武道空手研究会 ~武術・ダンス・東洋医学~

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またやってしまった

古傷のある右肩をまた痛めてしまった。

腕をある角度に上げたり、ちょっと手を伸ばした時に痛みが走る。
普段、患者さんから聞いている様な事がそのまま自分に当てはまり、おかしくなる。

原因は普段のマッサージで指や手の平よりも、「肘」を多用する事で肩に負担が掛かったのだと思う。

また、古傷克服の為の筋トレをしっかりやる様になり、調子が良くなっているので、やり過ぎたかと思う点もある。

マッサージの際、肘と肘から先、前腕部全体を使う事が多いのは、手の親指にも古傷を抱えているので、通常の指による指圧・マッサージの多用に耐えられないのだ。

すぐに痛みが出るし、指の付け根の靭帯を伸ばしてしまったのか、力が入らずにカクッと曲がってしまう。


これはシュートボクシング現役の頃にした怪我によるものだ。
スパーリングをする時に、16オンスのキャッチャーミットの様なグローブをして行っていた。

数ラウンドもスパーリングをこなしていると、16オンスの重みで肩、腕も上げておられず、拳の握りも開いてくる。

もともと、ボクシンググローブは親指以外の四指がひとまとめになっており、親指だけが独立している作りで、疲れてくるとこの唯一独立した親指部分が開いてきてしまうのだ。

そうしてパンチを打った際に、開いた親指が相手の体のどこかに引っ掛かり、親指の靭帯の伸ばしてしまうのである。
左右両方とも同じ位に痛めてしまった。

最近ではこうしたトラブルを防ぐ為に、疲れてきても親指が開かない様に、しっかりと他の四指部分と縫い付けてあるグローブを見かける。

自分の指を痛めない為だけでなく、親指により相手の目を突いてしまう事の無い為の工夫でもある。

まぁ、そんな訳で自分の親指は、マッサージや指圧をするのに大変不利なのである。

そういった必要性から、肘による指圧マッサージは大変得意になった。
今ではだいぶ細かく使い分けができる様になってきた。

だが、より細かい操作を必要とする鍼灸においては更にハンディキャップとなり、
通常の指導をされたところから、更に自分に出来る様な工夫が必要になる。
これは、まだまだ日々研究といったところだ。

いずれにしても、この痛めた肩。
仕事とリハビリ筋トレのやり過ぎにより起きたもの。
昨日から肩の運動は休んでいる。

もともと肩の関節は食い込み方が浅く、はずれ易い構造だ。
つながっている状態を保つのに、多くの靭帯や筋肉に頼っている。
まぁ、その為に自由自在な角度に動かせる関節なのだが。

