武道空手研究会 ~武術・ダンス・東洋医学~

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身に付けるものと身体感覚

治療院に新しいスタッフがまた一人増え、業務にも慣れてもらってきましたが、また患者さんや外部への往診なども増えてきており、それに加え副院長がテコンドーの世界大会で1週間の間、ロシア・サンクトペテルブルグに同行し不在の為、なかなか忙しい毎日です。

一昨日の金曜の晩も、帰宅してからダンサーたちの練習場所に向かいました。
10人ほどの体を調整し、ストレッチやコンディショニングのアドバイスをしました。

以前参加したイベントなどで応急手当てをした子から声をかけられたりすると、やっていて良かったなぁと思います。

ブレイクダンスなどの激しいダンスのバトルでは、怪我をし易いものです。

元気に踊ってはいますが、様々な体の痛みや故障などの質問を受けます。
事実、身近なダンサーの子で、腰部ヘルニアと診断され、激しいダンスができなくなってしまった例がいくつかあります。

応急処置が早ければ早い程、その後の治癒に良いので、他のスポーツや格闘技の試合と同様に、救急医療チームの参加は必須であると思います。

ヒップホップが好きな自分ならではできる事でもあるので、今後もできるだけ続けていきたいと思います。

自分の時間もなかなか取り難い状況ではありますが、また思った事を簡単に書いてみたいと思います。
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身に付ける物。
服、バッグ、靴など。

これらは無意識に作用する。
色やデザイン、肌触り、着心地。

自分が神経質になるのは、リュックやバッグ。
以前買った高級(?)なリュックよりも、ディスカウントショップで買った安いリュックの方が体に馴染んで違和感がない。

体に馴染んで気にならないと言う事は、日常生活の動作の中での身体感覚を感じ取り、調整する事を妨げない。

いくらデザインが良く、丈夫で多機能であっても、歩く時に邪魔になる様なら使わない。
全てお蔵入りとなるか、友人にあげてしまう。

バッグやリュックは、実際に荷物を入れて歩いてみないと分からない事が多い。
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最近、肩かけカバンを小さい物に変えた。
身体のバランスを感じ易く、歩き易い。

すると、新たな発見がより見つかり易いので重宝している。

治療家、武道を嗜む者として敏感でありたいと思っている。
しかし、敏感は「神経質」と裏表なので、よくよく制御しなければならない。

そのコツは「目的と手段」を常にわきまえる事。

気に敏感だと言われる鍼灸師が、雰囲気の悪い場所に行くと具合が悪くなるなどと言う話も聞くが、ちょっとした事でいちいち具合悪くなっていたのでは、他人の治療などできるものではない。

その場所の気がよどんで悪いものだと感じても、意識はしつつも知らぬふりをしておくのが得策。

その敏感さは何のために使うのか、と言う事を明確に認識しておかないと、「自分の特技」に自分が支配され、自分の自由を奪う結果となる。

知識や経験などもそうかもしれない。

多ければ多いほど、有利ではあるが、それが「今現在の状況」を把握する目を曇らせる事にもなりかねない。
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衣服やちょっとしたリュックやバッグが無意識にまで影響するのは、その色やデザインなどからばかりではない。

実際にその形状と重さを感じ、姿勢の維持に適した力(受動筋力)を無意識に発生させている。

いい例が「寝違え」の治療でテーピングなどを用いた場合。

これは伸縮性のあるテープで、筋肉をサポートするものだが、人体の頂点にあり、結構な重さのある頭を支える首の機能に対しては必ずしも有効とは言えない。

頸部の筋肉群、特にインナーマッスルが、骨の角度を時々刻々と調整し続けており、常に微妙な姿勢のバランスを保つ様に、無意識の内に働いている。

その為、首に張られたテープの張力により、頭を支えバランスを取る筋力に変化が起こる。

皮膚が微妙に引っ張られている力を感じ取り、それに合わせ様とする力と、頭を支える力が拮抗し、かえって痛みや苦しさが出たりするのだ。

これは腰や四肢など、首以外の場所では起こり難い事。

一番上にあり、重量があり不安定な状態である頭は、そのバランスを取ると言う事にかけて、五体の中では最も繊細な機能を必要とされる部位であるのかもしれない。

つまり、バッグやリュックの微妙な力加減が、身体のバランスを取ると言う無意識な体の反応に対し、四六時中影響していると言う事だ。
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この事で思い出すのは、宗家が好んで使われているウエストバッグ。
いつも小さめの黒いウエストバッグ(高価に見える)を愛用されている。

