武道空手研究会 ~武術・ダンス・東洋医学~

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居着かない為に居着く〜その後〜

昨日、気付いた事で、以前よりある「基本や型の見直し」についてもある答えが得られました。

これらもまた、柳川宗家が以前懸命に取り組まれてきた事と一致するなあと、またあらためて思った次第です。

う〜ん、やっぱりそうかあと言う気持ちです。
今まで幾度となく、経験してきた事ですが、まだまだある様です。

宗家がたどってこられた道をなぞる様にして学んでいくのだなぁ、とつくづく思います。

若い頃に激しい組手をやり尽くして、型を研究し尽くして、空手の為の基礎体力練成をやり尽くして、宗家は二聖二天流を創始されました。

宗家よりはレベルの低いものかもしれませんが、自分のその軌跡は似ている様に思います。

激しく打ち合う様な競技をしていれば、自ずと最善の道を模索して、それを備えたシステムを目指すのは自然な流れでしょう。
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昨日の「居着かない為に居着く」、その為に「下肢に全身の重さを流し込む」と言う事。

より具体的に言うと、完全に重さを流し込むと、下肢の筋力を最小限にして、
「骨で立つ」
感覚になります。

今日も少し早めに起きて練習してみたのですが、ほとんど上手く行きません。
昨日はどんな形の動きでも再現できたのに。

この身体感覚をどの様な状態でも出せる様にと、昨日は一気に稽古をやり過ぎてしまったのか、左右の股関節周りと腰の下部にかなり疲労がたまった様です。
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浮身を保つには「反り身」が不可欠です。

先ほどの「骨で立つ」ほどの脱力を保ちながらも、真っ直ぐな姿勢では真下に落ちる事はできても、前後左右などへの移動する事はできません。

少し重心のバランスを崩す様にして、はじめて移動する事が可能です。

前傾姿勢にしても、反り身にしても、移動する為には不可欠でしょう。
目に見えないほどの微妙な傾きでも、重心を自ら崩す事が必要なのです。

できる限りの脱力を維持したまま、崩れたバランスを保つ事は、それだけで姿勢維持の受動筋力を使います。

実戦的な動きは、そんな状態での時間が長くなるので、疲労も蓄積します。

しばらくやり続けると筋肉が疲労して固まったままで、瞬間的な脱力、「抜き」ができなくなってくるのです。

そこでその様な実戦的な動き、二聖二天流の核心である動きを一時あきらめて、「真っ直ぐな姿勢」で移動稽古を始めました。

姿勢を真っ直ぐに維持したまま、低い腰でゆっくりと前屈立ちの前進後退、後屈立ちでの前進後退、ナイハンチ立ちでの横移動、歩み足、送り足・・・などなど色々と試している内に、これは太極拳の感覚と非常に似ていると感じました。

その理由は、
・体重移動が明確に感じられる事
・筋力は使うが良い姿勢でゆっくりと行う為、力の偏りが無くなる事
と言う感覚からです。

結果的にそれらは、

「実戦的な稽古での疲労をリセットしてくれる事」

と言う重要な効能があると思ったのです。

体中の関節の偏った筋力バランスを、偏りの無い中立な位置に戻してくれるのです。

ゆっくりと正しく行う事により、細かい操作を丁寧に体に覚えさせます。
そしてまた、実戦的な動きの稽古をする為の体を養ってくれるものであると感じました。

そう言えば以前いた先輩が、

「あんまり応用(実践的な動き)ばっかりやってると、また変な癖もついちゃうから、そういう時はまた、きっちり基本をやった方がいいね。」

と言っていたのを思い出しました。
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その様にリラックスして移動稽古を行うと、落ち着いて組手のイメージも湧いてきます。

ゆっくりと前進すると相手との限度間合へ入り込むイメージもし易いです。

そこでまた落ち着いて組手をしている様な気持ちになり、重要な組手の理、

「正中線は二度はずす。」

と言う限度間合いを超える際の一大事を思い出しました。

あせってその場だけ取り繕う様な組手ばかりしていては、なかなか思い浮かばない事です。

武道の理を意識した稽古をすれば、たとえ基本の中であっても実戦の気持ちになれるものだと思い知りました。

これは鍼灸の師から言われた事ですが、

「伝統とは閃きが得られる様なシステムになっている。」

との事。

伝統の技法は、正しく学べば誰でも「閃く」ものでしょう。
要するに「感性」や「第六感」なるものが冴える様にできているのしょうか。

柳川宗家は、若い頃に激しい組手に打ち込むと同時に、その効能はまだ分からないながらも、型(形)をやり尽くして、そこから武道の技の理を明確に掘り起こされました。

その様に厳しい現実(組手)を受け止めながら無心に行えば、基本の真意も自ずと観えてくるのでしょう。

数ある複雑な型を行う以前に、空手のもっとも基本的な動作、武道の生命である「足捌き」が主である「移動稽古」をやりこむべきだと思いました。

いつもやや実戦的な反り身を意識した移動稽古が多かったので、もっとゆったりと正確に行う移動稽古もやりこんでいきたいと思います。
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それからもう一つ、気付いた事があります。

