武道空手研究会 ~武術・ダンス・東洋医学~

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暖かくなってきました

何かと用事の多かった2月ももう終わりですが、来月もまだ休日の仕事が続きそうです。

明日の日曜と、来週の日曜と2週続けてダンスバトルイベントの救急医療スタッフとして参加します。

祝日の22日(月)にはサポートさせてもらっているテコンドーの全日本大会にも帯同します。

男子女子ともに全日本のトップクラスの選手が当院に来てくれています。
大きな大会前なので、最終調整に皆余念がありません。

春先は何かと新しい事が多いものです。

3月は、鍼灸やあんま指圧マッサージ師などの国家試験があり、新資格者がたくさん出るので、他の治療院と合同で新スタッフの募集と研修などの予定があります。

たくさんの他の治療院との懇親会をかねた運営意見交換会なども定期的に行っており、私の様な趣味人にとっては、甘くないなと思わされる日々です。

最近、坐骨神経痛の患者さんが非常に多いです。

20代からお年寄りまで、本当に驚いています。

今年は例年よりも冷えたのでしょうか。
足腰の痛みや痺れなどは冷えが最も悪いものです。

暖かくなり始めたとは言え、”伊達の薄着”でお体を冷やさぬ様、皆様ご自愛下さいませ。
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目的と方向性

武道をはじめ、様々な身体操作の文化に触れた人は、自分の変化と成長の”ものさし”として、それらを活用しているのでしょうね。

自身の変化や成長は数値化できる様なものではないですから、何かの目安が欲しいものです。

その動機が、強くなりたいだとか、人体に興味があるとか、治療技術に役立てたいとか、人それぞれ違うだけの事でしょう。

皆さんから頂く御意見の、「会の方向性」についてですが、上記の様な個人の動機により、目的も違うので、自分の技術が向上しているかどうかの確認をしているか、またその方法はどの様にしているか、と言う事だけがあれば良いと思います。

目的とその評価の作業があれば、どの様な取り組み方でも、その方にとっては有益なものと成り得るはずです。

私も身体操作をこつこつと掘り下げるのも好きですし、実戦的な試行も好きですので、その両面からの楽しみがある様です。

私の会に参加して、個性がつぶされる様なら良い事はないでしょう。

しかし、私自身も過去に経験しましたが、どんなに一方的で、キツい稽古でも、目的からそれていないと感じれば、それは充実感にあふれたものになります。

一見、無意味の様に思えても、

「今の自分にはこれが必要なんだ!」

との確信と強い思いがあれば、それは後々決して無駄にはなっていないと分かるものです。

”何かに熱中する”と言う事と”個人の幸せ”は同義であると思うのです。

いずれにしても、個人の幸せがなくてはならないと思っています。

休日の朝

寒いですが天気は良く、日当たりの良い三階の治療室で一人でいろいろと考えを巡らす時間は、とても気持ちが良いものです。

大好きなソウルのスローな曲を聴きながらゆっくりとした時間を過ごしています。

しかし、最近は本当に風の強い日が続いていますね。

屋外(特に夜間)でのストリートダンサーたちのトレーナー活動もしばらく控えさせて頂いていますが、彼らは頑張って続けているようです。

スタジオ等で練習できる時もある様ですが、もう少し開放できる場所があれば彼らの怪我や故障も減るだろうに、と思います。

今月下旬の週末は、久しぶりにダンスバトルイベントへの参加を依頼されたので楽しみにしています。

また若い人たちの中に白衣のおっさん一人、おそらくその場ではまた最高齢者となるでしょう。

これとは逆に、昨年末にいくつかお誘いを受け行ってきたディスコイベントなどでは、私はかなり若い部類に入ります。

40代後半から60、中には70代の方までがソウルステップを楽しんでおられました。
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スポーツ競技的な格闘技をしてきた10代から20代。

20代後半から伝統的な武道の体の使い方を求めて13年が経過しました。

最初の数年はまったく何もつかめず歯噛みばかりしておりましたが、少ずつ慣れて体の基準となる感覚をつかんできました。

そして二つの道場を掛け持ち、実際に組手などで試してみた際、よく動ける時と動けない時、相手に当てられてしまう時と思い通りに捌ける時などが、何が悪くて何が足りなくてそうなったのかが明確に判断できる様になりました。

何か失敗をする度に、

「これが足らない。今からはこれが課題だ。」

などとすぐに次の稽古方針が固まるのはとても楽な事です。

もちろん、それができる様になる試行錯誤自体はなかなか難儀ではありますが。

でもそのおかげでか、その二つの道場だけでの事ではありますが、組手で危険な目にあう事もなく、大きな怪我もなく、師や尊敬していた一人の先輩以外は、顔面を打たれる事などもありませんでした。

