武道空手研究会 ~武術・ダンス・東洋医学~

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野菜スープ2

その後も野菜スープを作りおきして夜に飲んでいます。
こちらは小松菜とじゃがいもをベースに、やはりショウガを加えております。



見た目はまずそうに見えるかもしれませんが、今回もだいぶおいしくできました。

夜だけでなく、昼食も摂り過ぎると体が重くなり、午後の仕事の動きが悪くなるので最近は以前より少なめにしています。

仕事中も、午後は19時まで患者さんを受け付けているので、17〜18時の間におにぎりを一個食べる様にして、小刻みに食事を摂っている感じです。

そして帰宅する前にスポーツドリンクか果汁のジュースを飲んで、少しだけ血糖値を上げておきます。

ダイエットに詳しい方ならご存知でしょうが、空腹時から血糖値を一気に上げる様に、しっかりとした食事を摂ってしまうと、血糖が下がりきった体は体内に蓄えようとする働きが強まり、脂肪をつけやすくするそうです。

ですから、血糖値が急激に上がる、急激に下がると言う状況を避ける為、帰宅後の食事前に少しだけ血糖を上げておく処置です。

血糖値をある程度平均に保つ様にして、少しでも疲労を避け、疲労回復を図ろうとする、アスリートがよくやるやり方です。

この様に“小刻み食い“を始め、朝と晩にできるだけの運動を始めたところ、体重が2kg増えました。

動物性食品も以前より減り、一日の合計の食事量も減った様に思うのですが、結果として体重が増えたのです。

やはり、効率良く身になっているのでしょうか。
筋肉量の多い、下半身の鍛錬を強化したからかもしれません。

とまあ、全体に調子がいいように見えますが、ここのところまた腰や背中が筋肉疲労から痛みに変わってしまい、動きの調子は決してよくありません。

仕事をしながら、日々の運動をこなしていくのはなかなか大変なものです。
ですが、この様に体を痛めるのも、自分には治療技術を上げるチャンスです。

自らの体を実験台に、鍼灸やあらゆる動きで良くしようとすれば、必ず治療に還元できます。
むしろ、武道を主とした身体開発が進まないと、自分の治療技術も発展が無いと言えます。

運動療法はもちろん、伝統的鍼灸や漢方も、その時の体調に合わせて色々な試験ができます。

そうしてみれば、痛めた腰も幸い。
これでまた自分の体が理解できる。

時間が無い中で運動をするのも幸い。
四六時中、いつでも武道的身体であろうとする意識が高まる。

公私ともに人との対応がうまくいかなかったと思っても幸い。
また自分自身を見つめなおせる。

何かをやりたい、向上したいと思った時、全てのネガティブがテストみたいなものになる。
そのテストをクリアすればまた目標に近づく事ができる。

今はとにかく、何でもやらなければと思う毎日です。
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野菜スープ

突然ですが、先ほど野菜スープを作ってみました。


中身はじゃがいも3個、ピーマン2個、にんじん2分の1本、しょうが1片(野菜ばかりだと冷えるので)、セロリ2分の1本、です。

これで中なべの半分以上の量になりました。
見たからにまずそうです。

本来はこのままグイっと飲んでしまうのがいいのかもしれませんが、体の冷えやすい私は少しでも火を通した方が良い様です。

まずはジューサーにかけドロドロにしました。
本当はゆでてからにすれば、もっとおいしくなったのでしょうが、突然夜になりやるぞ!となったので時間的余裕がなく、とり急ぎの妥協策です。

そして少量の水と牛乳を加え、コンソメの素2コを入れて煮込みました。


夜に突然だったので、妻にも頼めず自分でやったのですが、自分でやった方がいい様なきがします。

自分の体を自分で管理する、そしていい稽古をすると言う思いも自分のものになる気がします。

アクを少し取ったあと、おそるおそる試食してみると・・・・
「ん、結構うまい!!」
と言う思った以上のでき具合でした。

数日分の量ができました。

実際食べる時には、すりゴマをかけようかな、コショウもかけようかな、動物性の物も少し入れたければ粉チーズはどうかな、などといろいろ考えておりました。
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なぜいきなり夜に野菜スープなどを作ったかと言うと、平日夜の運動量、運動時間の確保の為です。

