武道空手研究会 ~武術・ダンス・東洋医学~

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

筋トレと易筋行


一日治療をする為に弱った体力を回復、増強させる為、さらに武道の鍛練も充分にこなせる体力をつける為、少しずつ、少しずつ、筋力を鍛えている。

若い頃に基礎体力練成をかなりこなしたので、昔の感覚を加減しながら追いかけていく様に行っている。

やはり昔とは全然違うなと思うのと、やはり昔取った杵柄だなぁと、正反対に思うところがある。

いずれにしても経験があったればこそ、自己の中で比較ができる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
基礎的な筋力を取り戻すにつれ、疲れにくくなってきたと思っていたこの頃だが、最近はそのついてきた筋力により、五体のつながりが少しバラバラになってきている様に感じていた。

もちろん、基礎体力と共に、技術的な鍛錬も行っているが、筋力的な問題が技術的な進展具合を超えて、不釣り合いになってしまうと、いくら技術の鍛練をしても、どうにもならなくなってしまい、調子を取り戻すのに大変な時間がかかると言う事がある。

過去に何度も遭遇してきた事だ。

技術的鍛練を徹底して行えば釣り合いはとれてくる、走るなどの全身運動でも釣り合いは取れてくる。

だが、その為の体力が日々残されているとは限らない。
またその為の時間も確保しずらい。

現在、それをどう克服しているかと言うと、
「易筋行」、
「八段錦」、
「ヨガ」、
などの様な動作で手足、胴体のつながりなど、五体の釣り合いを取る鍛練で補っている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
これは正確に言うと、上記に挙げた東洋の伝統養生体操の発想で、古伝の空手の型にある動作や、自分が気持ちの良いと感じる動作を、ゆっくり、のびのびと、時にはじっくりと力をこめながら、断続的にならない様に、すべての動作に途切れなく連動していく様に行っている動作、鍛練法である。

具体的には空手の型である
「転掌」
の動作や、一見武道的動作とは見られない様な、中国武術(南拳などによく見られる)の始まりなどにある手をいろいろな方向に伸ばしたり曲げたりする様な動作を、力を込めたり、また脱力したりして行っている。

特に剛柔流や上地流などに見られる鍛練型は、その様な要素が強いのではないかと思い、今後研究したい。

また、
「のびをする」
「あくびをする」
様な、とっさに出た体の感覚で自由に動いて、固まってしまった、疲労がたまったと思われる筋肉、関節を伸ばしていく、ゆるめていくのだ。

それらをする事で、身体の各部に生じてしまった
「力の偏り」
を正していく事ができる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今日はそんな基礎トレーニングの疲れが出たか、午後は昼寝をしてしまった。

しばらく寝てすっきりしてか、その様な五体の釣り合いを整える「易筋行」的な動作を、何度も何度も、様々な部位に行った。

そうしていく中で、自分の苦手な動きについて、じっくりと検証する事ができる。
「左足に比べ、右足が蹴りにくいのは、どこがどう違うからなのか・・・」
など。

しまいには、すべてつま先立ちで深く膝を曲げたままで、「平安」や「ナイハンチ」などの空手の形をゆっくりと行っていたりもした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
以前、柳川道場に入門したての頃、柳川宗家に聞いた話が突然思い起こされた。

宗家は「腹の力」と言う事を常々言われていた。

懸垂をとことん行った事で有名な宗家だが、片手で懸垂をする様な動作をされながら、

「もう歳だからね、あんまりやってないけど、こうやって腹に力入れて、腹で引っ張ってくる様にすると、懸垂なんていつでもできるんだよね。不思議とあんまり衰えないんだよ。」

と、その鍛練法について語って下さった。

これは内功的と言おうか、易筋行的と言おうか、ヨガ的と言おうか、いや古伝の空手鍛練型と言おうか、宗家オリジナルの様だが、そのエッセンスは、東洋の伝統的身体調整法そのものなのではないか。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
この懸垂の動作以外にも、本当にたくさんの同様の、
「意識荷重」
をかけた鍛練法を常に言われていた。

