武道空手研究会 ~武術・ダンス・東洋医学~

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スポーツトレーナーの厳しさ

今週も忙しかった。

治療院に来院される患者さんも日に日に増え、新しいスタッフが来るのを心待ちにしている状況。

そんな中、治療院以外の事も多々あり、昨晩は文京区にある提携クリニックにお邪魔し、医師の皆さんの集まりに参加させて頂き、神経難病による訪問治療についてのお話を伺った。

皆さん、医師だと言うのに、ざっくばらんにビールを飲みつつ、お話して下さったので、こちらもついつい調子に乗り、質問をたくさんしてしまった。

これからも月に一度はある予定。
往診でうかがっている患者さんなどについて、専門の医師に直接質問できる。
楽しみである。
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土曜の診療時間は、早めに終わる。

ちょうど片付けをしている時に、テコンドーの黄秀一師範が遊びに来て下さった。

当院スタッフが10年前からテコンドーの世界大会へトレーナーとして同行している事もあり、テコンドーの大会でのトレーナー業務や、治療院にも選手が多数来院する。

今年の10月にロシアでの世界大会もあり、その強化練習が毎週日曜に行われており、当院スタッフも交代でトレーナー業務を行っている。

自分も黄秀一師範とは10年程前からの顔見知りなので、治療をしている選手の体調などについて話し合う。

怪我を負っていても、練習や試合への参加意欲が強く、なかなか休んだ方が良いとは言いにくいところが悩みどころなのは、今も昔も同じである。

先日のB-BOYパークに参加していた若いブレイクダンサーもそうであった。

自分もシュートボクシングのアマチュア全国大会で優勝できた時、試合三日前に急性腰痛に見舞われ、整体治療などをしてなんとか参加したのに優勝できた経験がある為、無闇に怪我だからと言って止める事ばかりは考えられない。

黄師範も同様に、世界大会の直前に、手の甲を骨折していたのを隠しとおして参加した事があると言う。

日本にいる間は包帯を巻いたり、テーピングなどで固定すれば、怪我したのが分かってしまい、出場を取り消しにされてしまう恐れがある為、何も固定せず、そのまま練習し、世界大会の開催地についてから初めて固定をしたと言う事をしたそうだ。

やはりトップに行く人の気持ちの入りようは違う。

だが、怪我しても気合でやれなどと言う気持ちも無いが、怪我を理由に早々に止めるのもしたくない。

本人の意識の高さ、熱さと怪我の状況を計りにかけながら調整していかなければならない。
これがスポーツトレーナーの厳しい点である。
さあ、明日もまたブレイクダンスのバトルイベントへ、救急班として参加しなければならない。

明日も暑くなりそうだ。
無事に終わってくれる事を祈りつつ、氷のうや包帯、テーピングを準備する。

おっと、その前に月末月初の保険請求事務がある。
もうひと頑張りするか。
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連動

自分が空手を学んでいく事に対していつも思う事。
それはやるべき事は少なければ少ないほど良いと言う事。

現代において、普通に仕事をして生活しておれば、自ずと許される時間は限られてくる。
そんな中で多くの型や基本動作、基礎体力鍛錬など、やろうとしたらキリがない。

自分も歳を重ねるごとに、普通に生活する事の大変さ、忙しさが身にしみる。

と言っても、やりたい事がある以上、泣き言ばかりは言ってはいられないので、様々工夫する様になる。
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そんな考えを巡らせる時、いつも羨望の的になるのが中国武術である。

特に太極拳や意拳などの、「内家拳」と呼ばれる種の中国武術は、その鍛錬法がシンプルでいて、非常に深い術理を兼ね備えたものであると思う。

自分は鍼灸の師匠から、太極拳と意拳の手ほどきを受けた事もあって、とくにその思いが強い。

特筆すべきは、鍛錬と養生を一致させている点にある。
これは仕事やその他、生活の中でたまる疲労をどう克服していくかと言う事に希望を与えている。

もともと丈夫と感じない者もあるが、歳を取るほどに体調の維持と言う問題は、切実である。

自分が治療家だからという事も、この点に目を向けさせる。
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鍛錬と養生を両立させたい。

