武道空手研究会 ~武術・ダンス・東洋医学~

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足指を捻挫

先週の水曜、右足の親指を捻挫してしまいました。

自室にて、靴下を履いたままカーペットの上で「順突きの連打」を行った際に負傷したのです。

順突きは突く手と同じ側の足を踏み込むので、足の動きが大きくなります。

まるで短距離走のスタートダッシュの様なフィーリングです。

その動作を、室内なのでなるべく床を強く蹴らない様に浮身の操作で、半ば浮いた様な状態で行おうとしたのも原因かもしれませんが、靴下が少し古いものでゆるゆるだったので、カーペットの上でズルッと滑ってしまい、足の指が下に曲がったままで踏み込んでしまったのです。

なんともお粗末な事ですが、もしかしたら危ないかもしれないな・・・とも思っていましたが、それ位でないと必死さに欠けるかとも思い、ついつい実験してしまった次第です。

きちんとコントロールできればどの様な状態でも、うまくはいかずとも怪我をするくらいは回避できると思います。

昨年まつから右の股関節も痛んでおり、治療してよくなり掛けていた事や、シュートボクシングの選手時代、同様の原因で同じ右足の親指を負傷して、反らす角度が左より少なくなっていた事も悪く重なったのだと思います。

いずれにしても、自分の身体能力と判断能力の甘さをまた知りました。
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それでも、得たものもありました。

それは、やはり治療技術です。

通常、急性の外傷、打撲や捻挫、肉離れなどは、はれて内出血があり、熱をもっているものですから、
・圧迫
・固定
・冷却
・安静
などの処置が施されるものです。

しかし、伝統的鍼灸術では、はれて熱をもっているものに対し、熱を用いて熱を発散させると言う手法を用います。

また、もっとも触られたくない痛んでいる局所に対して鍼や灸を行い、早期に治癒に至らしめるのです。

これを自分にやってみた事は以前も何度もありましたが、久しぶりに再確認の機会が訪れました。

やはり、痛めた直後に痛んでいる部位にそういった治療をするのは、ある程度の痛みやうずきを伴います。

しかし、治療直後から楽になるのには、改めて驚かされました。

たまに治療後しばらくはうずくと言う事もありますが、もちろん翌日位にはとても楽になるものです。

こうした治療が自分ですぐにできる有難さ。

今はだいぶ動ける様になりましたが、加速度的な動きは避けております。
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最近の稽古は、ゆっくりした動きで感覚を練る内功的なものと、武術的な素早い反応を主としたもの、この2つをはっきりと分けて行っています。

どちらにもどちらの要素が含まれますが、なるべく自分の意識は明確に分ける様にしています。

内向的なものは、意識の落ち着き、身体の連動、気力が充実してリラックスする様な気功の様な「養生的意識」で行います。

武術的なものは、居着かない様な床を蹴り出さない滑り出す様な始動にて、いつでも如何様にでも変化できる動きを目的としています。

具体的には、意拳の「試力」や太極拳の動きの様に、ゆっくりと歩を進める動作で「三戦」や「セイシャン」、「転掌」などを行います。

これは「居着かぬ足」の様に、両足を浮かせて同時に動かす様なのとは正反対に、片足づつしっかりと体重を乗せて一歩一歩本当にゆっくりと動きます。

脱力して立つ事もままならない初心の頃から、中途半端な身体操作で両足の浮身を実現させようと、「寄足」や「送り足」などの足捌きを行うと、かえって”似て非なるもの”になり実戦ではまったく使えないものになりやすいものです。

全身の無駄な力を抜いて動く為にも、初めは居着いてでも良いから、片足づつしっかりとした重心移動を体感するのは良い事だと思います(私は以前、片足でも”膝の抜き”を行う為に片脚を曲げて帯で結んで稽古したりしました)。

武術的、実戦的動きが主の稽古では、何の技を出すにでも

「後ろ足、後ろの股関節に重心を残しつつ前進する事」

を心掛けて稽古しています。

これはその道では素人の私が、バッティングやアーチェリーなどでも、同じ原理で上手く言った事もある原理です。

その内容については当ブログ内のカテゴリー、「身体操作」の中の
・コンニャク打法    2008、6、2
・アーチェリー初挑戦  2009、9、5
をご覧下さい。

いろいろと煩雑だったものを単純化していく作業が始まった感じがします。

何事も選択肢があると言うのは、集中力を欠く事になります。

必要に迫られ、最小限、最低限これだけ、と言ったものが残っていくのだろうと思います。
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技術の共有

先日、久しぶりに電話で話した先輩との会話の中で、やはり武道空手の技術論に花が咲きました。

先輩は、実戦的なアイデアを活かす為に身体操作を考える様な「実戦派」。

私は、効果的な身体操作を考え、それがどう組手に活かせるかを考える様な「内面派」。


先輩から様々な稽古の指標となり得る事を聞きましたが、やはりそれを自分がそのまま導入するのは難しいので、あくまで自分の方法論、試行錯誤の仕方ですすめるしかありません。