この様により居着かずに、浮身を意識した動きをする為には、
「肩・腕の位置と動かし方」
がとても重要だと感じました。

なんだか、昨日から肩甲骨からわき腹、上腕から肘までが重くて仕方ありません。
肩甲骨と肋骨の間をはがしてやりたくなる衝動にかられます。

なんとかこの肩から腕の重さと硬さを取りたいなぁと思い、色々動かしている内に、両手を前後に引き、突き出す動作を繰り返していました。

なんとなく感触が良かったので、しばらく繰り返していく内に、少し負荷を掛けてみたくなり、1kgのダンベルを持ちやってみました。

腕を前方に出す突き出す動作に関わる筋力を養うと同時に、その動作を繰り返す事により、その操作性が向上します。

型などでたまに見られるこの「諸手突き」(両手で同時に付く)は、そう言った必要性もあったのだろうと思ったのと同時に、

「あ! これも前から宗家がやられていた鍛錬法だ!」

と気付いたのです。

宗家の場合、さらに思い重量のダンベルを両手に持ち脇に構え、自然体で直立した状態からできる限りのスピードで、突き、素早く脇に引き戻すと言う鍛錬法です。

先輩たちもやっていた事もあり、入門当初はよくやっていたものです。

ここ何年かはことさら言われていませんが、忘れてはいけない宗家独特の鍛錬法があるのです。

やはりこれは武道空手の突きに必要な専門的筋力と、さらにその為の身体意識も高めるのだなぁと思った次第。

毎度毎度、こんなにも宗家の言葉、その鍛錬法を再認識する日々。

さらに自分の鍛錬を怠らず、二聖二天流の核とも言える鍛錬法を精査していきたいと思っています。

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居着かない為に居着く

本日、久し振りに琉球古武術の道場へ。

先ほど更新したブログの内容を再確認するいいきっかけとなりました。

たまに一人でも稽古していたと言うものの、様々な武器を手にしての対人稽古は、見えなかった課題を多く気付かせてくれました。

まず始めに皆さんと一緒に、琉球古武術の一番の基本武器である「棒」から。
その後、近々「釵」(サイ)の昇級審査を受ける方の相手を務める事に。

琉球古武術の対人稽古は、ヌンチャクやトンファーなど他の武器の相手はだいたい棒となっています。

相手となる私は棒です。

久しぶりに武器を持つと、その重心のバランスや五体の受動筋力の吊り合い、肩の位置や下肢の位置や捻り具合など、もっとも動き易い形を常に模索しながらなので、型の動きを思い出す方に神経が回らず、何度も間違えて相手の方に御迷惑をかけてしまいました。

ストリートダンスに力を入れていた頃も、長い振付を覚えるのが遅かったのは、ちょっとでも動きにくいと、動き易さの方を求めてしまう性格のためだったのだなぁと改めて思いました。

その後、私がサイを持ち逆のパターンの稽古をし、それを交互に繰り返しました。

特に基本の十本組手より、十本の連続組手では間違いの連続でした。
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型の順番はなんとかできてきたものの、体の操作はてんでダメで、これは居着いてしまい、とても組手に使えない動きだなぁと思いました。

手入れの行き届いた道場の床は、居着いた状態で中途半端に居着かない浮身を保とうとしても、床に足が貼りついた様で動きの悪さが気になり、余計に居着いてしまいます。

終えた後もしばらく空手談義。

流派による型の動きの違いや、いわゆる寸止め競技の国際ルールの変遷やその是非など、話は尽きません。

皆さんと分かれてからの帰り道、ずっと居着いてしまう体の修整です。

特に下半身に運動時の力の流れの引っかかりを感じますと、居着いてしまう一番の原因になる様です。

やはり、大きな失敗の後では、感知できる身体感覚がまったく違います。

こんな事に気がつかなかったのかぁと思いつつ、その違和感、居着き感、力みなどが無くなる様に歩行の中で修整していきます。
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分かった事は「居着かない為に居着く事」。

正確には、下肢に上半身の重さをしっかりと流し、落としていく事。

二聖二天流の居着かぬ足捌きは、二本の両脚が同時に動く様に操作するのですが、実際には左右の足、片方に充分に体重を乗せ、流して落としていかないと、胴体も自在にくるくると動く開く事ができません。

それに気付いてから、浮かそうとするのではなく、どんなに摩擦係数の高い床や地面であっても、逆にしっかりと足裏を着いて、重さを乗せていく事が必要であると思いました。

う〜ん、これも以前に気付いていたと思うなぁ、確かに。

やはり武器などの物を持ったり、その状態で対人稽古をしたり、違った状況で行う事は不可欠であるなと思いました。

ついつい普段の慣れた状況下での身体操作しか求めなくなってしまうものです。
そういう意味では、本日久しぶりにその事に気付けた事は本当に良かったと思います。
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帰宅してからすぐに試してみました。

吊り下げた砂袋を打ったり、ヌンチャクを使いながら蹴りを混ぜたり、短時間で色々と試してみたら、やはり断然動き易い。

真っ直ぐな姿勢で沈身をする際は、両脚を同時に抜き、左右均等に重さが掛かっておりますが、いざ自然な動作となると左右どちらかが必ず前に出ている状態です。

その状態で沈身を掛けるには、必ず片足に充分に体重を流し込んでいかないと浮身ができません。

ちょっとでも地面を踏ん張ると言う「能動筋力」が働いていは、その途端に居着いてしまうからです。

大きなミスを知り、またやり直せると言う事は、やりがいがあり本当に楽しく充実したものです。

また、約束組手とは言え、動きの中で武器の切っ先を目の前に突きつけられると言うのは、非常に緊張感があります。

同じ状況、同じ道場、同じ仲間とばかり稽古するのは、いつの間にか慣れが生じてしまうのだなぁとあらためて思った次第です。

気を付けていても生じる「慣れ」。
可能な限り、違った条件下での稽古を心掛けたいと思います。

稽古法の洗練化

意拳や太気拳などがこれほど他の武術家・格闘家にも取り入れられているのは、全ての内家拳の技術の根幹をシンプルにしていった事にあると思います。

簡素でありながらその内容は奥深く、組手などの実践と共にやり込むほどに、課題は自ずと湧いてくるシステムであろうと察します。

ルールの無い戦いと言うものを制すには、学ぶべき事は限りないでしょう。
それをなるべく効率的に核心に迫る稽古法がなければ、それほどの多くの事を学び続ける事は大変困難であります。