普通に働いていれば、帰宅時間が遅いのは当然です。
とすると、食事を摂る時間帯も遅くなる。

運動をしてから食べるのは、食べてすぐ寝る事になり、胃の弱い私にはかえって体調を崩すもとになります。

帰宅してからすぐに食事をして、さあ動こうと言うのも無理です。

とにかく、胃が弱い者にとってはこの「夜の食事」の量と質、時間帯と言うのが重要課題になってきます。

要するに、腹の負担にならず、質の良い栄養素を簡単に取れる食事があれば良いのです。

前々から思っていたのですが、ようやく今日から実行する事ができました。
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これで平日、帰宅後すぐに稽古してから食事をすると言っても、野菜スープを適量飲んで、時によっては、それに多少の副菜を摂ると言う様にすれば思った様な運動する時間と体調の維持が可能なはず。

今思えば、入門したての頃から食事については、重要なアドバイスをして下さっていました。

「食い過ぎてると感性が鈍るよ。」
「食べてるものは、感性に大きく影響するよ。」

と粗食、少食の大切さを常々言われていたのを思い出します。

当たり前と言えば当たり前。
体をコントロールする術を磨く者が、口に入り身になる食べ物を大事にするのは当然。

忙しい、時間が無いと言うのは恐ろしいものです。
本当に時間が無い時もあるのですが、逆に本当に切迫した状況になればやるものです。

忙しいと言う言い訳は、極力したくないものです。
それでも宗家はたまには自由にやるのも良いと言う事も言われていました。
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私は若い頃(シュートボクシングのアマからプロの現役時代)、飲食関連のアルバイトばかりやっていました。

調理は苦になりません。
ラーメン屋、居酒屋、ステーキ屋と、全て厨房スタッフでした。

一番自炊をしていたのは、柔道整復師の専門学校に通っていた時、整形外科に住み込みで勤務していた時です。

この頃、タコ部屋の様にキッチンとリビングの大部屋から四つの小さな部屋のついた病院の3階に住んでおりました。

同じ専門学校の同級生が2人、別の専門学校生が1人といった仲間で住み込んでいました。
いや、本当に楽しかったです。
結構、私は人にふるまうのが好きなようで、色々な料理をみんなに作ったりしました。

この時の同級生たちは、現在は皆、自分の治療院を持つ院長先生です。
同じ釜のめしを食うと言うのは、本当に大事な経験です。

けんかした事もあれば、楽しく仕事をして地元の患者さんたちと交流し、仕事や学校以外でも飲んだり、食べたり。

そうそう、この頃が一番道場で稽古した時期でもありました。

当時いた先輩と一緒に、稽古日の月、水、金と夜中まで稽古し、そのあと道場近くの先輩のアパートでビールを飲んで、軽い食事をし、明け方に眠ってそのまま病院に出勤すると言う日々。

この時には飛躍的な進歩はありませんでしたが、技術的だけでなく、精神的にも現在の支えとなる基盤が築けたと思っています。

この様に仕事でも、道場でも仲間と過ごした時期と言うのは、とても楽しく、軽い表現になってしまいますが、毎日が“ノリ”で行けてしまいそうな日々でした。

あの時の勢いを忘れずに、一人あっても生活の中に取り戻していきたい、と思う今日この頃です。

役割 〜一人一流〜

先ほどテレビで英才教育についての番組を観た。

IQの高い子供が集まる小学校の教育法や、自分の子供たちをお金をかけずに工夫と努力だけで現役一流大学へ合格させた母親の教育法などが紹介された。

自分も子供をもつ身で、最近、算数がイマイチだなぁとか考えていたりするので、

「ふんふんなるほど、それはいい。うちの子供にならどうやって応用できるかな。」

などと考えていた。

しかし、うちの子供の個性では、どう考えても詰め込み型の指導や、決め事で縛るのが難しいと思ってしまった。

やはり、自分は自分なりに娘に良いと思った事をやっていくしかないのか、と考えていたところに、番組の最後で司会者のタモリさんが、この様に締めくくった。

「こういうのは絶対にいい。でも社会全体がこういう方向性を求めたらいけない気がする。
エリートたちは国には絶対必要だが、その他、芸術の世界、職人の世界とかがバランス良く栄えた方が、健全な社会だと思う。」
と。

皆が同じ方向に行くのが良いと思い込んでしまっている、現在の日本が陥ってしまっている状態ではないかなと感じた。

もともとは生命の世界には“多様性”が不可欠である。
それが無いと、次へ命をつないでいく事ができなくなる。
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自分はレベルこそ低いものの、確実にその「芸術や職人の世界」に分類される人間であると思う。
そして娘も。

だから、娘の教育を考えた時に、エリート教育を少しでも取り入れられるか、と考えた時に妙に
“苦しかった”
のである。

親子だから似た性格であるし、先日自転車の練習をさせていた時も、自分の父、叔父、妻、などの教え方に比べ、自分の教え方で急激に進歩した事でも痛感した。

恥ずかしい話だが、小2の娘はまだ自転車がまともに乗れない。
3歳からバレエ教室にも通っているし、たまに空手の動きなどさせたりしても、決して運動神経が悪い方ではない。