そう思った時に、やはり自分は日本武術を選ぶのである。

なぜなら、中国武術を専門にやった事も無く、今まで知りえた確実なものは日本武術によるものしかないので、その成り行きも当然である。

また自分が日本人だから日本の物を大切にしたいとの思いもあるし、日本人はやはり日本の風土や文化、習慣に合ったものが良いのではないかと思うのだ。

これからの時代に、あまり国や文化にこだわり過ぎて、世界化に取り残される事の無い様な姿勢ではありたいが、それでもやはりちょっとやそっとの時代の経過では変わる事の無いものが日本のみならず、世界のそれぞれの国にあろうと思う。

むしろそれはあるべき、残されるべきであろうし、あまり自分のアイデンティティが希薄になるのもどうかと思う。

文化の交流、交配は悪い事ではないが、全部が全部混ざりきる事はありえないだろうし、人間の深い意識の底で、それを許さないのではないかと思うのである。

様々な国で、古来の文化や習慣を保存しようと言うは働きかけがあると言うのを良く聞くし、そのままの形で残ってこそ「世界遺産」にもなろうと言うものである。

純粋な伝統文化や世界遺産は、単なる形だけのものではなく、人の深い意識の底に訴えるものがあるのだと思う。
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自分が日本武術の技術で、身体能力の向上と養生を求める時、必ず気がつく点がある。

それは身体各部の「連動」である。

もちろん、その場その場に適した脱力が必要になるのが大前提であるが、この連動を意識した身体の操作を行う事で、健康を保てるのではないかと考える。

古伝の武術の原理を体現させる、現代の武道家の諸氏たちも、この連動的な動きによる基礎的な体作りの方法を発表されている。

自分もこの点に着目したい。
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自分が行うのは空手を専らとするが、自分が知る限り、人体の連動を体感させやすい鍛錬法、動きはあまり見受けられない。

身体内部ではそういう使い方なのだが、「技」として行うには極力その「連動」が外から見えない様にする為、あまり伸び伸びした動きではない。

また空手(自分が知る限りの)には体幹部の動きの変化が少ない。

一般には、打撃系を主とする武術であるので、寝る、倒れる、と言う動作は非常に少ない。
体幹部に“三次元的感覚”を養成する動きに乏しいと感じるのである。

自分が学ぶ二聖二天流は、もとを和道流を始祖とし、その和道流は日本古来の「柔術」を融合させた流儀である。

その「柔」の動きの中に、「座礼」やら座ってからの腕を取る柔術的攻防の動きが、今も約束組手などに残されている。

また、自分はB-FIELD代表の山下さんと御一緒させて頂いていた剣術、居合、柔術の道場にて、やわらかい「受け身」を教わった。

前受け身、後ろ受け身、横に回る受け身など、どれもやわらかく静かに行う事から学び始め、身体の連動感と地面を蹴らない武術的な基本操作を学んだ。

以前から続けてはいたが、この柔の受け身をもっと掘り下げて活かしていきたいと思った。

全身の連動感と、三次元的感覚。

これは体幹部をより柔らかくすみずみまで使い、結果ほぐれて疲れも取れようと言うものだ。

ふと森光子さんがお元気でいられるのは、「でんぐりがえし」を続けておられるからかと思ってしまった。
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中国武術、内家拳には「站椿」や「立禅」と呼ばれる、鍛錬と養生の精髄がある。

ただ立って行うだけの方法。
内包される理は無限であろうが、極めてシンプルである。
また、内家拳の動き自体、柔らかく連続的な動きである。

自分も空手の動きから、この立禅的に「立って」行う鍛錬と養生も備えた方法に取り組んだ時もあったが、自分の体質か性格か、以前に行ってきた種目の影響もあってか、もっと複雑な動き、三次元的な動きが欲しいと思ったのだ。