そうだ。
「意識荷重」。
これも宗家がよく口にされていたキーワード。
武道空手をひも解くのに重要な手掛かり。

これは宗家の独特な「受動筋力」と言う武道の技術を支える身体作りに欠かせない、まずおさえておかなければならない重要課題であった。

なんだか、日に日に原点に帰っていく気がする。

自分が濃くなっていくと思える瞬間、とても充実した気分になる。
スポンサーサイト

内の現実と外の現実

現実的。
自分が大事にすること。

しかし、現実と言うのもいろいろなとらえ方がある。
「現実って何?」
「自分で見たもの、感じたものだけが現実ではないか?」
などはよく言われる事。

現実と言うのは2通りあると思う。

一つ目は、実際に起こった事。
これはその名のとおり現実であるから否定しようがない。

もう一つは、自分が感じた事。
具体的に言うと「感じてしまった事」か。

自分と言う精神、身体が感じてしまったのだから、これは否定しようがない。
自分の外の世界の現実と間にギャップがあったとしても。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
武道の習得過程において、この「外の現実」と「自己の内の現実」との区別がかなり重要なものであると思う。

自分が経験してきた武道、格闘技では様々な師、先輩などから指導を頂いてきた。
その時その時で、真剣にその教えを聞き、守り、実践してきた。

しかし、それら師、先輩の指導に対して、自分の身体や感覚が追いついていけずか、また感性が合わないのか、どうしても上手く吸収できない事をよく味わった。

そして、自分勝手とも思われる様な稽古を重ね、自分の外と内の現実のすきまが埋まった時、初めて師や先輩の言う事を理解できた。
心身で理解できた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
外の現実は、外の現実。

内の現実は、内の現実。

これらを混同すると、必ず独りよがりのものになってしまう。
初めからこれらは別のものと認識し、それらのすり合わせ作業を自分で行う。

こういった事は昔からある金言・格言などでよく聞くが、武道、格闘技と言った、やるかやられるか、と言う分かりやすい図式のものに取り組んできたので、本当によく理解できた。

真に謙虚に師や先輩の教えを聞き、自分の意志でもしっかりと自分なりの行動をしていく。

そして結果を問う。

成功しても、失敗しても、師や先輩の教えの大事さが分かる。

例えその時理解できずとも、何年もかけて腹の底から納得する事がある。
本当に有難さを感じる。

人との縁を死ぬまで思い起こさせるものである。
謙虚とか、仁義とか、感謝とか、およそ人にとって大切な「思い」が強烈に形成され、蓄積されていく。

武道や格闘技は、
「自惚れでない自信」
というものを獲得していくのに、非常に効果的な学習法であると思うのである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
治療などを通じて他人に教える事が多くなった今、内と外の現実の間で悩む事がある。

教える事に集中すると、相手側に理解してもらう事に集中し過ぎて、「外の現実」に合わせる事が多くなる。

すると自己の内にある現実を、少々形を変えて出していく作業が必要になる。
その為に起こる弊害は、自己の内の現実が希薄になっていく事だ。

それは自分の感性や感覚を薄めていく作業に似て、そうした事を多くした日は、人と口をきく事さえおっくうになってしまう。

自分の内部の濃度を取り戻す為に、自分に集中したいのだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
だがこれも、たった一人であっても相性がよく、自分と感性が合う人間を得れば、たちまちの内に自分、内の現実を取り戻す事ができるのだ。

何かを為そうとする時、いや普通に生きていくだけでも、よき理解者が絶対に必要である。

以前、人伝いに聞いた話でその出所は不明だが、
「太極拳の達人はセット(2人)で誕生する。」
と言う事を聞いた。

「推手」と呼ばれる、手と手を合わせた接近戦の攻防の鍛練法が、その様な結果を生む要素であるかと思われる。

その話の真偽はともかく、なるほどと思う。

方向性も思考も似通った人間同士が、同じ技術体系を研究し合ったら、一人で行うより効率も良いかもしれない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
現在、自分も忙しくなかなか直接に師の教えを請う時間が無いが、武道や東洋医学でのよき理解者がいるおかげで、仕事帰りにちょっと手を交わしただけで、貴重な稽古となる。

例えどんなに短い時間であっても、自分の内と外とのすり合わせに効果をもたらしてくれる相手であれば、多くの人間同士がいてもだらだらと稽古するのとは比較にならない。

若いうちにどんなものでも、できるだけたくさんの経験をし、年をとってからはその濃度を増す作業に没頭すべきかなと思うのである。

基本の前の基本を見直す

普段は仕事に気力体力を集中するので、仕事後にできる鍛練や調整も充分とは言えない。

今日は休み。
久しぶりにゆっくりと一日かけて体をほぐす。

普段は充分に行っているつもりでも、あらためてじっくりとやるとまだまだやり尽くしていない、深みがない、気付いていなかった所などが分かる。

前から行っている鍛練法、調整法も慣れにより軽くみてしまっているのかもしれない。
シンプルなものに深みを持たせ、応用を広くするのは自分がやりこむしかない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
体をほぐしていると、自分の身体各部の可動域が普通の人以下でだなぁと感じる事がある。
よくこんな状態でいろいろとやり、また挑戦しようと思っているものだ。