私自身が感じている、仕事や家庭を持ちながらその様な稽古を続けられないか、と言う大きな問題を解消するには不可欠な要素であります。

現代人が限られた時間で特殊な技術を身に付ける為には、例え少しでも日々絶対に確保しなければならない時間と、効率的に学ぶシステムが不可欠であると思うのです。
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二聖二天流であると言うからには、二聖二天流の技術的根幹である、

・居着かぬ足捌き(相手の前でいつでも変化が可能である→先の取り方の応用につながる)

・鞭身(脱力した全身の重量を加速させて最大限の威力を発揮する)

・正中線(上記の他、全ての要素を可能とする一番の要)

最低、この三つが実践において証明されないとなりません。

組手など、相手が必要な稽古はどうしても、限られた時にしかできませんので、これらの要素を一人稽古で満たす為のシステムを創り上げていかなければなりません。

真剣に取り組んでいる人であれば、必ず「自分の稽古」と呼べるものがあるのもこれに相当するものと言えるでしょう。
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シンプルにまとめ上げあられた稽古法を日々継続しておれば、
「実践で動ける体」
は練り上げられていきます。


「技」ができれば後は、

「戦術」:先の取り方(先の先、対の先、後の先)や、体の大きさ、武器の有無、一人か多人数かなど。

「戦略」:対自分だけでなく、その後の展開も含め、相手の心理や関係する者たちも含めた勝利への作戦。

の段階も考えていけば良いと思うのです。
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公私ともに(どれが公でどれが私だか分かりにくくなってきてますが・・・)やるべき事が増えてきて、あらためて稽古の時間を取る事が難しくなっている状況でも、上達する事をあきらめず、なんとかそこを打破したいとしつこい性格で食い下がっていきたいと思っています。

現在の私の試行錯誤のアプローチ、その要点は

・全身運動(五体の連動)
・単純な動作の反復(心身に深く刻む)

この二つが重要テーマとなっております。

それも気まぐれではなく、ある程度の形とその効果と目的をはっきりと自覚しながら、きちんと計画的に日々実行していく事が大事だと思います。

新たな試みはきちんと継続して初めてその是非を問う事ができるからです。
最近は道場離れが久しいので、かなりその辺にはシビアになっています。

思えば少し前は、結構気まぐれのアイデアで色々とオリジナルの身体開発法(?)を行っておりました。

しかし、少しやると「なんか違うな。」と感じ、変更直後はいい感じであってもまた「やっぱり前のものも一つの正解であったなあ。」などと思い、行ったり来たりの繰り返しです。

つまりどれも正解であると思い、
「それらの効果」

「それらを行う目的」
を明確に体系づけていけばいいと、この鈍い頭がやっと分かってきた様です。

そしてそれは二聖二天流と言うより、人間の全ての運動を向上させるに必要な身体意識向上の為のシステムであると思うのです。
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身体意識と言うと、宗家とも交流のあった「高岡英夫先生」が偉大なる先駆者であります。

以前、高岡先生の記事で、立った状態で体を上下に揺らす事で正中線、中心軸を体感させるトレーニング法があると見た様な気がします。

脱力した状態で、小刻みな動きで上下に連続して揺らしていく動作。

これは気功法の中でも昔からありますし、ストリートダンスでは一番の要のアップダウンの「ボディリズム」にも見られるものです。

このボディリズムがどの様な動きでも可能でないと、単なる振付の動きをなぞるだけで、体で音やリズムを表現できません。

つまり「ノリ」であるとか「グルーヴ感」を感じられないので、それはダンスと呼ぶには程遠いものになってしまいます。
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私は最も盛んな少年期、青年期にフルコンタクト空手、グローブ空手、シュートボクシングと激しいトレーニングによる競技格闘技を行ってきました。

それにより運動強度がある程度強いもの、激しいものでないと、感覚や意識がなかなか起ち上がらない体になってしまった様です。

それ故、ある程度の継続的な反復動作、ある程度の負荷が掛かってからでないと、繊細な動きに移行できないのです。

一番手っ取り早いのは、「走る事」です。

人間の基本的動作、左右対称的な反復動作、これに勝る全身運動はありません。

昔の人たちは現代人よりも、立つ、座る、走る、背伸びする、などの動作の変化が普通の生活の中でも、相当な量があったと思われます。

そんな人間の基本的動作であり、ある程度の強度を持ち、そして反復性と対称性を兼ね備えたものが「走る」と言う事だと思うのです。
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そう言った基本的な能力や感覚が希薄な状態で、延々と基本なる動作を繰り返したところで、その核心に触れる事は難しいと思うのです。

よほどの天才か、よほど感受性にすぐれているか、よほど稽古に割ける時間が取れるか・・・・・。

この様な問題に対し、柳川宗家は

「一か月に一個でも自分の欠点を直せたらすごい事だ。一年で言えば十二個も直せる。現実ではそこまでいかずとも、その様な心掛けで相当上達するのは早いと思う。」

と言われています。

しかし、どれほどの者が自分の欠点に気付く事ができ、自分の欠点を意識した稽古を実践しているかどうか。

これはいろんな意味で、自分が痛い目に合う頻度と、その深さに比例します。

あまり乱暴な事は言いたくないのですが、若い内にある程度荒っぽい事をしておくべきだと思うのです。

歳も取り、仕事でも要職に付き、生活を維持しなければならない様な世代になってからでは、荒っぽい事ができるのはタカが知れています。

自分の娘にも「可愛い子には旅をさせろ」的な方針でいきたいと常々思っております。
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話が横道にそれてしまいましたが、「走る事」の応用と日々の中でいつでも可能な稽古法にアレンジしたのが、