でも鍛錬法の種類は多くはしたくない、そう思った時に自分が選んだのが「柔の受け身」だった。

腰も疲れやすい、肩にも古傷を抱えている、疲れやすい、それらを克服するのは、全身の連動を身に付ける身体操作を含んだ稽古法である。

筋力を増強する前に、持久力を上げる前に、関節を柔軟にする前に。

まずは、「静かに、やわらかく全身を連動させる事」なのではないか。

また、中国武術は大陸の文化、靴の文化であり、立つ事が得意で、習慣にも合っているのかもしれない。

日本文化は座敷の文化。

座敷に座ったところからの変化、身体の使い方が日本人に向いているのではないのだろうかとも思うのである。

古来、武家が座禅に励んだのも、「立つ」事より「座る」事になじんだ日本人が、自然と選択した方法論なのかもしれない。

静かに柔らかく連動させる事から始める。

その先に早い、強い動作がある。

自分も仕事などで忙しいとは言うももの、身の回りの事、身の回りの人間関係も、静かに柔らかく連動させていきたい。

太る宣言!

治療院は相変わらず忙しく、スタッフみんなで力を合わせ、毎日なんとかこなしております。

あまり余裕が無いと言う訳でもないのですが、10月には有能な人材を迎える予定なので、それまでの少しの辛抱です。

ですが私は情けない事に、夏風邪が長引き全力が出せない状態が続いています。

ここのところ、ちゃんとした休養が取れていなかったのもあるのでしょうが、自分の鍛練や調整に使える時間も不足気味であるからだと思います。

先日、近所に住んでいる地元の友人から言われた、

「お前は小学校までは太っていたのに痩せてしまったから、寒がりになったんだよ。」

との一言が、結構当たっているかもしれないなぁと思い、1〜2ヵ月で少し太ってみようかと思い立ったのです。

成長期に肥満児であった事が影響していない事はないでしょうから。

私に太極拳と意拳の手ほどきをしてくれた鍼灸の師匠にも、
「お前はあと10kg位あってもいんじゃないの。」
と言われた事があります。

10kgとは言わずとも、あと4〜5kgはあってもいいのでは、とあらためて思いました。

仕事も自分の鍛練も、勉強も、余力がなければ出来る事ではありません。
少し、技術的な事よりも、体力そのものを見直すべきかと思いました。

以前から感じていた事でもありますが、ここまで忙しくなって初めて本気で考えられる様になったのかもしれません。

なるべく武道的な動きで鍛練していきたいですが、目標は自身の重量アップと言うところを主眼として取り組んでいきたいと思います。

もっともっと精力的に仕事も鍛練もこなしていきたいものです。

B-BOY PARK 2009



今週も治療院はとても忙しく、少しの運動の時間を取るのもやっとな状況でした。

盆休み明けでお出掛けによる疲れを取りたいと言う事もあったのでしょうが、俗に二八と言われるこの時期に忙しいのは有難い事です。

そして昨日の土曜、代々木公園で行われたB-BOY PARK 2009 に行ってきました。

これは20歳以下のみ参加できるブレイクダンスのバトルイベントで、その規模も大きく全国的に有名なイベントです。

野外でのこんな大きなお祭り騒ぎはとても開放的です。
当日は自宅治療院で、午後1人だけ患者さんを治療し、すぐに会場へ向かいました。
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関東全域はもちろん、北海道、東北、関西、北陸からも若いダンサーがこのバトルのタイトルを獲得すべく終結しました。

ダンスバトルだけでなくMCバトルや、著名なアーティストのショーケースもあり、私も十二分に楽しめました。

私はもちろん、患者として診ているダンサーの子たちがチームで参加する事もあり、そのトレーナーとして参加。

人ごみの中、地元のダンサーの子たちを探していると、背の高い黒人が目にとまりました。

私がシュートボクシング現役時代にリングアナをやってくれていたゴスペルシンガーのアレックス・イーズリーです。

彼とは6月にビルボードライブ東京に行きましたが、なぜか約束していなくても、こうしたブラックカルチャーのイベントなどで、ばったり出会う事が多いのです。
もう21年の付き合いです。