筋トレをし過ぎたと判断したのは、「痛み」と言うものは必ず必要性があり現れるものだからで、

「おい、お前はオレに対して間違った事をしているぞ。」

と、肉体の方からのメッセージであると解釈している。

肩に対して、必要以上の筋肉を付け様としてしまったのではないか。

肩に対して、やらない方が良い角度や動きで負荷を掛け過ぎたのではないか。

肩と全身の協調性を無視した局所的な使い方をしたせいで肩に負担が掛かったのではないか。

肉体からの要求を自分なりに把握していく。
そして、過去に師から注意されていた事ばかりをやってしまっていたのに気付く。

特に、全身との協調性を欠いた動きでは、またしても

「肘と体幹部をつなげる」

と言う要点を忘れていたと思い付く。

仕事の中で多用する肘による指圧・マッサージ。
これも肘に意識が集中し過ぎ、体幹部とのつながりをまったく忘れていた。

武器術でも、手に持った物(特に双手の武器)を素早く動かそうとして、腕の力だけで振り回して肘を痛めた事があった。

特にわき腹に程よい受動筋力を込めて、肘と一体化させた状態でなければならない。
体の力が腕に伝わり易く、また体で操作するので正確さも上がる。

今朝、起きたら背中から肩、全身の疲労が抜けてきたのか、肩の痛みがだいぶ消えていた。

ゆっくりと腕を色々な角度に動かす。

だんだんと空手の形の動きをしていく。
「平安三段」、「平安四段」にある動きを試す。

だいぶいい。

ゆっくりと、大きく、力を込めて形の動作をする。
やはり自然な動きのリハビリとなり、具合がいい。

ちょっと良くなってくると、やはり負荷を掛けたくなる。
両手に「鉄甲」をつけて動いてみる。

そしてヌンチャクの基本動作をしてみた。

木製とは言え、肘を大きく伸ばして振り回すと、遠心力により相当な重量に感じる。

初めてヌンチャクの手ほどきを受けた時の、あまりにも腕が弱いと感じた事を思い出す。

単純に筋トレは筋肉を収縮、縮める要素が強い様に感じる。

だが、武器術や伝統的鍛錬具などは、筋肉を収縮させながらも、各関節が
伸ばされている様にも感じるのだ。

ケトルベルなど試した事のある人は理解できると思う。

その辺りにまた伝統の叡智、古めかしいけど最も人体に適した鍛錬法があると再確認してしまう。

筋トレの中に武道の技術的要素、身体操作そのものが含まれている。

身体は自然の産物。
身体は自然を求める。

不自然な鍛錬はいずれ限界を迎える。

不自然な鍛錬でも、一時のピークを迎える事で満足するのもいいかもしれないが、武道は常に日常を意識しなければならず、
「自分なりの自然さ」
を追求しなければならないもの。

過去の宗家の言葉が頭の中に蘇る。 

「人の肉体は消耗品。鍛錬も数の多さに依存しない事。内容と集中が重要。」

「一人一流。」

「自然とは不自然も含む。」

ある程度、肩の力も付いてきたので、一般的な筋トレを少なめにして、また伝統的な鍛錬をしていこうと思う。
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ダラダラと…