妻共々、自転車練習の時間が取れなかった事に尽きる。
親の責任である。

自分の教え方は、自転車と言う道具に慣れさせる為、実際にこぐ動作ではなく、段階的に必要だと思う動きを分解して教え、最後にそれらを統一させるやり方をした。
2時間後は、自分の予想以上にこげる様になった。

途中で「おしっこ。」と言ったが、夕方とはいえ暑い日だったので、これはきっとさぼり心で休憩したがってるなと感じ、
「あとでしろ。」
と言って続行させたのも良かったと思っている。

気分屋で根気がないのも、自分と似たところであるので、顔色を見ればすぐに分かる。
途中までできそうになったところだったので、そういう時は一気にもっていかなければならない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
自分が娘にしてやれる事は“楽しませてやる事”だと思った。

子供には自発心を一番持ってもらいたい。
だから楽しんで、自らやる状況を作ってやりたい。

できなかった事ができる様になれば楽しい。
探究心も旺盛になる。

そして、自分の個性に合った生き方をしていってもらいたい。
そうすれば、自分で意識しないでも誰かの助けになれる事ができる。

医学でも武道でも、名のある先達は社会に広く働きかける事ができる。
しかし、それこそ個性であり、そういう意味では選ばれた者にしかできない事。

しかし、自分自身が思うのが、そう言った“大御所的な”方たちの教えは、理解できない者もいる。
いくら理解しやすい形にされたとしても、それでも分からない者たちがいる。

それが社会であり、個性であり、多様性である。
逆にそうでなくてはいけないのだ。

冒頭のタモリさんのお話の様に、そうした多様性が共存している状態が、健全で、自然で、バランスのとれた世の中なのだと思う。

大御所たちではできない事もあると思うと、レベルの低い者にしかできない事も当然ある。

自分は自分と共鳴できる患者さん、運動愛好者たちに少しでも貢献できればと思っている。
何事も最終的には“相性”である。

娘にも、その様に自分のできる事、できる範囲をよく分かって、精一杯個性を発揮してもらいたい。

そして、大勢でなくとも、身近な人たちだけでも、何か手助けできる様になってもらいたいし、そこを目指してもらいたい。

柳川宗家が言われた
「一人一流」。

全ての人は皆自分のスタイルを持つ。
この言葉の重さを再確認した次第である。

全身の脱力と統一 〜道具の効果〜



昨日出勤だったせいか、仕事や練習、その他の疲れが出たのか、本を読みながら昼寝してしまった。

マッサージ、運動療法、鍼灸など、前かがみになる事が多いので、背中や腰に疲労がたまる。
今週は基礎的体力の運動をよくこなしたのもあり、腰が特に疲れている。

営業、デスクワークなどの患者さんたちに多い腰の疲労感、鈍痛があった。

通常、腰の痛みなら、腹筋や背筋、または下肢全体のストレッチや筋トレで再発予防をするものだが、もっと根源的に良くするなら、全身の運動で調整しなければならない。

高岡英夫先生の「ゆる体操」や、気功、中国武術の内功などにあるリラックスして立つと言う練習を始め、全身運動で調整していく方法が、古今東西で様々開発されている。

人間の体と言うものに対して、自分もやはり「立つ」と言う事を基本に考えたい。

まずは偉大なる先達が一応に言われる様に、
「脱力して立つ」
と言う事が大事。

「天からの吊りもの」だとか、「浮身」だとか、脱力して立つと、自ずと頭のはるか上から吊り下げられている感覚が起こる。

この感覚を出すのは大変と思われるが、とりあえず体感させるだけなら、「棒」などを持てばよい。

できるだけ長い物を縦に持ち、重力の方向性を感じるのだ。
手はもっとも敏感な部位であるから、その重力の感覚が大脳に伝わり、全身に影響する。

ここで、剣術や棒術(杖術)などを主とする武器術の流儀に有利な点が挙げられる。

以前、B-FIELDの山下さんと御一緒させて頂いていた剣術、居合術の道場でも、そうした道具を軽く軽く持つ、扱うと言う事を徹底して指導頂いた。

手で握れるほどの長い物を軽く持ち、自在に操るためにと意識し、その様に動けば、自然に体は脱力し、最小限の力で動こうとする。

道具ばかりでなく、自分の五体にも重力に逆らわず動こうとする意識が形成されていくのだ。

このあたりは柳川宗家は、全身を使い、脱力から始動する自然落下にまかせた木刀の素振りを相当こなされたから、体の「動的な軸」すなわち「正中線」を得やすかったものと思われる。