それからダンサーの子らと会い、白衣に着替えて準備をしました。
こうした場所で白衣は違った意味で、かなり目立ちます(笑)。

ちょっと恥ずかしいなとも思いますが、知り合いの子たちだけでなく、他のダンサーの子たちにも、何者かが分かりやすくする為にアピールしなければなりません。

その甲斐あって、結果多くのダンサーたちが相談に、応急処置を求めに来てくれました。

こうしたイベントにちょこちょこ顔を出す様になると、顔見知りのダンサーたちも増えてきます。

そうした子たちから声をかけてもらうのは、本当にうれしい事です。
おっさんになってくると、周りから段々かまってもらえなくなってきますので・・・。

(DJがダンサーも観客も盛り上げてくれます)
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ブレイクダンスのイベントは格闘技なみに激しい為か、外傷を負う子が必ず出ます。

膝の内側を強く地面に打ち付けた子。
明日もチームバトルに出たい、20歳前の最後の機会なので、出るだけは出たいとの事で、テーピングとシップ、包帯で固定。

イベントが終わったらきちんと治す様にアドバイス。

その他も、肩関節、指、背中などを痛めた子、古傷の痛みが続いている子などを診ました。

みんな一つの事にかけている子たちで、その気持ちのパワーを自分がもらえる様で、こうした活動はやめられません。

治療院での一般の患者さんを診るのも、トレーナーとは違う緊張感と厳しさ充実感がありますが、運動選手やダンサーなどを診るのはこちらが活気をもらえると言うところが非常に魅力的なんです。

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イベントが終わり、スタッフの子たちがゴミ拾いや後片付けを熱心にやっていたのは、当たり前の様ですが、頭が下がる思いでした。

ダンサーの子たちは本当にみな礼儀正しく、きちんとしているので、私の方がはっと思わされる事が多く、古くさくなった頭の中を掃除する効果もあり、私にとっては学び直す機会を与えてくれるのです。

そういう事は、歳を取るほどに本当に大切な事であるといつも思います。
頭でっかちにならずにいられるのは、こうした患者さんなどとの関係のおかげです。

自分の技術の進歩もこうした関係無くしては有り得ません。

その後、地元のダンサーの子たちと帰り、地元のファミリーレストランで食事をして、遅くまで話し込みました。

40歳のおっさんによく付き合ってくれるなぁと、いつも有難く思います。
自分もストリートダンスをやっていた(今もたまにやりますが)ので、理解があると思ってもらえている様です。

今日の会場で診た子たちも何人か言っていましたが、何軒かの治療院に行ったけれど、ダンスを知らない為か、治療してもらっていても、なんか違うんだよなぁと言う感想だったそうです。

これはバレエダンサーの患者さんたちからもよく聞かされておりました。

バレエや社交ダンスはより理解する為に、体験入門もさせて頂きました。
来月あたり、またバレエ教室の体験にお邪魔させて頂こうと思っています。

その競技を充分知る事は必須ですが、運動愛好者たちには、人間の運動がどういうものか、治療家自身が体で分かっていれば、よりもっとリアルな治療とアドバイスができるものです。

勤務先の治療院でも、マラソン、自転車、ゴルフ、野球、フットサルなどを愛好するお勤めの方がたくさん来院されます。

私は武道とストリートダンスと言う複雑な運動形態の種目をやっていて、治療家として本当に良かったと思います。

そして自分の治療技術を支えるのは、常に進化を目指して武道の鍛錬に取り組んでいる事からだと痛感します。

常に「より良く」を目指していないと、治療も武道も成果が上がらなくなってくるものです。

今日も暑くなりました。

代々木公園のB-BOY PARK が無事終了する事を、自宅で網戸の網を張りかえながら祈っております。

想い

人の気持ちと言うものは、放っておけば必ず良くない方向に向かうものだと思う。

放っておけばと言うのは、外界からの刺激が無くなってしまった時、また自ら外界との交流を断ってしまった時などだ。

良くない方向と言うのは、暗い気持ち、閉じこもった気持ち、全てに否定的な気持ちなどだ。

なぜかは分からないが、人の気持ちと言うのはそういうものだと思う。


だから自分と言うものを感じる為に充実感や、喜び、楽しみが絶対に必要なのだ。

愛読書の「菜根譚」にも、人の心と言うのものは、一日の中で例え少しでも喜びや楽しみがなくてはならないと言う事が書かれている。


ただ仕事などで忙しかったりすると、そうした他者との交流や楽しみを忘れてしまっており、気が付けば何か寂しさを感じたりする事がある。
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武道は先人が残してくれた智恵である。