今週も一週間が終わった。

今日は勤務先の治療院は休みだが、自宅の治療院で午後7時まで患者さんを診て、やっと休みに入る。

子供と風呂に入り、髪の毛を乾かしてやり寝かしつければ、ようやくお役御免となる。

子供の髪の毛を乾かすのが上手になり、時間も短縮されてはいるのだが。

今週も疲れた。
勤務先では、混合った時などは野戦病院みたいになる(ちと大袈裟か)。

急性の腰痛に新患さん、その合間に鍼灸や骨格調整の患者さんなど、スタッフにも助けてもらっているが、院長として診て回らなければならない。

その中で患者さんごとに、より良い治療について考えを巡らせる。
自宅の治療院では自分のペースでできるが、比較的重い症状の患者さんが多いので、別の大変さがある。

夜、ようやく一人の時間が訪れ、怠惰な時を過ごす。

前に読んだ小説や雑誌を跳ばし読みする。

目は活字を追うが、頭は別の事を考えていたりする。

録画しておいたビデオを観ていてもそうだ。
頭の中で自分自身と雑談しているかの様な時間だ。

この様な時間の中で自分を取り戻しているのだろう。

仕事の後に毎日若いスタッフと運動して軽く自分の稽古もする様になって、だいぶ調子が上がってきた。

毎日、技の精度を確かめ、基本や形で修正していく。

以前より精度を上げる周期が早まった感じがする。

例え未経験者であっても、人を相手にしていると、自分の技のイメージが鮮烈に残る為か。

その分、毎晩治療と稽古のリアルな夢をみてしまうが。

調子はいいが、とにかく疲れた。

生きていく為に皆時間と労働力を提供する。
ただ提供するだけではなく、生産性、効率性、成果主義にさらされる。

厳しい条件は人を努力させ、向上にもつながるが、努力の連続ばかりでは疲弊してしまう。

無駄な時間。

生産性の無い時間。

まったく無駄な様だが、それは精神のエネルギーを充電する、睡眠と同じ位の重要な時間だと思う。

日常続いた生産性、効率性、成果主義から精神を切替えできなくなってしまわない様、無駄時間を適当にとっていきたい。

うまくすると、仕事などのいいアイデアが浮かぶ事もあるので…。

連休も・・・・

待望の三連休です。

子供も夏休みに入りました。

今年は全てが仕事中心になりそうなので、8月も特別にどこかへ出掛ける予定はないので、行ける時に行っておこうとできるだけ子供と出掛けてようと思いまいした。

自分の稽古の方は、最近治療院の若いスタッフがキックボクササイズをやりたい、との事なので、ミットやパンチンググローブ等を持ち込み、業務終了後、私が教えながら、私自身の稽古にも付き合ってもらっています。

20代前半のスタッフの彼は、バリバリのサッカー選手だったので体力をもてあましているので、追い込みをかけられるトレーニングが気持ちいい様です。

彼には、私がシュートボクシング時代のメニューをやらせています。
そしてその後は、私の稽古。

軽く基本動作をした後、武道具メーカーのイサミさんで購入した「チョップブロック」と言う物を彼に持ってもらいます。

体当たりと蹴り技以外の全ての技を、ほぼ全力で打ち込みます。

このチョップブロック、私のお気に入りベスト3に入ります。

一辺が40cm位の立方体の硬い合成ビニールの袋の中に、米粒位のポリエチレン樹脂(かな?)の粒がめいっぱい詰まったもので、砂袋に似た感触があり、それでいて砂袋と比べて軽量です。

強度が高いので、私が全力で突いても楽に受けてもらう事ができます。

これを持参する前は「電話帳」を持ってもらって、それを突いていました。
全力でなくても、やはりちょっときつかった様です。

練習の種類によってはミット類もいいのですが、柔らかい分、”プッシュ”の癖がついてしまい、切れの無い打撃になる恐れがあります。

チョップブロック、まだイサミさんで売ってるんでしょうかね。
だいぶ前に購入したものですから。

これをヒントにダブルのパンチングボールで、手製の「提げ巻きワラ」を作ったのです。

以前の日記にも書いたのですが、パンチングボールの中身を全て、エアーガンの「BB弾」をたくさん詰めて硬くしたのです。

しかし、それでは砂袋の様な重さが不足していたので、砂鉄を入れた食器洗い用の上部なゴム手袋を真ん中に詰めました。
出来上がりは上々で、今も一番愛用しています。

ともかく、少しでも毎日稽古できるのは大変ありがたい事です。


さて、連休の初日の土曜は午前、娘がバレエ教室に行った後、宮崎アニメの某新作を初日に観賞に行きました。

妻はたまった洗濯、掃除、バルサンでダニ予防などで家事奮闘中。
パートやPTA役員などで、できずにいた家事を一気にこなします。

小学生にもなれば、父親と2人だけで出掛けても、もう困る事も少ないので助かります。

思ったほど混んではなく、楽に座れました。
その後は定番のレストランで食事。

クリームソーダはいつの時代の子供も好きなんでしょうかね。
やはり娘も楽しみにしていたようです。

翌日の日曜は、車で千葉県松戸市にある「21世紀の森と広場」と言う公園に行きました。

とても広い公園で、大きな池、小川、林や蓮の田んぼ(?)などの里山の様な環境で、とても楽しめました。

帰りの車ではもちろん熟睡です。
シートベルトがよだれだらけになってました。


(やはり子供は虫とり網がよく似合います。ザリガニや小魚がたくさんいました。)


(夏は子供も虫も植物も元気です。)


(久しぶりにトンボを捕まえました。手にとって見るのも久しぶりです。)

   
(蓮の花。娘にはこの中に仏さまが座るところがあると教えています。知ってはいても、実物を見るのはめったに無かったので、中の仏さまの台座を見てすげえっ!!と思ってしまいました。)


(大きな池です。)

(奥に見える休憩所で、娘はソフトクリーム、私はホットコーヒーと焼きそばを食べました。朝食にパンをちょっとしか食べてなかったので、午後3時の暑さと普段の疲れから頭がぼーっと、足が少しガクガクしました。自宅でも稽古してたのでちょっと疲れてます。)

