若い内に打ち込んだ流儀)は、一生涯その人間に影響し続けると言う事を聞いた事があるが、自分もそうだとつくづく感じる。

現代格闘技の技法の欠点を補おうと、古流武術の技法を学んでいるが、偏りすぎるとまた心身のズレが生じる。

そんな時に自分が行うのが、
「現代的トレーニングを古流の身体操作で行う」
と言う方法である。

例えば「ジョギング」や「腕立て伏せ」なども「沈身」や「膝の抜き」、「受動筋力」などを意識して
「正中線」の操作で行う。


ともかく現代はジャンルや思想に縛られる事なく、交流を深めていく事が重要であると思う。
自分の流儀にはとことんこだわっても、他流との交流も拒まない。

やみくもにスタンスを広くするのも悪い事もあろうが、自分のスタイルは死守していく。
その覚悟が持った上で、どの様なジャンルでも、互いに認め合うところからスタートする。

自分にしかできない、もっとも自分らしいやり方で鍛錬していく事が最も重要であり、意義のある事だ。

これからもその様な姿勢でありたい。

一枚歯下駄でスケボー!!

今日は家族で買い物へ。

娘にインラインスケートを買ってやりました。
と、そのスポーツコーナーに激安スケボーを発見!!

なんと\1,980だったので、そいつも購入する事に。

帰宅して、30分ほど娘にインラインスケートの手ほどきをしてやりました。

数回の経験しかないインラインスケートですが、その内の1回はボランティアの大学生たちによる無料講習会に参加したので、「立ち方」「転び方」などの基本的な予備知識はありましたものですから。

その後、6年前に買った自分のインラインスケートを物置から引っ張り出しました。

購入後、5回位しか使用した事がない為、まだ新しいまま。
かと思いきや、留め具の金属部分に少々サビが浮いていました。

そこで某有名サビ止め&落としスプレーを吹きつけようとしたところ、
まさに噴射する寸前、

「うっ!!これはゴキブリ用の殺虫スプレー!!!」

と気が付きました。
いつもの定位置にあるとは、限りません。

家族の誰かが、置き場所を変えたのでしょう。
あの長い折りたたみノズルが付いているところが、いかにもそっくりでしたもので。

さて、それから約6年ぶりにトライしたインラインスケート。
最初は危なっかしかったですが、武術から得た要領を応用すると、以外に楽でした。

まず立ち方も最初は力みがあって、バランスが悪くふらふらしておりましたが、

「足首のやや前方に重心を落とす」

と言う事で、難なく解決。
歩行から軽いスケーティングまですぐにもっていけました。

滑る事ができたら、次に「止まる」事。

自分の場合、インラインのエッジに乗る感覚に慣れていないので、スキーで言う”ボーゲン”で止まる方法や、かかとのブレーキをうまく使う事、パラレルターンの様な動きで左右のエッジを急激に横向きにして止まる方法などはまったくできません(練習しないと)。

とっさにできてしまう、と言うかやってしまうのが、モホークターンの動きでストップする方法。
両方のつま先を外側に開いて、くるっとターンする様にしてストップするやり方です。

これは和道会の基本、「順突きの突き込み」や「飛び込み流し突き」と似た感じの体の使い方です。
左右のつま先を外に開いて体も開き、真半身になる様な。

しかし、もろに初心者ゆえ、「あぶね、あぶね。」とふらつく事はしょっちゅう。
それでも、地面に尻をつかずにリカバリーできたのは、首の正中線の効用でした。
「後頭部」と「うなじ」のラインでバランスを取る感じです。

一応プロテクターはしておりましたが、武道をやっていたお陰で、派手に転ばずに済んだのは嬉しい限りです。

さて、その後、娘は疲れて庭のコンクリート地に蝋石(ろうせき。懐かしいです)でけんけん用のまる枠を書き始めましたが、私は本日のメインイベント
「一枚歯下駄スケボー乗り」
を始める事にしました。

宗家が冗談で言った事から始まったこの挑戦。
是非とも初回から成功させたい!!!

足に履くインラインスケートとはだいぶ感覚が違います。
最初は普通の靴でやっておりましたが、路面に細かな凹凸があるのと、安物のベアリングでホイールの回転が非常に悪いのと二重苦で、すぐに止まってしまいます。

それでも練習を続けている内に、コツがつかめてきました。
ボードに乗せている方の足にできるだけ浮身をかける(笑)事です。

ボードに乗せた足の踏ん張りを強くしてしまうと、地面を蹴る足との間での体重移動が激しくなり加速も悪く、飛び乗った瞬間に大きくぐらついてしまうのです。

これに気付かず一枚歯下駄でやっていた時は、バランスが悪すぎて非常に怖くなり、
「とてもできそうにないな。」
とあきらめかけていました。

それが上記のコツに気付いてからは、一枚歯下駄着用でなんと3メートル弱は滑走できたのです!!
この間の安定感は、さほどスピードも速くなかったせいもありますが、普通の靴で乗った時とあまり変わりませんでした。

路面の悪さと安物スケボーのベアリングの問題が解決できたら、さらに滑走距離を伸ばせると確信しました。
(うちは家は小さいですが庭が広く、たてに車3台は入る距離があります)

大道芸人になれるとは思いませんが、できるだけチャレンジしてみたい面白い「カラダ遊び」です。
近々、動画に収めようと思います。

今度は一万円位は覚悟してスケボーを買いに行こうと考えています。
いい年こいて何をやってるんだか・・・・。

こどもの発想

子供にはいつも驚かされる。

冷蔵庫の野菜入れから枕が出てきたり、財布の小銭ポケットの中身がすべて色とりどりのビーズに変わっていたり、押入れの中に全てのぬいぐるみや人形が入っていたり・・・。

今日、勤務先の治療院について一息ついた時、ふと足元を見ると、左の靴下の親指に、ピンクのハートのシールが貼ってある。
表面は虹色に加工してあり、なかなか綺麗だ。

忙しい最中、ふと気がゆるまる。
神経質な自分にとっては、有り難い事だ。

いい動きも、遊びの中から生まれる事がよくある。
その点では、ダンスや音楽はいいな。

いい気分でいる事は無条件にいい。
体にもいい。
精神にも勿論いい。

武道、格闘技もそう言った面は重要であると思う。

理想を追うがゆえに、排他的、神経質になるといつの間にか技術の幅が狭くなる。

楽に行く。
楽しく行く。

楽しくとは、自分でやる稽古になる。
自分からやる。
自分の発想でする。

で、自分に合った動きが生まれる。

そして、また基本に厳しくやってみる。
うーん、好きにやり過ぎると崩れるんだなぁ。

それをまた
「あっ! ここをこうし過ぎてはダメなんだなぁ。」
とか、原点に気付かせてくれるのが、型や基本なんだな。

子供は自由な発想で、遊び心にあふれている。
でも過ぎれば、崩れが生じる。
子供にとって「基本」「型」となれるには、どうすればいいんだろなぁ。

子供は黙っていても、親の背中見て育つって言うけど、いい背中になっているのかなぁ?

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