自分と言うものを開拓してくれる地図、道しるべである。
一人で静かに稽古をしていても、その正確さを求める時、自分と深く対話する事になる。

自分の心身に大きく、深い基準を作っていくのである。

相手と対峙した時に自在な動きができるか。

師が示してくれた動きをもとに模索していく。

自分のものにしていこうとする時、師と一体化する感覚を覚える。
師の師、そのまた師ともつながる事になる。

伝統の技を学ぶと言う事は、過去実在した歴代の
”勇者の血”
を分け頂いているのだ。
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お盆は先祖、亡くなった家族親族を想う儀式。

仏壇を飾り付けしたり、お坊さんを呼びお経を読んでもらったりと、そうした一つ一つの事で祖先を想い、つながろうとする。

忙しくても節目節目で思い出しておいた方が良い人たち。
自分の先祖なのだから、一体感があれば安心も深い。
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この盆休み中に、引っ越した古い友人に数年ぶりに会いに行った。
5人の仲間らと一緒に電車で向かった。

同級生だったので、自分と同い年の40歳。
妻子もあり、仕事もがんばっていた。

2年前に脳梗塞を患い、左半身の機能を取り戻すべくリハビリ中。

その彼が言った。

家族にも恵まれ、以前は何とも思わなかった事を幸せだと痛感する日々。

だけど、何か足りなかった。
自分が頑張る為に必要な何か。

古い友人たちとの交流。
仕事をしている時は、会おうと思えばいつでも会えるし・・・そう思っていた。

今は気心しれた友人たちとは積極的に会っていきたいと。
どんなに忙しくても、そうした時間を持つ事の大切さ。

自分にゆとりをつくる事の重要さを改めて痛感した。

自分も仕事柄、その様な体の不自由な方々の往診などにうかがっているが、既にそうした体になってしまわれた状態からお会いしたので、そうでなかった体が言う事をきいた時の状態を知らない。

だが、古い友人がそうした事になり、その変化した様や、脳梗塞が発症した時からの生々しい経過を聞かされた時、改めてそうした状況にある人たちの痛みを思い知った。
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亡くなってしまった親友。

彼の事も思い出す。
うちの娘と同い年の息子がいる。

テスト期間中など勉強もせず、学校の帰りによく自分のうちに寄り、遅くまでくだらない話をしていたものだ。

仕事は大会社の人事部で、かなり忙しかったらしい。
またプライベートでも面倒見がよく、他人の為に何でも協力してくれた。

もう4年ほど前の事か。
睡眠中、突然心臓と肺が動かなくなってしまったらしい。

それから一年。
彼は意識が無いと言われる状態でなんとかその命を保っていた。

その状態の時にも何度も会いに行った。

彼の意識が無いのかあるのか分からないが、彼に相談したかった事を小さな声でぶつぶつ独り言の様に語った。

そしてその状態で一年頑張って、亡くなってしまった。

彼は背もでかく、横にもでかかった。
酒はそんなに強くなかったが、昔からよく食べた。

うちの母親の料理をかなり気に入ってくれていた。
前に母と母が作った料理を持って墓参りをした事がある。

今日は妻と娘が実家に帰っており一人だった事もあり、ピザの出前をした。

結構くどい物、重いものが好きだった彼。
俺はもうあんまりくどい物は食えなくなってきたよ。

二つのグラスを用意し、コーラをなみなみ注ぐ。
二人で会っていた時の様に、二人で飲み、食べていた。

それはもう思い出すと言うレベルではなく、昔やっていた事のままだったので、なんとなくと言った感じなのが妙にリアルだった。
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この盆休みの初日、朝帰りをした。
仕事関係の人たちと銀座で飲んでいた(自分は酒は飲まなかったが)。