充分にほぐれてくると、今まで不調であった部分、技がイマイチであった部分が簡単に改善したりする。

体がほぐれると、基礎体力の鍛練に入る。

仕事である治療も、一日の患者さんの数に耐え得る体力は勿論(これだけでもまだ不十分だが)、武道の技に耐え得る体を養っていかなければならない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
伝統的な武術に携わる者たちの中に、この点を勘違いする事が多い。

「技は力の中にあり」

柔軟性や基礎体力がその技術を学ぶに相応でない状態で、やみくもに技術だけを追い求める。
自分も数年間そんな状態であった事もあるし、そんな人間もたくさん見てきた。

伝統的流儀の大家たちも、基礎体力錬成の重要性を説かれておられるし、御自身も若い頃にさんざんやり尽くした事など言われる方が多々見られる。

その流儀の基本と言うものをやり込む以前の問題である。
もっともっと基本的な身体能力を見直す事を忘れてはならないと思うのである。

治療の中で、プロ・アマ、様々なジャンルの格闘家、ダンサー、スポーツ愛好家などを継続的に診ている中で、その思いは強まるばかりだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
以前から繰り返し思っている事だが、伝統的武術でも武器を扱う流儀は、その武器の質量や形状により、無手の場合よりも負荷がかかる為、基礎体力錬成も兼ねる事ができると思う。

また、それ以上に攻撃線、防御すべき線など武道に必須の攻防線の身体感覚も養い易いと思う。

思うに無手の伝統的武術の場合その辺り、攻防線の感覚、基礎体力、がいい加減にされ易いところがある。

解決法は自分で本当に納得できる「自分の鍛練」をするしかないだろう。
もっと具体的に言えば、与えられたものだけで満足しない気持ちだろう。

そして、自分の目標が具体的であれば、堕落はしないはずである。
まぁ、個人の目標如何によるので、結局は自己満足ともとれてしまう節もあるのだが・・・。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
だが、自己満足、独りよがりは自分は武道ではないと思っている。

武道、武術は現実的であれ。

自分はそこに一番の価値を求めている。

それは対人の肉体的闘争でなくとも、社会生活の対人関係で役立ったり、人の身体を調整する治療などに役立つ事でも、一つの証明だと思っている。

武道、武術をするなら、何かの形で証明すべきだろう。
それが証明できない、自分なりに成果を実感出来ないようであれば、武道への取り組み方を考え直すべきだろう。

日野晃先生も言われるが、武道とは対人関係そのものの技術だからである。

対人関係で証明できないものに自分は興味はない。

現実。

それは自分を取り巻く全ての環境そのものだ。

武道的発想で自然環境保全や、政治経済などにも役立てたらすごい事だ。
柳川宗家はそういった発想で、国防に関する問題点をついた書を著わしておられる。

自分はそこまで大きな事は見当もつかないが、もっと身近な
「人の身体」
と言うところで役立っていきたいと思う。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
最近、バレエダンサーの方々が治療院に来られる頻度が増した。