「立った状態で様々に揺らす事」

「立って上下に揺れながら様々な手足の動きをする事」

です。

これらの事を考えると、やはり「ゆる体操」の高岡先生はすごいなと思ってしまいます。

自分の場合、様々なジャンルのストリートダンスの動きなども取り入れ、その場で上下にゆれながら、「戦いで必要な操作」を体に覚え込ませる様にしています。
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その場で走る様にステップを踏んでいても、腰の重心を意識して行うと、沈む事がやり易いが体は重くなります。

短打など技の「極め」の時の状態に近いでしょうか。

胸の重心(中丹田、乳首と乳首の中間辺り)を意識して行うと腰から下がより自由に動き、上半身の動きもより自由になります。

相手と近づき始め、限度間合いに入る前の、いつでも変化可能な「浮身」の状態と言えますでしょうか(この時は反り身となり、宗家の綺麗な胸のラインが印象的です)。

上背部の重心(胸椎の3番目辺り)を中心にして行うと、突きを放つ直前の完全な一瞬の浮身がし易くなります。

「連打」を放つ時や、重い下半身を浮かさなければならない蹴りを放つ状態を作り易いと言えますでしょうか。

私の感覚では以上の様なもので、それに手足の動き、上下だけでなく体幹部の横の動きや捻じりの動き、多少の足捌きを取り入れながら行っています。

それで体が目覚めてから基本動作を行うと、納得が得やすいのです。

ジョギングもしたいところですが、前に進むと言う「前進力」に体が支配されやすく、その他の方向への胴体の動きを忘れてしまう事が多かった気がします。

時間も取り難いので、ちょっとした隙に部屋でもできる「その場ステップ」が今のところ私の一番の基本になっている様です。

実際に、いきなり空手の動きをすると、固まった体がより固くなるのを感じます。
健康にも良くないのは、当然です。
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たくさんの基本や型、それらは本当に必要であるのか。

また、流儀の基本と言う以前に、人間としてやるべき基本があるのではないか。

生意気かもしれませんが、これは真剣に考えなければいけないと思っています。

なぜなら、中国武術界の偉大なる王郷斎先生が、数ある複雑な型や稽古法を持つ中国武術をあれほどシンプルにまとめ上げられ、その効果も計り知れないものを創り上げたと言う事実があるからです。

意拳ほど多くの国、多くの流派に取り入れられている流儀は無いでしょう。

複雑だった中国武術の簡素化。

これにより中国武術は、すでに次の時代に入っているとも言える進化をとげていると言えるのではないでしょうか。

これも武器術であれば、その種類により運用の特徴も違うので、ある程度の数の基本操作法や型なども必要でしょう。

また、何度も私が述べております事で、素手の武術は危険度を感じにくく、その運用がいい加減になり易いと言う致命的な欠点がある為、無駄に型などを増やす事は、いい加減なままで、いい加減な動きをする時間を増やしてしまう事になりかねません。

これは型や基本の、文化的に保存すべきなどの重要性とは違った観点からの評価である事はおことわりしておきます。

実戦的な中国武術家の「蘇東成先生」も言われるとおり、武術と言うからには「武器術」まで含めてやらないと武術とは呼べないと思います。

お互いに両手にナイフを持って、「打ち合う」(刺し合う)と言う事ができるでしょうか。
本当に危険を感じる真剣な状況では、まずは「打たれない」(刺されない)事を先に考えなければ、失命するか致命傷を負います。

武器が通る軌跡、相手の攻撃線を正確に避けなければなりません。

後先を考えなければ、この限りではありませんが、武術とは、武道とは、自分も含め、誰かを守らなければならないのが大前提であります。

私が空手の武器術、「琉球古武術」を学ばせて頂いているのも、よりリアルな空手を感じたいと思うからです。

柳川宗家も木剣による捌きを空手に応用され、指導されてきました。
この技術も深めていきたい課題の一つです。

時代も変わり、忙しい現代において、その上で大切な日本文化である武道を存続させる為には、様々な意味で見直さなければならない点が多いのではないかと思う次第です。

遅々としたスピードではありますが、アイデアだけはどんどん湧いてくる様です。

これらの研究が、私の治療技術にも大変役立っております。

いろんな面で還元できる為にも、しつこく頑張っていきたいと思っています。

ダンスバトルに見る武道性

昨日は午前から自宅治療院で数名の治療後、夜は地元友人たちの飲み会に参加、一次会だけで早々にあがり、新宿まで車で向かいました(勿論お酒は飲んでません!)。

地元ダンサーのダイ君が、明日開催される「フリースタイルセッション」と言うストリートダンスの大会に出場する前のチーム練習があるので、チームのみんなの体をチェックの為です。

ダイ君を始め、いつも診てあげられる訳ではないので、大きな大会の前などだけは外したくありません。

チームのみんなも以前会った頃から変わらず元気です。

しかし、この日の為に仙台から来ているトモカズ君は、以前こちらに来ていた時に首を痛めており、その時思う様な治療ができず、ずっと気になっていたのですが、当時より調子が良さそうなのでほっとしました。

治療家にとって、上手く治療効果を出せなかった患者さんは、ずっと心に引っかかっているものです。
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チーム練習が始まり、その間にみんなを施術。
しばらくすると、また10数名の若いダンサーたちが集まってきました。

あれ、中国語?
なんと台湾から来たダンサーたちだったのです。

あさっての大会は韓国やアメリカからも来るダンサーがいるそうで、世界レベルの大会なのだそうです。

早速、台湾チームも同じフロアーで練習開始。
皆、挨拶を交わしたものの、どことなく遠慮がちな台湾チーム。

少し緊張をほぐしてあげようと、中国語で応援。
一人は日本語がある程度話せる子がいましたが、ほとんどの子は片言の英語で日本チームとコミニュケーションをとっていたのみ。