銀座と言っても、知人の店の貸し切りなので、気軽なホームパーティーみたいなものだった。

朝、ぼーっとした頭で電車に乗る。
少ない通勤客。

自分の前に座った初老の男性。

薄めの革カバンを膝の上に置き、その上に唐草模様のきんちゃくを大事そうに両手で抱えている。

きっと奥さんの作ったお弁当なのだろう。
もしかしたら、娘さんだったりして。

そんな想いでその男性を眺めていると、自分とはまったく関係ないのにすごく嬉しい様な、心地良さを感じた。

酒も入ってないのに、すっかりいい気分で最寄りの駅から自宅まで歩く。

その途中、小学校低学年くらいの男の子が、乳母車に乗った小さな赤ちゃんのほっぺに何度もチューをしていた。

おそらく歳の離れた弟か妹なのだろう。
口にするのも恥ずかしい表現だが、そこには愛情と優しさがあふれていた。

朝帰りの重い疲れも感じないほど気持ちがよく、心が和らぎ、晴れ晴れとした気分になった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
全く関係のない他人からも、愛情のおすそわけ?を頂く事があると知った。

人はつながりを求める。

自分と他者とのつながり。
自分と自分のつながり。

深い深い無意識だとかになると、自分も他人も区別がないとか。

想いは千里を走る。

想いは距離、時間も超える。

どんなものでも、人の支えは想いだけであると感じる。

少しでもいい想いを感じられる時間を作っていきたい。

体感させる施術

体感させる施術

しばらく更新していなかったので、もう7月の末になる事ですが、私のブログ読者のY・Gさんが、わざわざ治療院まで来てれました。

彼は20代前半で社会人ですが、県の陸上連盟に所属し、試合があれば出場すると言う短距離走の選手です。

以前、私の稽古会などへの参加希望で何度かメールでやり取りさせてもらっていたのですが、お会いした事はなく、この日初対面となった訳です。

Y・Gさんは特に体の調子が悪い訳ではなかったのですが、陸上競技の為に身体を向上させられたらと、私の施術を受けに、また話を聞きに来て下さったのでした。

まずは簡単に自己紹介をしながら、Y・Gさんが今までやられてきた身体開発の為の試み、そしてその経過や感想などをうかがい、御自身の体の動きにくいところ、そこを改善しようと言う事で、施術に入っていきました。
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今回の施術は、当然怪我人へのものではなく、体の動きにくいところ、硬いところなどを“連動させて動く”様にする為、私が彼の身体を操作して、まずは“体感させる”と言う事を目指したものでした。

「口で言うより、一度体感させてやるのが早い。」

これは今まで空手で指導する時も、老人介護予防の為の体操教室でもいつも自分が心がけていた事です。

なぜなら自分が一番困り、苦しんだところだからです。
特に運動経験の無い人や、まして御高齢の方などはこれから身体能力を上げようと言う様な事も大変です。

新しい身体感覚を無の状態から探し、見つけ、それを定着させると言う行程は、かなりの時間と、それに対する労力が必要となります。
これは相当好きでなければ、また相当ヒマ人(私?)でなければできないでしょう。

ですから一度体感させるのが、何よりの近道だと思うのです。

柳川宗家も技の理を得るのに、
「一度そのフィーリングを体感したら、それを追っていけば良い。」
と言われています。
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そんな事でY・Gさんへの施術を開始。

腕の振りや足の上がりが良くないと言われていたので、まずは仰向けに寝てもらい、肩と股関節を主に目標とした施術を行いました。

肩や股関節と言っても、肩なら手の平や指先の向き、股関節なら足首から先の向きを操作する事で、その大元である肩・股関節の動きの軽さ、滑らかさがまったく変わってしまうものですから、手先足先を持ち、目標の肩・股関節を連動させる様に動かしました。

私が行うそれらの操作は、全て空手の動きなのです。

具体的に言うと空手の形、平安初段や平安二段の第一・第二挙動に見られる腕の動作。
ナイハンチの形の、波返しと呼ばれる脚の動作などに近いです。

螺旋の様に内捻じり、外捻じりさせながら腕や脚を曲げ伸ばしする動きが主になっています。

複数の関節を同時に協調運動させるPNFと呼ばれる施術に似ているかもしれません。
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そうして施術を行っていると、その動きの軽さに、いつもより動く範囲も広く、しかも脱力感が違うとY・Gさんは言われていました。