半分は治療、半分はバレエに役立つであろう身体操作の体操教室。

彼女たちは、目的意識が強く、また問題点がかなり具体性を持っているので、理解力も高い。
だからアドバイスし易い。

いいもの、ダメなものへの線引きが非常に明確である為、逆にレベルの低いものは提供できないと言うプレッシャーもある。

治療する方法論、指導する体操も、すべて自分が吸収した武道からのものである。

この基礎理論は、数年前にできており、老人介護、アスリート指導、一般患者への治療などで様々な形で試してきたが、これ以上は変化しない様に思う。

意識の世界は案外こわい

何気ない意識や日々の一念一念、いつもどんなことを思って過ごしているか。

これは想像以上に大きな影響があると近頃あらためて思う。

いつもの思考がその人の全てを支配していく様に思えてならない。

その影響で何かが寄ってくる。
そして何かが去っていく。

何気ない思考。
馬鹿にできない。

それが自分の雰囲気を決め、人間関係を決め、運を決め、生き方を決めていく。

試行錯誤し、悩みに悩んでこれしかないと決めた方向には、きっと自分らしさが凝縮されている。

自分らしいのは、都合のいい状態ばかりではないが、居心地はいいもの。

良くも悪くも自分らしいなと感じ始めている今日この頃。
一つ一つの思考の意味をあらためて思う。

真なる自分の欲求

治療院にくるバレエダンサーの患者さん。
中には1つのバレエ教室から7人ほど来てもらっているところもある。

現在、そうしたバレエダンサーの方々の調整を行いながら、今まで自分が行ってきたものを基にして、バレエダンサーの為の調整法をまとめている最中。

今まで自分が経験した身体運動から、患者さんたちに役立てる。
また、普段の治療の中から武道に還元できる事も本当にたくさんある。

自分の好きな事、ライフワーク、それと仕事。
これらに対して、本当に自分らしい取り組み方ができていると感謝している。

自分らしく生きてないと、感謝する気持ちも起こらないものだ。

また、すべてを受け入れ、そこから前進しないと自分らしく生きられない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
週に何回か、進行性で全身の筋肉が衰えていく症状の患者さんのもとへ行く。

疲れさせない様に、後で痛んだりしない様に注意を払いながらマッサージや運動療法を行っていく。

伝統医学から学んだもの、現代医学から学んだもの、それと自分の運動経験から得たものを施術としていく。

その患者さんが、施術をしているといつも
「先生、脳にくる。頭がすーっとしていく。」
といつも言われる。

自分は東洋医学的に、普段あまり動かさない下半身などをほぐしたり、動かしたりすると、頭の血や熱が一気に下がってくるのだろう位に思っていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その方が先週、NHKの番組で植物状態の最先端医療についての番組を御覧になり、その感想を、

「(体が)動けない人は動かしてもらう事で、相当脳にいいんだってね。あたし前から分かってたもん。体は勿論だけどさ、すっごく脳にきてすっきりするの。先生に感謝しなくっちゃね!」

と言われた。

「はぁー、それで脳にくるっていう事なのかぁ。
確かに身体の運動は、緊密に大脳や小脳とつながるもんなぁ。でも実感されているんだなぁこの人は。
難病というものを背負っているからこそ、人には無い、敏感な感覚と感性をお持ちなのだろうなぁ。
武道やダンスやっててよかったなぁ。自分の運動療法はその経験無しには有り得なかったし、普通に東洋医学だけやってたら自分はきっと偏った治療しかできなかったろうなぁ。」

と、施術しながら思っていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
先日、自分のソウルステップの師匠である方がご夫婦で来院された。

先月、ソウルステップを教わっていた時に、奥様が肩を動かすと痛いと言う事で、その場で少し施術をさせて頂いたのが良かったとの事。

マイケル鶴岡さん。
世田谷区の三宿通りに構えたソウルバー「SOUL NUTS」のオーナーであり、日本にディスコと言うもの、ダンスと言うものを根付かせたその業界の大御所。

故ドン勝本さん、故ニック岡井さんらと共に「KING OF SOUL」と言う名でバブルガムブラザーズのバックダンサーや、タレントの歌の振り付けや映画のダンスシーンなど、幅広く活躍されている方。

そんな方も来院して頂けるのは、本当に光栄である。
自分が医療の仕事で良かったと思える。

家族や友人はもとより、恩師、恩人の方々にも役立てると言う幸せに感謝。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
最近思う。

武道の為に武道をやる事は、自分には許されないと。

誰に許されないかと言うのは、神様とか、自分の深層心理とか、潜在意識とかと言われるものだろう。

あるいは大いなる力とか、真なる自分だとか。

仏壇や神棚への礼は日々欠かす事の無い自分だが、宗教や哲学、形而上学的なものにだけは偏りたくない、武道も医学もあくまで現実主義であるべきとの考えであったが、その生き方は限りなく形而上学的になっている気がする。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
以前、鍼灸の師にお聞きした事。