(たくさんの花を見るのは日常少ない事です。手前のラベンダーを見た時、自衛隊で富良野にいた時の事を思い出しました。)
 
(池の階段のところから、いきおい良く霧状に水が噴射されています。とても涼しくて子供たちも大喜び。)


(滑るからと注意したのに、お約束どおり滑って池に落ちてくれました。やっぱりなぁ〜。わざと、いや無意識層でわざとなのか、滑ってぬれたのに、すごくうれしそうな顔なんですよね。怒るのは親だけ。車のチャイルドシートは当然ぬれるでしょう。この後、ズボンを乾かすのに陽射しで熱くなった階段に座ってなと言ったばかりなのに、ぬれてる階段の部分にまた座っている・・・・わざとか!おい!!!)

   
(すぐ横は林道みたいになっており、ここを上ると市の博物館があります。林道のとちゅうでキノコ発見!)


(なんだかアスレチックみたいです。尾瀬や釧路の湿地帯にもこんな木の板の道がありますよね。)

骨髄バンク

今日も一日暑かった。
午前中は娘の自転車練習に付き合い(小1でもまだ危なげです)、続けてインラインスケートの練習に付き合わされ、午後からはショッピングモールに出掛け、全て娘のペース。

でも、こういった一日の積み重ねが思い出になって残っている。
子供の頃は、こうしたちょっとした事がうれしく、満たされるもの。
自分も、デパートなどでソフトクリームやクリームソーダなどを買ってもらったのを思い出す。

夕方帰ってから1時間ほど寝てしまい、すでに夕食の時間に。
子供を寝かせてから、届いていた郵便物をチェックする。

骨髄バンクからのお知らせが届いていた。
色々と思い出してしまった。


自分は2年ほど前に骨髄バンクに登録している。
きっかけは、女子プロゴルファーの中溝裕子さんの「リカバリー」と言う本を読んだからだ。

元気いっぱいで、食べる事が楽しみの様な体力に満ち溢れた彼女が、突然「骨髄異形成症候群」と診断され、前白血病状態である事を告げられる。

胸の真ん中にある胸骨にドリルで穴を開け、骨髄を採取検査されたり、妹さんから骨髄移植を受けるまでの葛藤、移植後の免疫低下による症状で、食欲はあるのにのどの粘膜がやられ、食べ物や飲み物などが痛くて飲み込めない、などの壮絶な闘病記を読み、同じ運動を楽しみとする者として、また医療関連の仕事に就いている者として、いてもたってもいられなくなってしまった。

スポーツ愛好者、特にプロを目指している者は、ちょっとした怪我でも
「やちまった!!」
とか
「ちゃんと治るだろうか・・・。」
などと、かなり不安になるものだから、この様な中溝さんのケースは正に天国から地獄である。