今まで無かった感覚を起こさせてあげると言うのは、やっている方も楽しいものです。

何か面白い手品を見せてあげている様な(私は手品は全くダメですが)。

今まで○○式の体操だとかロルフィングなど、様々な身体開発メソッドを受けた事があったらしいのですが、これほどはっきりとした違いを体感できたのは初めてとの感想を頂きました(という事でよろしいですよね?Y・Gさん)。

問題はこの後です。
体感させてあげられても、最終的には“自分でできる”と言うところに持っていかなければ意味がありません。

次に彼を立たせて、自分で股関節や上半身の脱力と、頭、体幹部、腕、脚などの連動感を養成する為の私がまとめた数種類のエクササイズをやってもらいました。

もともとパワフルな下半身なので、自己で行う体操で脱力させるのは難しいですが、施術で感じてもらった感覚をヒントに追っていってもらえたら良いかと思いました。
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一度でも体感した感覚は、大脳やら小脳などの神経の中枢部に必ず記憶として残っているはずです。

柳川宗家も新しく得るのは大変だが、思い出す様にするのは早いと言われています。

新たに感覚を得る。

それを自ら思い出させる動き。

この二点をかなえるものを目指して取り組んでいこうと、Y・Gさんとの出会いで、また改めて強く感じました。
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往診に言っている神経難病で四肢が不自由な方、脳卒中後のリハビリをさせてもらっている方などにも、上記の様な施術をしています。

健康な方でなくても、今現在激しい痛みなどが無いのであれば、人間としてもっとも理想的、効率的な動きをさせてあげられれば、きっと固まった関節もゆるんでくれるはず、と思い、木田式?の施術を行っている訳です。

そうした患者さんからも、五体の硬さや緊張を去り、連動感を与えられるので、とても気持ちがいいとの感想を頂いております。

まだまだ少ない数ですが、そうして御自身で思い切った運動ができない方たちへ、走った時の五体の連動感とゆるんだ感覚、リラックスして全身運動をした時の心地良さを体感させられる様なものをどんどん考えていきたいと思っています。

もちろん、運動愛好者、武道愛好者の為にも少しでも役に立てればと思っております。

またやる気が増してきました。

これらの縁に感謝。

Y・Gさん、有難うございました。

トランポリン コッピー 歯医者

<トランポリン>

バレエに通ってはいるが、少し太めの娘の為に少しでも運動させてやろうと思い、小さなトランポリンを通販で購入した。

4歳になる少し前からバレエを始め小学2年になる娘は、そろそろトゥシューズを履く為の準備として、週二回であった稽古が週三回に増やされた。

教室への送迎の時に他の練習生の子たちを見ると、今の子は本当にスタイルがいいなと思う。
うちの娘は小鹿の群れの中に混じった“子牛”の様だ。

実際に骨格も横幅があり太く、しっかりしているからそれはいいとは思う。
5歳の頃に、自分が使っている8kgのケトルベルを両手に一つずつ、計16kgをぶら下げていた時は正直、びっくりした。

今もほんの一瞬だが、74kgの自分をおんぶする事ができる。
めぐまれた体格と体力だが、格闘技や基礎体力トレーニングが嫌いなのが残念だ。

バレエも続けたいと言う事なので、少しでも細くなればと思い、楽しんで自分からやれる運動を考えていた。

そんな時、いつも使っている通販のカタログを眺めていた時に、トランポリンが目に入り、これだ!と思った訳である。

家に届き自分が組み立てている時から、興味津津で近くで見ていた。
娘にはやらせず、あえて自分が先に楽しんでる振りを装い、少し跳ねてから疲れたと言って休憩すると、案の定自分から乗って楽しんでいた。