人間は本当の自分、潜在意識の自分と同じ様には動いていない事が多いと。

つまり、意識できる自分は
「右に行きたい!」
と思っているのに、無意識の自分は
「左に行きたい!」
などと思っているのだ。

その気付かない自分、無意識の自分の声に気付けないと、病気をしたり、災難に遭いやすいと言う事なのだそうだ。

自分にも大いに心当たりがある。

今はなんとなく、気付けなかった自分の声に気付けてきたのかもしれない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
また自分は、ダンスのためにダンスをせず、医学の為に医学をせず。

武道のための医学。

医学のためのダンス。

ダンスのための武道。

という様に、三者が循環して定まらない。

武道、医学、ダンス。

これらは「自分」と言うもので強く結ばれていると感じる。

結局は人

人。

結局は人。

自分の師以外にも、魅力的な武道家の方はたくさんおられる。

まずは技術が素晴らしい事はもちろん、その方自身が非常に魅力的なのだ。
直接お会いした方、その御著書で感銘を受けた方、様々な形で今もずっと影響を受け続けている方々。

もう自分の精神に深く刻まれ、何かに付けて
「あ、あの先生ならこうされるか、こう考えられるか・・・。」
などと思い起こす様な方が幾人か頭に浮かぶ。

一度しか会っていない方、また知るのは書籍の中のみでお会いした事もない方。

その様な方でもその後の人生に深く影響してしまう、そういう出会いは必ずある。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
武道に限らず何かに没頭してこられた方は非常に魅力的である。

やはり人は人に興味をそそられるものだし、技術が素晴らしい、そしてその人が非常に魅力的であれば心に根差さないはずがない。

自分もそういった人たちにすごく惹かれる。

技術だけならあまり長続きしない関係にしかならないと思う。

特に武道はその人の個性が相当色濃く出るものであるので、「流派」と言うより「その人」に皆ついていくのだと思う。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
昨今、技術的なものを全面に打ち出した流派、流儀のセミナーや公開講座みたいなものも多いが、前情報などでその方によほど惹かれないとなかなか足が向かない。

人となりの情報が無かったとしても、その先生のお写真や文などを見て、ほぼ直感でこれだと思うものだ。

二聖二天流の柳川宗家を知り、直後に入門を請うたのもそうである。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
結局は自分が直観で反応する様な人、魅力的な人、それから大事なのが相性が合いそうな人、こういったもので学ぶべき人を選んでいる。

皆それぞれに魅力的なのは、やはり流派や技術もさることながら、その人の個性や自分なりに努力してこられ、皆「自分」を持っていらっしゃる事にあると思う。

それには、長く厳しい鍛練の蓄積、そこからにじみ出る人間性、器、そういったものが多くを語らずとも、強く強く人を引き付ける引力になる。

自分も自分と言うものを濃く、強く、長く、蓄積していきたい。

そういう自分であり続けたいと思うものである。

金曜がターニングポイント

最近は金曜がターニングポイントになっている様だ。
先週も、先々週も、そして今週もそう。

都内某所に若いダンサーの子たちの練習を見に行く。
皆が集まってくるのが夜遅いので、10日の金曜も仕事を終え、いったん帰ってからすぐに車で現場に向かう。

午前0時近く、既に10数人のダンサーの子たちが集まり練習している。
早速いつものメンバーの子たちから声がかかる。

膝がおかしい、腰が痛む、背中、肩、手首の痛みなどなど。
また床にキャンプ用のマットをひいて施術を始める。

弱気を嫌うダンサーの子たちも、ケアの必要性を体を通して認識させてあげる事で、体の不調を意識する様になった。
もとより不調を感じてはいたのだろうが、口にせず、何か他力を頼る事を考えた事が無かったのだろう。

だが、ちょっと調整するだけで、相当調子が良くなったり、痛みが取れたりするのを実感する事で、体の不調を訴える事に抵抗が無くなってきたのだろうと思う。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ダンサーの子たちの体の調整が終わると、自分も若い子たちに教えを請いながら、ブレイクダンスに興じてみる。