私が分かる片言の中国語で、
「加油!」(がんばれ!)
「好!」(good?)
などと声を掛けている内に、どんどん彼も積極的に技を出してきて、日本チームと技術の交流をしていました。

いいですね、ダンスを通じて言葉も超えて交流できるなんて。

終電頃に練習を終え、解散。
地元のダイ君は私の車に同乗、一緒に帰りました。
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新宿からの帰り道、ダイ君と色々な話をしました。
中心はやはり、ダンスへの取り組み方について。

そこから始まり仕事や人生観まで、結局は人間的な試行錯誤の深さが「芸」の深さなのかなと言う事で互いにうんうんとうなずき合っておりました。

そんな中でもダンスバトルについての話は、極めて武道的であると思う事でした。

ストリートダンスと言っても、様々なジャンルがあります。

ロボットの様な動きの「ポッピン」や「アニメーション」。

手首を素早く回したり、あちこち鋭く指さす様な動きの「ロッキン」。

軽快なリズムで様々なステップを踏んでいく「ハウス」。

そして、床の上で様々な回転技とアクロバティックな動きの「ブレイキン」。
などなど。

皆これらのダンスをある程度はこなせる様ですが、やはり主軸とするジャンルがあります。
そのジャンルにより動きの違いこそ認識したいたものの、その中身にかなり特徴がある事をダイ君の話で改めて知りました。

その違いとは、楽しむ為だけにダンスをするなら考えない様な事です。
本来、ストリートダンスの原点は「ダンスバトル」にある事は以前、こちらのブログでも書きました(カテゴリー「ダンス」を御参照下さい)。

バトルを前提にすると見えてる様々なメリット、デメリットをどう克服するか。
それは同じジャンル同士のバトルでなく、他ジャンル同士でも自由に競う「フリースタイル」のバトルで顕著に表れますし、同ジャンル同士でも自分の得意な曲と得意でない曲がかかった時でもはっきりと表れるのだそうです。

つまり、DJがかける曲はバトル中のダンサーたちには分かりません。

4ビートが好き、8ビートが好き、16ビートが好き。

それらが混ざったものが好き。

リズムボックスの機械的、規則的な打ち込みのリズムが好き。

生バンドの変化のあるリズムが好き。

いつも広い場所で練習している、いつも狭いクラブの中で踊っている。
などなど。

しかし、バトルでは勝つ事が目的なので、自分が好きなやり易い状況ばかりで練習しては勝ち続ける事は困難です。

そういう意味で、かなり武道的だと思うのです。
第三者の不確定な行為が、深く関わってくるからです。

武道であれば狭い場所、広い場所や相手が一人か複数か、武器を持っているか、夜か昼か、熱い季節か、寒い季節か、自分の体調が良い時か悪い時か、などを区別するのが当然です。
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仕事でもライフワークでも、勝つ為、自己実現させる為には、やりたい事だけやっている様では勝てないのはどれも共通する事でしょう。

勝つ為には、
「やらなければならい事」

「やりたい事」

これら2つの事の調和がとれないとなりません。
ダンサーのダイ君の話を聞いて、自分はどちらかに偏ってしまう事が多いなあと感じました。

治療でも、武道でも、仕事でも、やりたい事(感性・開放)とやらなくてはいけない事(理性・義務)の双方のバランスが大事。

それも調和させるには、常に「受け身」にならず、自らどんどん動いていかなければいけないなぁと改めて思い知った次第です。

こう言った事を気付かせてくれるので、リアルな勝負をしているダンサーたちとの交流が楽しくて仕方がありません。

武道以外のところで武道を感じさせてもらう事が多いですね。
最近は。

アニメーションダンス!!

昨日の木曜、仕事を終えた後、錦糸町にあるストリートダンスのスタジオに向かいました。

目的はアニメーションダンサーで、東京都知事公認の大道芸人のヘブンアーティスト、PARTSさんの指導を仰ぐ事です。

地元のダンサー、シド君がインストラクターを勤めるスタジオのホームページを拝見させて頂いていたら、私が大好きなジャンル、アニメーションのダンスがあったので、是非とも体験したくなったのです。

ちょうど帰り道の途中で、しかも21時をまわってからの指導であるのは有り難いです。
20分前に到着し、前のヒップホップのクラスを見学。

そうこうするとPARTSさんが到着、挨拶を交わし、クラス参加の動機などを聞かれ、いろいろとお話させて頂く内に、同い年と判明。一気に親近感がアップ。

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早速、練習開始です。

まず始めに「ウェーブ」の通し方。
私は勿論ですが、通常は手で波の様な動きをする際、指先から下に曲げ、順次、手首、肘、肩・・・と曲げていきます。

しかし、パントマイムの基本である「空間固定」がそこにも使われる高度なやり方で四苦八苦。

まず上げた指先が動かない様に指を曲げていきます。

つまり手の平が下を向いている形から、指の関節が上に盛り上がる様に曲がり、指先は最初にあった位置から動かさないのです。

その様に指先を動かさず、手首、肘、肩と波の様に曲げていくので、大変難しいのです。

パーツさん曰く、
「人形の真似をしている時でも、動かしている所よりも、止めている所の意識が難しい。」
と。

ある一部分を動かしている間、その他の部分は決して動かさないと言う事です。

なんだか、妙に武道的であるなぁと思いました。

相手が気付いているところよりも、気付いていない部分の仕掛けが重要である事。
あ、これは手品とも似ていますね。
―――――――――――――――――――――――――――
その後、「ボディウェーブ」の練習へ。