棒なども良いが、琉球古武術などで行う「ヌンチャク」や長い鎖の先に分銅のついた「スルジン」などの、ひもの様に曲がる性質を持った物をぶら下げると、また変わった重力の感じ方をすると思うのである。

これはもともと自分が、ヌンチャクや「万力鎖」、「分銅鎖」、中国武術の「縄鏢」や「九節鞭」などの自在に曲がる武器が好きであったから、自主的によく扱っていて思う事である。

垂直な重力方向に脱力させる為、患者さんに分銅鎖でも持たせてみようか(笑)。

2009-07-15 22:55:38


ただ今地元ソウルバーで一人飲みです。

1杯目。
ジントニック。

2杯目からボトルを出してもらい、バーボンをちびちび。
ああ〜、うまい!

大好きなソウルのスローバラード聞きながら。

酔いが回るにつれて、なんだか

「皆さん、ごめんなさい!」
と言う気分になります。

自分の好きな事を追い求めるって、知らずの内に周囲の人たちにいろんな迷惑かけてるんだと思います。

でも超気分いいです。

いいお酒と、大好きな音楽で、普段してない、ゆったりとした呼吸ができてる感じです。

酔ってきたので、一人の世界に戻ります。

皆さん、お休みなさい。

速さではなく抜くタイミング

相手と対峙すると、とかく早く反応しよう、速く動こうとしてしまう。

すると意識的な動きになり、能動筋力が主体の居着いた動きになってしまう。

そうではなく、全身の自然落下、「抜き」や「沈身」で始動する為に、力を抜くタイミングだけに集中すべき。

あとは自分の体が通るコース、手が通るコース、足が通るコースを分かっていれば良い。

二聖二天流研究会

「3歩進んで2歩さがるくらいの気持ちもあっていいんじゃないか。」

地元の親友から言われた言葉。
自分は前から、気張り過ぎるなと、周囲の人たちからよく言われてきた。

確かに、
「3歩進んで、もう1歩出そうとして、5歩くらい下がってしまった。」
なんて事がよくあった気がする。

勢いが余って疲れに気付かず、自分の行いに誤差が生じ、気付けば大いに道をそれてしまったと思える事もある。

そのたびに修正を加え、今ではそれも糧として必要であったのだ、と思えるものだが、ある程度の年齢になったら、道を大きくそれる様な無駄は少なくしていきたいものだ。

歳と共に冷静さや、判断力などが身に付いてきて、自分の歩みの誤差をなるべく小さくできる様でなければならない。
若い時の様な、無駄をできる余分な時間も体力も無いからだ。
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友人から、がんばり過ぎて空回りしない様に、無理しない様にと、助言してもらった訳だ。

久しく会っていないので、互いにメールで近況報告をした。
その彼のメールの中の助言が、冒頭の言葉である。

その彼に言った事が、自分なりに仕事も武道もまた一から頑張らないと、という事だったのだが、具体的には、自分の稽古会を再開したいと言う事、それからこのブログでも動画などで、自分なりの宗家の技の解釈をどんどん発信していこうと言う様なもの。

仕事が忙しくと言うのを理由に、やってこなかった事をやらなければならない。
少しずつでも。
できる範囲で。
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宗家の技術は、宗家にしかできない特殊なもの、などと評されるのをよく聞くが、そうではない。

学び方によって再現できるものである事を証明したい。

なぜなら、自分のどこを切っても宗家の技しかでてこない。
もちろんそれはレベルの低いものかもしれないが、宗家の技を追って、宗家の技にあこがれ、宗家の技を体現しようと四六時中、何の動作の時でも二聖二天流に役立てるには・・・と考えている。

体の開発は一生もの。そしてそれが精神の開発と密接に関係している。
そう言う一生ものの財産を頂いた恩を返す為、自分なりのやり方を精一杯していきたいと改めて思ったのである。

そこで、新たな決意として、またブログの題名を変えてしまったのである。

「二聖二天流研究会」

これはあくまで宗家の技そのものではないが、木田実個人が感じ、実践して成果のあったものを、自分なりの宗家の技術の解釈として出していく研究会を発足させると言う意味。

稽古会が再開できておらず、自分一人ではあるが、とりあえずスタートさせてみたい。

武道、ダンス、東洋医学も、今までどおり自分の一部分であるから、今までどおりに関わっていくし、様々な発信もしていきたいと思う。

まだ何も動いていないが、自分の中では大きく動き出したと言う事で、すべてが再スタートである。

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