「今ある健康による恩恵が全て無くなる。そんな人の為に自分に何かできないだろうか。」

そうした経緯があり、とある献血会場で同時にドナー登録をした。

ドナー登録をして約3週間後。
親展と書かれた封書が届いた。骨髄バンクからだった。
「まさか。」

と思ったが、やはり。

内容は、あなたの骨髄型に合う確立の高い患者さんがいるので、一度面談に来てくれないか、と言う様なものだった。

いざとなると骨髄提供に関して少し怖い気持ちもあったが、滅多に無い事だから引き受けようと思った。

しかし、登録してからこんなに早く適合者が見つかるとは・・・・。

提供者は事前の健康診断から約5日間ほどの入院で、骨髄を採取する事になる。
骨盤に穴を開け、そこから骨髄液を採取するのだから勿論、全身麻酔による手術。

これには当然家族の同意無くしては、移植調整医師や移植コーディネーター側も受け入れる事はできない。

ドナー側の提供手術による死亡例は極めて稀である。
がしかし、それに当たってしまった方にとっては、それが全てと言えてしまうのも現実。

提供側にとっても、非常に繊細な問題である。
事実、提供前からすんなりいかない事はよくある事らしい。
当然かもしれない。

うちの場合、妻は
「あっそう。やってきな。」
と言っていた。
小心者の自分をよく知っているので、大事な事を決める時は、常にさっぱりした対応をする。

そして両親にも話す。
父は何事も、自分で決めたならやれと言う人だが、母は予想どうり猛反対。

「もうあんたしかいないんだから、やめておくれよう。」

この言葉の意味は、当たり前だが母の子供はもう自分だけと言う事。
自分が27才の時に、29才になる姉を事故で亡くしているからだ。

母の言葉を聞いて、姉を亡くした当時を思い出した。

遺体を引き取りに行ってから、葬儀直前までは自分は泣いてばかりいた。
特別仲が良い姉ではなく、あまり話しもする方ではなかった。

姉は成人後は、すぐに一人暮らしを始め、親を一切頼らなかった、しっかり者の姉は、実家に帰ってくる度に自分に対して文句を言っていた。

「家にお金入れてるのか。」 
「貯金してるのか。」  
「いつまでも親に甘えてるな。」

などなど。
両親に対しても、私に甘すぎるなどと言っていた様だ。

そんなしょっちゅう会っていた訳でもなく、とても仲がいい訳でもなかったが、兄弟がいなくなると言う事がどういう事か、身を持って理解できた。

両親はずっと泣かないでいた。
特に父は、今までずっと泣いていないと思う。

葬儀が済み、様々な手続きなどが落ち着いた頃、母の様子が変わった。
それから約3年ほどは、一人になると必ず泣いていた様だった。

そういった経緯もあったので、自分も子供を持つ身となり、子供に先立たれる痛みが理解できる様になっていたので、骨髄提供手術をする事に猛反対した時、あの泣き暮らしていた時期の母の顔になっていたのにドキッとしてしまったのだ。

そんな母に言われたら、無理に進める事などできないなとあきらめた。

骨髄バンクの移植コーディネーターの方にも、電話で正直にお話しし、今回は見送る事とした。

夜、歯を磨きながら、明日はあの動きを会得する為に、この様な鍛錬をしようなどと、稽古の予定を考えていた。

伝統武道の魅力は、その高い身体操作による高度な動きを追求できる事。
今さら気付いた事だが、目標が一生もので、いつまでも追求し続ける事の喜び。

何もやる事の無い人生ではなく、仕事や家庭以外でも常に研究課題があり、技術が蓄積されていく喜び。

現代において、深い動きを追求する伝統武道をする意義は、こんなところにあるのかもしれない。

単純に「生きる喜び」である。

骨髄バンクのお知らせを読んで、そんな武道の楽しみを享受できる現在の状況に、本当に感謝しなければと改めて思った。

武道を追求する者だけでなく、体を動かす事、他の文化を追求する者にとっても、健康は第一条件である。

中溝裕子さんの「リカバリー」と言う闘病記を、そんな人たちにも是非一度読んでもらいたいと思う。

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追記(7/15)

中溝裕子さんの闘病記は、下記の中溝さんのホームページで閲覧する事ができます。
http://www.nakamizo-book.com/

肘と体をつなげる〜担〜

今日は休日。
自宅治療院の患者さんは午後からなので、久しぶりに朝ゆっくりできる。

10時から娘を連れて、美容院に行く。
妻の友人の御主人の美容院で、うちは家族全員がそこでカットしてもらっており、今日は娘と自分、2人でカットしてもらう。

その後、娘のバレエ教室まで車で送ってやり、家に戻って患者さんを待つ。
患者さんの治療が終わると、またバレエ教室まで迎えに行く。
よその御主人たちも、自転車や車で迎えに来ている。
御苦労様です。