技術の伝承とは「観念的」になり易いものです。

身体の感覚は、個人の感覚でしか理解できないものですから、他人に伝える時も「感覚的な表現」で伝えるしかありません。

私が目指す伝承法は、治療術にも役立てる様な、少しでも多くの人に体感できるものです。


確かに、型の様なある動作を継続する事によって、目的とする動きを体感できるかもしれません。

しかし、それでも師の口伝や、様々な師や兄弟子などの協力がないと難しいものです。

もっともっと体感しやすいものはないか、といつも考えています。


人間一人のアイデアなど高が知れています。

一緒に稽古できる人の稽古法なども聞き、それを自分ならどう発展させられるか、と言う試みを常にしたいと思っています。

組手の技術や、私なら治療技術などでもいいし、何かしらで第三者に体感させられるものであれば、どんどん発表してもらい、皆でそれをまた取り込んでいく。

身体操作が高められそうなものなら何でもよいのです。

技術の共有、経験の共有。

そんな時間が持てる稽古会ができればいいなと思っています。

先輩と

先日、道場で会えなくなっていた先輩と数年ぶりに電話で話す事ができました。

数年間会っていなかった時間や、様々な思いが取り戻せた様な気がします。

先輩は今、海外を拠点に事業をされている様で、この何年かは忙しく、昨年からまた本格的に体を動かし始めたとの事。

語学に堪能で人の輪を広げられる性格の先輩は、仕事でも空手でも精力的に展開していける人です。

海外から電話をかけてきて下さり、2時間近くも話してしまいました。

当時は終電など気にせず稽古しておりましたので、道場や道場近くの先輩の部屋に泊まりながらよく語り明かしておりました。

その頃とまったく同じ様な状態になり、空手談義が止まりませんでした。

数年の間を経ても、仕事も武道も相変わらず活躍中の先輩を肌で感じ、自分も今年は仕事、武道も改めて再始動だ!と思った次第です。

先輩の思考はいつも、

「組手でこうしたらどうなるだろう。その為にはこういう動き方ができないといけない。その為にはこの型が・・・・」

と言う様な、「結果」や「結論」からその方法論を導き出す方式の様です。

私の場合は、今回の先輩の電話で指摘された様に、

「内面的なものから入り、それを組手にどう活かすか。」

と言うスタイルの様です。

それはやはり、自分が外見に似合わずあまり体力が無い事、治療家気質である事などを考えると、当然なのかなと思います。

以前は先輩の後を追い、先輩の理論や稽古法を一生懸命なぞっているだけでしたが、自分の個性と言うものをようやく理解し始めた今は、やはり自分の稽古は他人の真似をしようとしても、所詮うわべだけになる事と思います。