これも、胸、腹、腰、尻の順番に出したり、引っこめたりと、しっかりと可動域いっぱいにやるには相当な意識が必要でした。

以前、自分がやっていたものよりも大きな使い方です。

しかも、次々と波の様につなげなくてはならないので、胸を出すのと腹をへこますのが同時、胸をへこませながら腹を出すのが同時、腹をへこませながら腰を出すのが同時・・・と、相当な連動感が体感できます。

特に胸郭、横隔膜などのガマクの操作も、あらためて大げさにやってみる事も重要だと思いました。

ヨガのナウリと呼ばれる腹をへこませてから、様々な動きをさせるトレーニングや呼吸法(ヒクソングレイシーもやってましたね)も格闘技などで取り入れられています。

実戦的な小さな動きにこだわらず、自分の動きを向上させるには、あえて大げさな動きでやってみるのはいい事です。

以前、宗家が鞭身をきかせた突きの稽古法として、後ろ向きになる位に振りかぶってから突くと言う、野茂投手のピッチングフォームの様なものを提案して下さったのを思い出しました。
―――――――――――――――――――――――――――
最後に「アイソレーション」の御指導。

首、胸、腰などを別々に動かしていくダンスの基本練習。
これは比較的、良いとの評価を頂けました。

二聖二天流では、相手に棒や木刀などで突かせて、自分は直進しながら首だけをよける、胸だけ、腰だけなどと、正中線のしなり、復元力を鍛える稽古法もあります。

脱力した状態で、部分的な動きをさせなくてはならないので、比較的このアイソレーションは良かったのだと思います。
もちろん、暇な時にちょこちょこ自分で練習していた事もあります。

今日は仕事を早めに切り上げらましたが、いつもはもう少し遅くなるので、月に1回か2回でも通えたらいいかなと思っています。

思った以上に武道的要素が発見できそうです。

高円寺フェス 〜自己表現の求道者たち〜


(ショーケース終了直後のみんな。ジュン君、YUJI君、NORA君、ヒロミ君、リョウ君。鍛え抜かれた体してますね〜)
今日は地元ダンサーのチーム、「ヤイバイキン」(おかしな名前ですがダンスは確かです)のみんなが出るイベントに同行しました。

当日はショーの前に、膝を痛めたYUJI君のテーピングをしっかりやりたいと言うのが目的でしたが、行けばやはり体の故障があるダンサーが他にも・・・・。

インストラクターをしている様なクラスのダンサーは使い過ぎ症候群になっており、ケアが行き届かないと言うのが通常でしょう。

いつもの事なので、常に治療道具は一とおり持っていきます。
包帯、テーピング、シップ、消炎鎮痛剤などなど。
―――――――――――――――――――――――――――――
場所は「座・高円寺」と言うホールです。
周りでは食べ物の屋台やフリーマーケットやら、様々な出店がありたくさんの人出でした。

ホールはなかなか立派なものでした。
本番前、舞台袖でYUJI君のテーピングをしっかりと直しました。

客席の最前列に戻り、正面からみんなのダンスを楽しみました。
踊っているみんなが楽しんでいるので、こちらの気分も高揚します。

ダンスの後には、ダンスフォーラムと言った企画で、ダンスをしていて良かった事、伝えたい事などをメンバーそれぞれが語ってくれました。

(ダンスフォーラムでの彼ら。みなまじめにダンスの良さをコメントしておりました。)
ダンサーとして活動している彼らは、それなりのものを背負って踊っているので、みんな人に伝わる何かを持った人たちです。

本当に好きなんですね。
帰りにみんなでラーメンを食べて帰途につきました。

帰りがてらも既に次のショーやバトルイベント、受け持つダンススクールでの話に熱中する彼ら。

この後もまたみんなで集まって練習との事。
まさに練習の虫です。
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メンバーのみんなはいつも楽しく笑いの絶えない子たちばかりですが、一対一で話す時はみなその道にかける心境を語ってくれます。

強いものを感じさせてくれ、私は彼らから学び、謙虚にさせられる事ばかりです。
ショーであれ、バトルであれ、大勢の人の前で踊る。

一般の観客の前、同じダンサーたちの前、いずれにしても自分と言うものをもっていないと、自分と言うものの表現の仕方、出し方が分かっていないと、魅力的で評価が得られるダンサーにはなれません。

自己表現の鍛錬を怠らない彼らから学びたいから、彼らのそばにいるのだろうと思います。
私はいまだに自分の表現の仕方が良く分かりません。

よく探してみると、自分にも案外すごいところがあったりするものです。
しかし、いろんな事を考え過ぎて、いつもそれがよく出せないのです。

常に完璧はありえませんが、治療の現場などでもいつもそう感じます。
これは武道においても、もっとうまくできたんじゃないか、と言う事は多いのは同じであります。

体を動かす前に、余計な思考が自分を止める悪い癖。
もっともっと実践しなければなりません。何事も。

全ての面で勉強し、そして実践する事の両立が必要です。
もっともっと実践できる様な気構えでいたいと、今日もダンサーのみんなを見ていて考えさせられました。
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スポーツやダンスなどのアスリートをサポートする場合、決してしてはいけない事があります。

それは、そのアスリート個人より偉くなってはいけないと言う事です。

勿論、時にははっきりとした指導も必要な時もありますが、基本的にアスリート個人の意向を尊重する事を大事にした上ではじめて治療を成立させる事ができます。

なぜなら、自分ももとストリートダンサーであり、プロの格闘家として過ごした経験があり、その気持ちがよく分かるからです。

運動経験に乏しい治療家よりも、体を酷使しているアスリートの方がよほど体の事を分かっています。
そんな彼らに教科書どおりの事を言っても、感覚で絶対に違うなと見透かされてしまうのです。