家に帰り、治療室の後片付けをしてから、そろそろ自分の時間。
庭や作業場で稽古をする。

となりに済んでいる叔父は、水道管に使うゴムパッキンなどの製作所を営んでいる。
柳川宗家と同い年の叔父は、まだ現役で仕事をしている。
2階家の1階部分が作業場になっており、昔からそこを一人稽古の場としてきた。
雨風がしのげるので有り難い。

小学生の頃、腹筋30回×2セット、縄跳びを100回跳ぶと言うメニューをこなしたのが、ここでのトレーニングの始まり。
このメニューは叔父が考案したもので、当時肥満児であった自分を何とか50メートル走で勝たせてやりたいとの目標があったのだ。

1年近く続けて、その後の50m走で見事1位になった時は、だいぶ肥満児を克服していた。

そんな懐かしい思いも詰まったこの場所も、だんだんと鍛錬具が増えていき、現在はちょっとした道場の様だ。

バーベルやダンベル、振り棒や六尺棒、ケトルベル、握り瓶、パンチングボールを改良した提げ巻きワラ、ぶら下がり健康器、砂袋スタンドなどなど・・・。
仕事場の邪魔になり、申し訳ないのだが。

宗家からあらためて頂いた指導で、特にそうした「理」を意識して平安などの形を行う。

武道空手の原理である正中線や鞭身などに必要な
「肘と体をつないでおく事」
を再確認できた。

つないでおくと言うのも抽象的な表現だが、体幹部からの力がすぐに肘につながる様でないと肘が壊れるし、鞭身が伝わらないのである。
速さも正確さもでない。

自分の感覚では、両肘と体幹部(特に胸郭)が柔らかく一体化した感覚で、これで武道空手ならではの双手技が出せるのだなと納得できる。

以前、琉球古武術でサイ術の稽古をしていた時に、右肘の内側を痛めてしまった事を宗家に話した事があった。

宗家は、
「肘が体から離れ過ぎちゃって、体とつながってなかったからだよ。」
とお話し下さった。

なるほど〜と思うだけで、形ではいくらか理解していたのに、武器を持ったらそれができていなかった事に非常に恥ずかしく、悔しい思いがした。

「全てを同じ武道空手の原理で動けないのは、中途半端だからだ。」

今日、そんな事を思い出しながら、琉球古武術の「鉄甲術」の稽古と平安の形を行い、
「そうだ、肘と体のつながりの意識を強制的に強くする為に“担”をやろう!」
と思いついた。