不自然で不安定な姿勢を保つための相当な筋力と平衡感覚。
またそれで曲に合わせながら回転したり動きまわるので、相当いい運動になっている。

変化の多い事、曲というものを聞きながら合わせていく事などは、運動の多様性や強度、難易度を求める自分にとっては都合の良いものだし、なにしろ好きである。

相当な使い方をしているので、この数週間は金曜にブレイクダンスを少々やっただけで、あらゆるところに筋疲労が出る。
そして3〜4日間も続くのである。

この様にしてから、自分の体がまた新しく変化していくのを感じる。
少しずつ若い頃の元気さを取り戻しつつあると感じる。
それに歳相応の工夫を凝らしていきたい。

仕事が割と体を使うものと言う事もあるが、今まで仕事が中心の生活になって久しく、自分の基礎体力の減少によるものが大きい。

体力を少しづつ回復させれば、仕事ももっとこなせるし、質も上げられる。
ダンサーの子たちとの時間の共有をきっかけに、少しづつでも自分を取り戻していければと考えている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
武術的な身体操作を追及していく中で、ああでもないこうでないと行ったり来たりするのも、基礎体力が復活してくればいくらか少なくて済む様な気がする。
ある程度の強度の全身運動をこなさないと、武術の身体など語れない。

最低限の運動量もそうだが、それに加え生活の基本となるもの、当たり前のもの、早寝早起き、食事の取り方などを考え始め、できる限り実行する様にしている。

まぁこれも仕事場でのチームワークで役割分担や運営について常に話し合い、スタッフ皆で助け合っているからできる事だ。

スタッフ6名の小さな治療院。
運営を維持するのにもやるべき事もなかなか多岐にわたる。
皆が協力的なのは有難い。

これからもスタッフが皆前向きに仕事に取り組める様な工夫をしていきたい。

治療院内の施術だけでなく、様々なスポーツ選手やダンサーなどのケアや試合・大会などへのトレーナー業務、往診、親交のある他の治療院への見学などなど、その為のつながりを絶やさない様に努力するのも院長としては大切な業務。

様々なものへ精力的に働きかけていく為に、基本体力を安定させなければと強く思う。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
武道の鍛練は自分の生活にとって不可欠なもの。
また、仕事等生活の忙しさで体力を低下させたのもの必要であったもの。
これにより深く身体、精神について試行錯誤ができた。

それは自分自身の為になり、それが治療を通して患者さんたちに還元できている事からそう思う。

これで良かった。
今もこれでいい。

もっとこうであったらと思う事はよくある。
が、その様な不満の思いに支配される事はなくなってきた。

なぜか。
少しづつではあるが、自分の好きなものに関わっていられると言う事。
それから、今の状況を受け入れられる様になってきた事が大きいと感じる。

受け入れれば何かが変化していく。
時間がかかるかもしれないが、しばらくはただただ耐えなければならないかもしれないが、今となってはそう思う。

楽に選んだ道ではないから。
自分の意志だけで勝手に決めた状況ではないから。

自分のやりたい事、またしなければならない事とを計りにかけながら、優先すべきを優先し、自分の事は少しだけ後回しにしてきた。

でも好きな事は絶対に止めない、捨てないと思い続けてきた。
そうしていけば必ずどこかで神様がバランスをとってくれるのかもしれない。

自分の熱意だけでは物事ずっと続けてはいけない。
そういう時代はいつか終わる。

必ずまわりに受け入れられるもの、役に立つ事を目指していかなければ継続は不可能であると痛感する。

逆もまた然り。
一心不乱に自分の事に集中すれば、必ず誰かの役に立てると言う事だ。
そうすれば必ず協力者を得るものだ。

ともかく、自分の好きなものは好きでとおしていきたいものである。

若返り?

昨日。

スタッフみんなで業務終了後から、月末月初毎度の保険請求の事務作業を完了させ、11時頃帰宅。

一休みしてからまたダンサーの子たちの練習場所へ向かった。

前から親交のあるチームの子たちだけでなく、いろんなところから集まったダンサーの子たちの体を診させてもらう。

ブレイクダンスをやっている子たちの集まりなので、若いとは言えハードな練習であちこちに痛みや故障を抱えている。

昨日は先週と違い、だいぶ暖かくなったので楽だった。
とは言え、野外であるから動いていないと冷えてくる。

床にキャンプで使う、寝袋の下に敷くマットを広げ、そこで施術する。

場所的にも時間的にも人通りは少ないが、野外の床で施術するのは、ちょっと奇妙な光景かもしれない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
立て続けに数人の調整をしてから、自分も若い子たちにいろんなブレイクダンスの技の基本を教わってみる。