同じ時間と空間を共有した蓄積だけが信頼と成り得ます。
武道や格闘技でも一緒です。

同じ汗を流し、苦しみ痛みを共有できない指導者に、弟子がついていけるはずもありません。

戦っている体は鋭い感性を持っており、付け焼刃の技術、教科書通りの理論と対応ではとても受け入れてもらえません。治療以前の話です。

ぎりぎりのラインで戦っている者からすれば、頭の硬い治療家などは
「なんか違う。」
「全然分かってもらってない。」
と言われてしまいます。

ですから、自分は怪我をしているダンサーに
「もっとこうした方がいいだろうになぁ。」
「あの子も体を痛めている様だけど、今声をかけるタイミングかどうか・・・。」
と言う事に対して、表面に出さない様にしていますがピリピリした思いで接しています。

決して彼らの自尊心を崩してはいけないからです。
何の道でも人の言う事ばかりを聞いているようでは、絶対に上にはいけません。

向上意欲の強い者ほどその思いは強いものです。
ですから私はサポートはサポートに徹しようと、決して出過ぎない様に心掛けております。

そんな事を考えていると、「自分の出し方」、「自己表現の仕方」でずっと試行錯誤してきたのも、
「自分を出さない事も、自分の表現の仕方なのか」
と考える様になりました。

それが自分の味なのかな・・・・などとぼんやり考えながら休日の夜を過ごしております。

跳ねる動きを体が拒否?

相変わらずとばたばたした中での鍛錬が続いております。
月初の保険請求の事務作業も一段落し、今週の土曜はお休み。

午前中は一人の患者さんを自宅治療室で治療し、午後は地元江戸川区の船堀タワーホールにて、ストリートダンススクールの発表会に行きました。

このスクールの代表者がこの界でも著名な田中傑幸さん。

田中さんの生徒さんで「MAD SKILLS STYLER」と言う大学生の2人組は、24時間テレビのダンス甲子園でなんと優勝2回!!
全国制覇を2度も達成した逸材です。

またこちらのスクールでインストラクターの、懇意にしている地元ダンサーのSHIDO君がわざわざ招待してくれ、前から程良い列のど真ん中の席を用意してくれて、とても恐縮でした。

しかし、あまりにもど真ん中なので、なんだか

「ここにいていいのかな・・・・。」

と言う感じでした。
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幼稚園の年中さんから高校生までのスクール生たちが混合のチームを作り、一緒にダンスをする。

年齢層の違う子たちが共同で一つの作品を練習し、舞台で披露していくのはとても有意義な事であるなと思いました。

核家族が増えている中で、とても楽しく、得るものが多いのだろうなと感じました。
私も昔行った道場の合宿を思い出しました。

こういったイベントには、たくさんの関係者も来ます。
いつも体のケアをさせてもらっているチームのYUJI君とばったり。

明日はYUJI君のチームが出るイベントにサポートで行く予定でした。
立ち話をしていると、数日前に膝を痛めたとの事。

彼は以前、前十字靭帯の手術もしていたので、発表会の後半を観ていた際も気になってしまいました。
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イベント終了後、SHIDO君に差し入れを渡し、YUJI君の膝をフロアーの隅っこに座らせて、どの程度傷んでいるか検査しました。

幸い軽傷であったので、その場でテーピングの貼り方を指導。
この後、明日の為の練習をすると言うので、一旦自宅に帰り急いで食事をとって練習場所のスポーツセンターに向かいました。

練習前にYUJI君の膝にテーピングを施し、軽く動くだけにと言ってしばし見学。
チームの他の子も練習に励んでいました。

そうこうすると内に、YUJI君から
「木田さんもウインドミル練習しませんか。」
と声をかけられました。

と言うのも、40歳までにウインドミルできたらいいな!と周りのダンサーの子たちに言っていたのです(もうすでに40ですが)。

それではと、やってみる事に。

高校の頃は器械体操もやっていたので、アクロバット的な動きも苦手ではありません。
背中で床の上を回りながら両脚を振り回す、ブレイクダンスの代表的な技です。

YUJI君に教えてもらいながら、ほとんどできそうなので、後はやるだけとの事。
それでもなかなか難しい。

筋力もかなり使うので、違う技の練習に挑戦。
「1990」と言う片手で逆立ちしながら、回転する技を教えてもらいました。

YUJI君のアドバイスを聞きながら、体操経験もあり逆立ちは今も少しはできるので、ウインドミルよりもこちらの方ができ具合が良かったです。

もう少しでくるっと1回転できるところまで持って行けました。

アクロバットを練習していた子を見ていて、自分も久しぶりにバック転をやってみたくなりました。

最後にやったのはいつだったか、30代半ばに成田のゆめ牧場に家族で遊びに行った時に、娘の前でやったのが最後だったか・・・・。

気合いを入れて、マットの上でやってみましたが、低空飛行で顔を着きそうになってしまいました。

それでも真っ直ぐに回れたので、後は感覚を取り戻すだけだなぁと思っていたところに、またもやYUJI君から
「ロンダードからはどうですか。」
との一言。

ロンダード(側転4分の1捻り)で勢いをつけてからバック転をする。
まずはロンダードのみの練習。

助走をつけ、ロンダードをする。

ロンダードで着地した後、軽快に跳ねあがらなくてはいけないのですが、それが逆に着地時の衝撃を受けた瞬間に、足首も膝も股関節も“抜いて”しまい、衝撃を吸収してしまうのです。

だから、跳ねあがらない。
何度やっても。

激しい着地のはずが、地面に吸い込まれる様な感触。
到底、反動を利用したバック転につなげるはずもありません。
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そんな事を感じていた時に、YUJI君から先輩のダンサーが最近、古武術の本をよく読んでおり、「膝の抜き」を研究しているとの話を聞きました。