伝統空手術の鍛錬法で「担」と言うのがある。
これはバーベルのシャフト(棒)を肘に引っ掛けて、腕を伸ばしたり曲げたりして主に上半身の鍛錬をするものだ。

“小さく前へならえ”の様な姿勢をとり、肘にバーベルを乗せる。
後は腕の曲げ伸ばしと共に、自由に動いてみる。

あらためて思う。
伝統の鍛錬法は、やる程に味わい深いものであるなと。

学びて思わざれば則ち罔し 思いて学ばざれば則ち殆し

先月末に道場にて、宗家から武道空手の基本稽古を、改めて指導して頂きました。

それ以来、自主鍛錬では、巻きわらや砂袋、基本、形などを宗家から御指導頂いた要点を踏まえながら行うととても調子が良いのです。

以前なら、調子が良いと思っていても長くは続かず、また別の要点が思い出されるまで、スランプが続く様な事が繰り返されていました。

しかし、現在の武道空手の様々な基本稽古によって、そうしたスランプに陥る事も減っていくだろう、またなったとしても軽症で済むだろう、との確信が持てています。

これらは、武道空手の原理を体得する為の要点がシンプルに表現された稽古法であり、稽古する者にとってとても有り難いものです。

また、それらの原理は紛れも無く、組手で役立つ為の「理」です。
基本の為の基本、形の為の形では決してありません。
そんなものはあっても何も意味は無いでしょう。

ですが、現在の私は、若い頃からみれば、組手形式の稽古は減っている現状です。
生活が仕事中心になっているので、状況がもう少し許せばもっとこなしていきたいです。

しかし、公式、非公式(ご愛嬌)の組手は若い内にだいぶこなしました。
フルコン、グローブ空手、シュートボクシング、その他の経験で、様々な苦汁をなめました。

その様な経験が、
「どうしたら、打たれてしまうのか。」
と言う、危険な状況を理解させる、この上無い宝となっています。

この危険だと思う感覚があると無いとでは、その差は歴然です。
体を壊すほどはいけませんが、若い内はある程度はやりたいものです。
若い内しかできないのですから。

宗家の大学の空手部時代の組手の話は、エゲツないものも多く、凄惨と言っても良いほどのものがあります。

当時は今ほど安全策も講じていなかったでしょうし、道具やサポーターなども未開発であった事でしょうから、私が当時の空手にいたなら果たして続けられただろうかと考えてしまいます。

話がだいぶそれましたが、武道空手に限らず、武道武術の理を理解するためには、危険を危険と感じる事のできる感覚が必須であると言う事です。

このあたりは、武器術は分かり易いですね。
木剣、棒、槍、長刀、分銅鎖など、様々な得物の軌道を確実に避けなければなりませんし、避けてばかりではいけないので、自然と攻防一体の動きに行きつきます。

徒手の武術ではどうでしょう。
約束、自由、どちらにしても、組手以外に学んだ技を検証する手段はありません。

趣味でも仕事でも、検証の無い学びは学びではありません。
学んだ事の是非を確かめなければ、それは知識にも智恵にもなりません。

形や基本ができれば組手ができる様になるとは、組手も練習すればと言う話し。
当たり前ですが。

至高の技術も、
「学びて思わざれば則ち罔し」
ですね。

逆に、私の様に組手の経験がある程度あって、なおかつ今も研究をしている者は、それに頼る事や過信により、低次元の技で組手において成功を重ねている内に、時として大きな失敗をする事があります。

現在の自分に慢心し、更に高度な技術がある事を忘れているとこうなるのです。

武道空手の高度な理が存在する事は、形などをやる事によって気付かされます。
形の中のある動きが要求するものを満たせた時、

「この動きをこの様な変化技に活かせるかな。」

などと勝手にアイデアが浮かんできた事も何度かあります。

そしてそれはその時点で終わるものでなく、同じ動きでも、更に深める事ができるのです。

例えば、形の中のある連続技のつなぎをもっと速くできないか、とか。

なぜなら、それら全ての技は「沈身」や「浮身」、「腰の切り戻し」などの原理で成りたっているからで、それらの原理は追求すれば、精度や強度、速さなど、どこまでも上げる事ができるからです。

そして、宗家の様に、人体の限界だろうと言うところまで達したなら、後は応用にいけば良いのです。

過去の経験だけに依存せず、調子が良くても常に研鑽する、謙虚な姿勢を忘れない様にありたいものです。

それがないと、
「思いて学ばざれば則ち殆し」
になってしまいますね。

お詫び

今年の2月から始めた二聖二天流稽古会ですが、
現在は仕事などの関係で、日程が組めずに開催できずにおります。

参加をご希望され、御連絡下さった皆様、深くお詫び申し上げます。

小さいながらも治療院を友人と共同経営しており、今年に入ってから治療院を移転させ、忙しくなっており、諸々の業務でプライベーでもなかなか予定が組めない状態です。

先日のブログにも書きましたが、今年9月のイギリス武道空手セミナーも、宗家に同行する事ができず、道場での稽古さえ参加が難しい状況です。

しかし、それでもしつこく稽古は続けておりますので、また機会が作れれば参加者の皆様と稽古会にていい汗をかきたいと思っておりますので、何卒よろしくお願いします。

明日は、久しぶりに琉球古武術道場での懇親会があり、参加してこようと思います(こちらへも稽古に行けてません)。

とりあえずは今までどうり、自主鍛錬をやりこんでおこうと思います。

(庭の巻きわらの隣のトマトもだいぶ育ってきました。巻きわらが雨などにぬれて腐らない様に、普段はビニール袋をかぶせています)

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