先達の意見を胸に留めながらも、自分の稽古をしっかりやっていかなければなりません。

本当に今年は、様々なものが再び動き出しそうな気がします。

人を正しく見る

自分が携わる武道や治療の世界。

素晴らしい世界であるし、本当に続けてきて良かったと思うし、これからも継続していきたい。

しかし、まれにだがとても残念に思う事がある。

組織、団体の重要な位置にある人が、他流(個人、団体)を公的な場面で否定する様な発言をしてしまう事である。


たとえば。

自分が尊敬している先生や先輩が、

「○○みたいなやつは本物じゃないな。」
とか、
「○○みたいな流派はダメだな。」

と言う発言をしたら、下の者たちはどう思うだろう。


「先生(先輩)がそう言うのだから、あの流派は本物じゃないんだろうな。」

と、経験も実力も備わっていない者がそう思い込んで、先生の真似だけしていれば大丈夫だと、本当の意味での自分の稽古、試行錯誤をしなくなる可能性が高い。

結局は自分を高める事ができなくなる。

また、指導者も自分のコピーを作る事しかできなくなり、本当に弟子個人の可能性を開花させる事はできない。


「尊敬していた先生(先輩)が人前で他者を否定するなんて・・・。」

自分はそう思うと、先生や先輩に対して不信感が生まれ、その教えがどんなに良いものであっても、素直に受け入れる事が難しくなる。


好きか嫌いかは誰にでもある。

むしろあった方がいい。

なければならない。

何かの道に没頭し、向上を求めるなら、理想像が明確でなければならない。
明確であればあるほど、目標実現が具体的になる。


だが個人の好き嫌いは「内」に秘すべきもので、公言する様なものではないと思う。

たまには本当に身近な仲では話す事もあるかもしれない。
でも、それも程ほどにしないと、自分の目を曇らせる事になる。


大勢の前で、また、公にさらされる様な場面で、他者、他の流儀、他の組織を否定する様な言動は、決してしてはならないと思うのである。

人は他者から否定されるのが最も嫌な事ではないかと思う。
人は人から認められたいと言う欲求があるものだ。

人は自分の存在を認めてもらいたい、人から愛されたいと言う欲求は、生まれた時から持っているものだろう。

また、外に向けて何かを発信している人たちは、それだけで批判の的にもなり得るというリスクを背負っている。

そういう姿勢だけでも、すごいと思うし、その努力と実行力は尊敬すべきだ。

その人の全てを見た訳ではないのに否定してしまう事は、その人を正しく見ていない事になる。

好きか嫌いかは別として。

他人を正しく見られない者は、自分も他人から正しく見てもらえない事になる。


「好き嫌いはあるにしても、他の存在を否定しない。」


どんな事があっても、自分はこれだけはプライドとして持っていたい。



特に武道や格闘技などでは、他者や他団体を批判したいのなら、一定のルールが決まった「試合」などで試すしかない。

武道、武術が戦争の道具であった時代ではないのだから、命を懸けた勝負などできるはずもないのだから、ルールのある試合以外で本当の優劣など測れるはずもない。

そうした実験、試合などもせずに他流を批評すべきではないだろう。

治療の世界でも似た様な事が言える。

試合をしないとしても、慢心したら自滅と覚悟しなければならない。

結局は何事も

「自分がやりたいスタイル」

でやるしかないのである。

情報がこれだけあふれる時代であり、その優劣を本当に測る事ができないのなら、みなそれぞれが好きなスタイルを選んで、それに精進すれば良いだけである。

評価は自分がするものではなく、他者がすべきものである。

しかし、

「これでいい!」

と言う漠然とした考えが浮かぶ時がある。

評価は他者がするものではあるが、どうしてもやりたいと言う気持ち、それは
「正しい」
と思うのだ。

本当に無欲に、強く求める時、感性が働く。

そうした時は「客観的」ではなく「主観的」に見た方が正しいものだと思うのである。

強い想いには「信念」がこもる。

これをやる!と言う強い気持ちが伴わなければ、優れたものに触れてもその効果を充分に得られる事はできないだろう。

簡単に言ったら真剣さと言う事か。

やる事が多過ぎると、いつの間にか「信念」をどこかに忘れてきた様な想いになる事もある。

そんな時はひどい。

疲れは溜まるだけ、感じるのは忙しさだけ。

そうすると、毎日が嫌になってくる。

嫌な毎日ほど嫌なものはない。

去年はそんな時もあった。

今年は無駄をそぎ落とし、信念を持って、遅くとも確実な歩みで進んでいこうと思う。

正月は…

ただ今、近所のファミリーレストランで、年末に秋葉原で購入した小さいノートパソコン(なんか呼び名がありましたよね)で、いろいろと書き物をしております。


今年の稽古会の内容や流れ、技術紹介の動画の構想、他の治療院との合同勉強会の為の資料作り、去年治療で気になった症例など、同時にあっちこっち思いつくままに書いております。

武道も東洋医学も、自分にとっては同じ輪の中にある様なもので、常にかぶり合うんです。


元旦の夜から奥さんと娘を実家に帰しているので、一人気楽に過ごしています。

しかし、近所のファミリーレストランでは、自分が知らない(覚えてない)近所の方々に目撃されているらしいので、みっともない姿を見せない様に気を付けなければなりません。

「昨日の夜、ももちゃん(うちの娘)パパいたよ!」

と、ママ友から妻にメールがいったりするのです。


昔から大勢で悪さしても、私だけは分かる。

「木田がいた!」

と人目に付きやすいらしいので注意しなければ。

今は深夜なので、人も少なく、どうやら周りには知り合いらしき雰囲気の人はいなそうです。


ゆっくり、自分の中のものを形にしていく。
落ち着いた、気分の良い時間です。

年末に地元の友人らと忘年会をして、久し振りに会えた人たちと楽しみました。


たまに書き物の手を休めて、一人で静かに周りの人たちの事を考えるのも、気分がよく、ゆっくりと静かに充実していく様な気がします。


人は離れた時にこそ、いろんな事を思い出せます。

昨年も充実してましたが、こんな時間が少なかった様に思います。

まだ娘も小2だし、奥さんの方が気が休まる事がより少ないでしょう。

40代に入り、疲れがたまりがちな世代。

お互いに一人の時間が取れる様、やりくりしていきたいと思います。

今年の目標、方針が見えてきました。

確実に進むのは絶対ですが、ゆっくり、少しずつと言う事を守っていきたいと思います。

あけましておめでとうございます

昨年は私の拙いブログを訪ねて頂き、ありがとうございました。

本年もどうぞよろしくお願いします。


昨年の年越しは寒中に庭の巻藁突きに熱中して冷えたのと、仕事の疲れからかぎっくり腰になってしまい、寝正月を過ごしました。


今回の年越しは、稽古会準備の為の内容などを細かくまとめておりました。


身体の操作を細かく考えるものですから、知らない内に治療についてのまとめ作業に移っていたりします。


今までより更に集中し、フラットで開かれた場を作っていければいいなと思っています。
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