なんともタイムリーな話でした。
その先輩と言う方は、ビバップと言う50’Sのカルチャーのダンスを主にしておられ、ジャズの音楽に合わせ、軽快なステップで踊るダンスです。

ステッキを持ち、ハットをかぶり、粋なスーツでタップダンスにも似た動きやアクロバット的な動きもあります。

やはり軽快で素早い足の動きを求めるには、膝の抜きは有効かと思います。

YUJI君は以前、うちに治療に来た際に、柳川宗家の話やビデオを見せた事があるので、武術的動きに予備知識がありましたので、話もはずみます。

そこで、以前B-FIELD代表の山下さんと御一緒していた剣術と居合、柔術の道場で学んだ柔の受け身を数種類、やってみせました。

跳ねあがる動きと、そのまま落下するだけの動きの違いをとても興味深く見てくれました。

動きの出だしの速さが特に気になった様です。

しかし、自分の体が床の反動を利用する動きが、ここまでできないとは思ってもみませんでした。

やはり長くやっていると、それ相応の動き方に変化していくのですね。

また、ブレイクダンスの技を少し練習した事で、上半身が思った以上に弱過ぎるなぁと感じ、「逆立ち歩き」くらいは日頃の鍛錬に取り入れた方がいいなと思いました。

40までに成功させたかった「ウインドミル」。

「1990」と共に、40歳中に(41になる前に)いくらかできる様にしたいと思っています。

アドリブ

アドリブ。

即興。

ダンスも武道も伝統医学も、常にその瞬間瞬間のアドリブが最終目標です。

昨日も業務終了後、ダンスイベントの救急医療班として参加してまいりました。

渋谷のRUIDO K2と言うライブハウスで行われました。
今回も23時スタート、終了が午前5時を回っておりましたので、帰りの電車ではすっかり意識が飛んでしまいました。

地元でよく練習場でみているダンサーの子たちや、治療院に来てくれている子たちが主催でもあり、アットホームな感じで楽しめましたが、激しいブレイクダンスのバトルイベントなので、最後まで気が抜けませんでした。

勝敗は11人の経験豊かな他のダンサーが、多数決により決めると言うもの。
皆それぞれ個性のあるダンスを見せてくれ、おおいに盛り上がりました。
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武道と違い、他者が勝敗を決めると言う競技は、また別の厳しさであると思います。
自分で勝ったと思っていても、評価が僅差で負けたと言う事もあるでしょう。

よく顔を合わすダンサーのツジ君と話した事で、武道とも通じる問題点があるのでは、と感じました。

ツジ君は私の大好きなダンサーの1人で、いつも予想を超えたアドリブで、多くの歓声を上げさせる数少ないダンサーです。

それも曲にぴったりと合わせ、またそのスキルも高いものでキメてきます。

その事を彼に話すと、やはり表現力を大切にしているとの事ですが、常に即興なので不完全になる事が課題であるらしいのです。
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ダンスは曲と同調し、その上で自分と言うものを如何に表現するかである事と思います。

また、バトルであれば、その駆け引き、どう返していくかと言うのもあるでしょう。
武道に通じる部分もあるとは思いますが、勝負と言う意味では武道の方がシンプルかもしれません。

人に決められる事ではなく、自ずと勝敗ははっきりします。
この差は何だろう、ダンスではもっと勝敗を確実にするものはないのだろうか、と考えてしまいました。

ジャッジなど他人が決める勝敗は別としても、自分が完全に納得できる動きをその瞬間で出していく事に不可欠な要素は・・・・・。

自分一人で踊る踊りは、パートナーと体が接触しているダンスと違い、何と合わせていくのか。

音に合わすのは勿論だが、自分というものと同調する、その時の自分の力にも逆らわない事が必要なのではないか。

武道でも相手の力に無理に逆らわない事は大原則だが、その前に自分の力にも逆らわない心身を養わなければいけないのではないか。

日本や中国などの東洋の伝統武術は、自分と言うものとしっかり向き合うシステムを持っていると思います。

その為の手段が、その流儀にある基本動作や型であると思うのです。
それは自然の力学を充分に活用し、自分を自由に解放していく為のものであると思います。

しかし、自然の力や本来の自分、個性を出す為のものを伝えるのは人です。
手にしてしまえば充分理解できるのでしょうが、それに行きつくには人の教えや言葉を頼りに進んでいかねばなりません。

基本の意味を知るのは難しいです。
やはりその為の思考も動きも、それ相応の時間をつぎ込まなければならないと思います。

私も自分なりにそうしているつもりでありますが、それに加え必要なのは“自分の力に逆らわない”と言う事も大切だと再認識した次第です。

それは身体の力だけでなく、自分の精神の本来の力をそのまま自然に出す事でもあります。
精神面の問題は大変難しいです。

様々な経験で人間的に鍛錬する事と同時に、ストイック過ぎて自分の力を殺さない様な姿勢も必要であろうと思います。

個性を爆発させるダンスに魅かれるのは、そんなところにあるのかもしれません。

ありがとうございます

しばらく更新できずにおりましたが、その間もたくさんの方にこのブログを訪ねて頂き、本当に感謝しております。

この間、副院長のテコンドー世界大会同行や、治療院に新しいスタッフも増え、シフトの調整や新しい往診の患者さんの対応、また業務以外では夜通し行われるダンスバトルのイベントへ医療班としての参加(もちろん休前日ですが。明日も渋谷でのイベントサポートです)、治療院近隣の町内会大運動会など、日頃の業務が忙しくなっている中でも、たくさんの事がありましたが、以外にも自分自身の武術と医療の研究でもいろいろと得るところがありました。
また追って書いていきたいと思います。

インフルエンザが大変流行っております。

皆様、忙しい中にも休養をとられる様お気を付け下さい。

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