肩に掛からず、体幹部、特に重心部である腰腹にぴったりと一体化し、全身の動作を妨げない。

自分も必要のない限り、大きなリュックや肩掛けバッグはさけたいと思っている。
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肘の治療と突きの感覚

鍼灸を始め治療の技術全て、今の自分は目標とするレベルからは程遠い。

鍼灸がもっと上達しなければ、自分の武道も当分伸びない。

自分と言う一人の人間の中の身体意識。

空手も鍼灸も、自分に絶対必要なものなら、片方だけうまくなるのは難しい。

全て連動させないと、どちらも今ひとつな状態が続く。
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自分は肘の治療が苦手であった。

普通に鍼灸や按摩をすれば、だいたいは治る。

しかし、治療院に来る患者さんは、プロ・アマの現役ボクサーを始め、テコンドーの選手やダンサー、野球やソフトボールの部活をする学生などがおり、運動を続けながら治していくのは、本当に大変だ。

スポーツ選手だけでなく、主婦も家事や育児で休まるヒマが無いので同様だ。
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苦手な治療部位がある。

それは自分自身のまだまだ未開発な身体部位と一致する様に思える。

自分で分からないものが、他人のものならなお分かりにくいのは当たり前か。

自分の左腕は力が入りにくい。

これはシュートボクシングの選手時代に、首をつかんで引っ張り合う「首相撲」の練習中に傷めた古傷による影響だ。

特に肘周りに力が入りにくく、疲れると痛みや痺れが出る。
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鍼を打つにも、マッサージをするにも、これはかなりのハンデとなった。

瞬発力で全身の筋肉を弾くヒップホップのダンス、POPPIN'を踊る時も左腕の筋肉を弾く動き(ヒット、ポップ)がしまりがなくキマらなかった。

これを克服できたのは、またいつもの様に武道空手の研究からだった。

セイシャンや三戦と言った空手の型の腕の動作を繰り返す。

実際、空手の稽古でも、突き動作で左肘を傷めた事がよくあった。

宗家からは、

「腕に力が入っちゃってるから。」


「体と腕の鞭身(加速力など最も有効につなげる人体を通るライン)がつながってないからだよ。」

と御指導頂いた。

この鞭身を体感し、獲得する為に空手の型を力を抜いてやったり、わざと力んでやったり、その流れを確認してきた。

入門2、3年目頃に、宗家から腕の鞭身が通るラインを指で示しながら教わった事があった。

それが入門13年目を迎える今、ようやく実感をもてる様になった。

体幹部や下肢に目が行き過ぎ、上肢を細かく観察するに至らなかった事が、結果的には全体の進歩を遅らせたかもしれない。

これも自分のせっかちで面倒くさがりやの性格がもたらした悪い結果だと思う。

何事を学ぶにも、自分の克服すべき点から目をそらしては進歩はないのだとつくづく思う。

文化の発祥とライフスタイル 〜武道とHIP HOP〜

文化の本来の姿とは。

その文化が生まれるべくして生まれた時代や環境が存在する。

そうするしかなかったから。
そうする必要が絶対にあったから。

どの文化を学ぶにも、その原点をきちんと知る必要があると思う。
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ヒップホップと言う文化。

音楽、ダンス、ファッション、グラフィティ、ローライダーと呼ばれる車、などなどライフスタイル全般。

最近、ストリートダンサーたちのトレーナー活動をしていく中で、熱心な若いダンサーたちの言葉からたくさんの学びを頂いている。

ある有名な黒人ラッパーの言葉。

「あなたはヒップホップをするのではない。あなたがヒップホップなのだ。」

と。
ライフスタイルそのもの全てがヒップホップだと言う事か。

今や子供も多いヒップホップダンス。
もとは治安も悪く、裕福でない層の若者たちが起こした遊びであり、文化である。

ダンスで戦うと言うのも、今ではよく見る光景だが、もとは本当にギャングや若者たちの抗争の手段でもあったらしい。

余計な血を見ずに済ませる為。
もちろん、それで決着がつかなければ本当に闘争になる場合も。

つまり、ダンスバトルは真剣な勝負であったと言う事。

それはダンスがうまいと言うだけで勝てる様なものではなく、ファッションはもちろん、全てにおいて、その人間の精神と肉体の全てが表現され、相手とのやり取りを制する者でないと勝てるものではない。