思惑通りにいったので、胸の中でほくそ笑む。

ところでこのトランポリン、前から激しい「沈身」の稽古に使ってみたいと目論んでいたのだ。

宗家が若い頃、普通の地面や道場の床で、鋭い沈身を使った足捌きなどを稽古していた際、その落下する加速度を受け止める衝撃で、翌日は足首が痛くて歩けなかったと言う事を言われていた。

自分もスポーツシューズを履いても、コンクリートの上などで行えば相当な衝撃を受けなければならないのを感じていた。

もちろん、その衝撃を逃がす事はできるのだが、一撃必倒とでも言うべき「極め」の動きでは、どうしてもその衝撃を受ける事は免れない。

ならば、やわらかいソファの上(これは怒られた)や、小学校の砂場や芝生などで行おうと考えていた。

それで今回、娘の為に購入したトランポリンが大いに役立った訳である。

自然体で立った状態から、まっすぐ下に落ちる。
前後左右に少しの移動を伴いながら、鋭く落ちる。
突きや受けなど腕の動作を伴いながら落ちる。

特に足裏、足首、膝への負担が無く、体力が続けばずっと続けられる。
なかなかいい具合である。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<コッピー>

子供が近所で買ってきた、小さな容器に入った小さな魚。
ネオンテトラにも似て綺麗だ。
2、3日に一度エサをやるのは自分の担当である。


娘や妻がやると、エサをあげ過ぎて水を腐らせてしまい、コッピーを死なせてしまった前歴があるからである。

本当は2匹いたのだが、
「エサが多過ぎるからだ!」
と言った為か、娘があげるエサの量が少な過ぎて1匹が死んでしまったと思われる。

エサの量をちゃんと見てあげていればよかったのだが、なかなかそこまでは目が届かず・・・。

トランポリンで鋭い沈身の練習をした後でエサをあげようとしたら、小さな容器の中を激しく逃げ回る様な動きをした。

いつもは自分がふたを開けると、水面上に上がってきてエサを食べる様なしぐさをするのだが、武道の激しい動きの直後であったので、殺気だとかその様な激しい雰囲気を感じたのかなぁ、などと思ってしまった。

特に手の平はよく気が出る、感じる器官であると言う。
少し気を落ち着けてからあげれば良かったか。

小さな小さな魚をびっくりさせてしまい、申し訳ないなと思った。
コッピーにしたら、相当命の危険を感じたのかもしれない。

激しい武道の直後でも、魚や動物を驚かさない様な何気ない状態でありたい。
そこまで、技を無意識化しなければならないと思った。
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<歯医者>
先日食事中にキャベツの芯でもかじった時か、奥歯の金属製の詰め物が取れてしまった。

ああ、これはまた歯医者に行かなくてはならないなと思い、土曜の朝一番で予約した。

何年かぶりに歯医者に行ってみると、やはり自分も医療関連の仕事なので、内装が少し変わったなとか、受付の衛生士の方が同じで対応も気持ちいいなとか、そういうところを見てしまう。

久しぶりの歯医者、さっそく診察台の椅子に座らせられる。
目の前から独特の照明を当てられ、仰向けに近い角度まで倒れていく。

以前の手術台に上がった時を思いだす。

膝の靭帯手術、二度の鼻骨骨折での手術。
今もとりあえずは健康と言える状況で良かったなと改めて感じた。

40にもなると友人、知人らで重い病気にかかる者も少なくない。
自分は、仕事で疲れているとは言え、少しでも毎日体を動かす事もできる。

自分が思う理想的な1日分の練習量を、3日ほどかけてやっと消化できる様な遅々たる進行度だが、それでも「今できない事」を悲観するより、「今できる事」を楽しんで積極的にやっていきたい。

できるだけいつも「喜んで」いたい。

喜ぶには、いまある状況を楽しめなくてはならない。
今できる事を見つめなおし、それらに感謝したい。

それとまた忘れてはならないのは、人も喜ばせなくてはならないと言う事だ。

自分は昔からみんなの前でふざけたりして笑わせるのが好きだった。
ダンスなども人を喜ばせたり、驚かせたりするのが動機の一つでもあったと思う。

周りの喜びなしに自分の喜びもなく、自分が楽しめる事でまわりも楽しませる事ができるのではないだろうかと思うのである。

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