初めて挑戦した片腕の肘で逆立ちして、その場でピョンピョンと跳ねるもの。

これはバランスを取って立つだけでも難しいと思ったが、かつて器械体操をやっていた感覚と武道空手の身体感覚が役立ったか、案外恐怖心も無く、意識せずできた。

初めの内こそ立つのもやっとだったが、だんだん慣れて10分ほどで安定する様になり、なんとその場で2回!ジャンプする事ができた。

練習中、一人のダンサーの子がとても興味深い事を言ってくれた。

「木田さんて(逆立ちから)倒れる時も絶対安全な方へ倒れますよね。」

なるほど。

片腕の肘で逆立ちし、両足を伸ばす反動でジャンプすると言う特異な動作で、失敗して崩れ倒れる時も、不思議と一度も危ないと言う感覚が起きなかった。

宙返りとかであれば別だが、基本的に重力に逆らわず、脱力し易い様に自然に落下するだけなので、「落ちる」と言う事を研究し続けてきた為かもしれない。

これはもともとアクロバティックな事が好きな方で、器械体操やブレイクダンスに興じてきたのもあるが、甲野善紀紀先生と黒田鉄山先生によって紹介された
「古流柔術の受け身」
を20代後半に知って以来、今も自分なりに稽古している事で得た感覚によるものが非常に大きい。

飛び込み前転の様な前に進むものとは違い、その場で何回でも回れるといった様な動きである。
地面を足で蹴ったりしたら、絶対にこうはいかない。

この鍛練により、立ち技だけの身体感覚よりも三次元的に変化の大きい身体感覚を得たと感じている。

地面に落ちる時の外力を上手く流す、やわらかく身体を脱力させて、変化の大きい高速の動きをする。

武道的な身体操作で行う受け身。
武道、武術である以上、必須であると思っている。

自分を見て言った若いダンサーの一言が、今後の稽古を方向付ける大きな意味を持つと感じた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
それにしても、ダンスはやはり見るのとやるのでは大違い。

それは難しさではなく、面白さがである!

これは少しずつ難易度の高い技を身に付けていく達成感がある。
若い子ならはまっていくのが改めてよく理解できた。

自分の様なおっさんが、初めて挑戦した技で予想外の結果を出したのを見て、若い子たちもだいぶ盛り上がった様だ。

普段は若い子たちに元気をもらっていたが、逆に自分が若い子たちを元気にしてあげられる事もできるのかもしれない。

その後またいくつかの技を教わって、自分も得意なエレクトリックブギー(今のアニメーション、ポッピングと呼ばれるダンス)を少し教えたりして午前3時頃、帰途についた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
自分が武道空手に取り組むのに、一番重要としてきたもの。

医学的な知識をもとに東洋医学や中国武術的な発想で、より身体の感覚を明確にしようとしてきた試みが、ブレイクダンスなどのバランス感を求められるものにも通用するなと再確認できた。

自分の方向性。

もっといいものもあるかもしれないが、間違ってはいない。

これからも、そんな自信を持って取り組んでいきたい。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今週は自分が治療院で担当する、いろんなダンスや舞踊の先生や練習生の方々からのお誘いを受け、2日の朝鮮伝統舞踊、5日はクラシックバレエと、発表会が続く。

いくつになっても、「やる側」の人たちはとても前向きで気持ちが良い方ばかり。

自分は治療を仕事にしている為か、いつの間にか「やる側」から「サポートする側」に意識が変化していた。

確かにダンス愛好者はもちろん、一般の患者さんを診るにも、サポートする側であるのは当たり前なのだが、自分と言う個性はいつまでも「やる側」でもありたいと思っているらしい。

それが今回、ブレイクダンスを若い子たちに混じりやってみて痛感した。

「やる側」の気持ち良さを理解している方が、ケアする側としてもよりいいと思う。
自分の場合は。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ダンスでも、武道でも常に「やる側」。

「アマチュアに引退はないから。」

自分が高校から20代後半までお世話になっていた地元トレーニングセンターのオーナーの磯村俊夫コーチの言葉。

高校2年の最後、関東パワーリフティング大会で、自分を優勝まで導いてくれた恩のある方。
その後、プロ格闘家としてデビューするまで、してからも鍛えて頂いた。

現在60代半ばになられるか。

50歳過ぎてからもアマチュア・ボディビル世界大会で3位に輝き、56才でもマスターズ日本大会で優勝(5連続優勝!)され、生涯現役を証明されている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
東洋医学も「やる」医学。

実際の経験、体験から技術、学問として体系付けられた医学。

常に「自らが行う」と言う意欲を持って、東洋医学と武道、ダンスにもずっと自ら取り組んでいきたい。

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。