現在の様にこれほどヒップホップが広まると、うまいダンサーは本当にたくさんいる。
しかし、「かっこいい」、「すごい」と言われるダンサーは数限られている。

やはり、その人の存在が充分に表現されれば、「かっこいい」と言う事になろう。

それは「その人らしく」、「自分らしく」と言う事であり、他人の真似ではない、独創性に富んだ自由な存在をアピールできた人に対する「羨望の眼差し」なのだと思う。

もともとダンスをやろうと思う事などは、「かっこいい」などの憧れや「面白そう」などの自己を開発する期待があって始める事と思う。

それはつまり、ダンスを見に付ける事による
「自己の変革」からの
「自己の確立」であり、その先にある
「自己の開放」であり、
それによって心地良さや精神の平安を得るのが最終的な目標になっていくのではないだろうかと思う。
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人は皆、不安を抱えているものと思う。
そうでなければ、それをうまく抑圧しているに過ぎない。

何かに一生懸命になる事で、その不安を忘れる。
また、何か特別な技能や知識を得て、安心を得ようと思う。

しかし不安はなくならない。
どうすればよいか。

それは悟りの境地ではないが、「こだわりをなくす」事を求め、そしてそれは「普通」である事に帰っていく。

その手段がダンスなのか、武道であるのか、学問なのか、宗教なのかの違いであると思う。

とにかく、何か一つ打ち込むものを決めて、挑戦し続ける事で得た「経験」と「実感」により得られるのが「普通」の境地。

武術の極意、「兵法」も極めれば「平法」になると言う。

武道も普段の思考や行動、その全てにおいて「弱い自分」を克服すべきとの意識がなければ本物にはなれない。

ライフスタイル、生活そのものが武道なのである。
そうでないものは武道ではない。

「私は武道をするのではない。私が武道なのだ。」

その様に胸を張って言える様でありたい。
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武道や武術は、治安の悪い時代に、自己や大切な人たちを守る為に発祥した。

必死の思いで磨きあげられた技術。

故にその原点を理解しようとする気持ちがなければ、武道の本当の意味は分から
ない。

では現代において、常に死を身近に感じられる様な事ができるだろうか。
戦地や特殊な業務でしか感じる事はできないだろう。

戦国時代を終え、戦争もない現在の日本で、真の武術、武道の意味を知る事のできる人間はごくごく限られた人たちのみ。

では、自分の様な凡人がその一端にでも触れるには・・・・。

やはり、「原点」を見れば良い。

自分の武道の原点。
弱い自分。

めんどうくさがり、すぐに怒る、視野が狭い、我慢ができない、失敗や負けを恐れて行動しない・・・・そんな自分が引き起こすのは、いつも悔恨と恥の山。

そんな自分が優越感を持ちたく、自分に自信を持ちたくて始めたのが「自分なりの原点」。

そして今、自分が求める具体的な流儀。
空手道、「二聖二天流」の修得。

この二聖二天流の原点。
それは「柳川宗家」に他ならない。

二聖二天流の源流である流儀を見ても、宗家と同様の動きができる人はいない。
他の流儀を見渡しても、自分が知り得る限りでは、宗家の様な技術を使う人は見た事がない。

自分が求める空手道、自分が求める武道の原点は「柳川宗家」その人そのものなのだ。

宗家がどの様な必要性を感じて、どの様な苦しみを糧として、どの様な経緯でこの流儀を開いたか。

体格が小さく、病弱な宗家が、壮絶な組手と鍛錬に長い時間を費やし、創り上げた流儀。

細かな事は忘れても、その宗家の魂だけは決して忘れてはならないと思う。
また、そこで共鳴できなければ、二聖二天流の本当の姿は見えてこないと思う。
ヒップホップダンスも武道も、その精神を理解しなければ、本来のその姿は見えてこないと思う。

そうすると、道を求める最終目的である「自己の開放」と「自由を得る」、どこにいても「普通でいられる」と言う事には到底たどり着けない。

技術だけの技術屋さん、いざと言う時に使い物にならない事になってしまう。
強く自戒する。

細かなスキルなどよりも、その精神を知る事が一番先にあるべきで、上達への一番の近道であると思うのである。

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