もちろん、他の道場などに行ったら分からなかった事でありましょうし、今のままではやられてしまうと言う危機意識は持ち続けています。

「自分を守れる事」

をまずは求めないといけません。
自分一人を守るのも大変な事です。
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そんな恩恵のあった伝統的武道の体作りですが、ある意味それで失ったものも大きかったと改めて思います。

あくまで自分の場合の事ではありますが、

「効率よく動かす」

と言う事は、

「楽に動ける」

と言う事になりますので、退化するものも多いと思うのです。

普通に生活するだけで、鍛えられていた昔の時代とは違いますから、現代で伝統武術を学ぶには、その辺に注意しなければならないと思うのです。

その為に自分は、過去の古傷が痛みやすくなったり、基礎的な体力の不十分さを疲れやすくなった日常の中から感じてきました。

ここ数年はそういったものをどうやって取り戻していこうか、と試行錯誤される毎日が続いております。

しかし、何年もかけて得たものの裏にある”失われたもの”は、それもまた何年もかけて取り戻されるものなのかなとも思うのです。

調子が上がってきたなと思えば、また落とされる。

急な痛みに襲われたり、疲れが抜けない日々が続きます。

楽に動かせる、効率的に使える程に加速度も増し、その衝撃に自分の体が耐えられない。

そしてまた、病人、怪我人を再起させる様な、養生的な日々が続くと言う事が繰り返されていますが、少しずつその落差が減ってきている様に感じています。

ですから昔から武術と養生法はセットなのだと思います。

少年期から直接打撃制の格闘競技をやっていたダメージは体にしっかりと残っているのだなと思わざるを得ません。

フルコンタクト空手、グローブ空手、シュートボクシングとやってきた中で、本当にいろんな怪我を体験しました。

特にアルバイトを二つ掛け持ちしながらやっていたシュートボクシングは、楽しくも本当に疲れた毎日でした。

私的な感情もなく、ただ競技として人と戦うのが嫌になり、たったプロ2戦で辞めてしまった私が言うのはおかしいですが、昨年、魔裟斗選手が引退した時に

「もう戦わなくていいんだ。」

としみじみ語っていたのに、とても共感できました。

やはり人と戦うのはいろんな意味で気力がいるし、理由もいる。

若くて力が有り余っている時期はそんな事は考えません。

めっぽう強かった選手が、ある時めちゃくちゃな負け方をしてから負けが続き、限界を感じてしまうなどと言う事もよくあります。

やはり人は戦い続ける事に、肉体的、精神的、そして技術的にも限界を感じるてくるのだろうと思います。
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それでも戦うと言う事に自分の発展と成長を見出す者は、必ずまた戦う場に戻ってきてしまうのです。

ある者は指導者として、ある者はまた選手として。

私の場合、伝統的な武道に出会えた事で、戦うと言う事に求めるものを全て満たされた様に思います。

それは年齢により衰える体力だけではない「技」を一生追求していける事、それが自分の中に蓄積し続けていく事。

それらの上達により、自分自身が発展、成長していける事を確認できる。

選手ではないが、現役の実践者として、また時には指導者として、そして仕事である治療などにも大いに役立てる事ができる。

しかし、上に記した様に、追い求めたものの代償として失ったものを取り戻していく作業がありますので、まだ自分の中で最低限の形にまでなっておりません。

安定を求めてはいけませんが、ある程度の自分自身の基礎固めはしなくてはなりません。
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今日はこれから水道の蛇口の交換をし、買い物の手伝いなどをしてから、自分の勉強や稽古をする予定です。

今月は治療院の改装や、海外からの知人が私の自宅に滞在したり、そしてダンスバトルイベントなどと、休日も含め予定が目白押しです。

稽古会などもなるべく早めに行いたいと思いますが、3月以降になってしまいそうです。

私が目指す会は、まずは

「オープンである事」

を目指したいと思います。

皆、やりたい事は同じでも、その目的や方向性は違うものです。


昔とは違う現代においては、その様な多様性を認めなければ、流儀や組織などは滅んでしまうと思うのです。

また忙しく、許される時間に制約のある現代ですから、皆自分のやりたい様にやりたいと思うのです。

現実的に見れば、各人が既に築き上げたものを、できるだけ崩さずに役立てるものを吸収していくというスタイルが良いのではないではないでしょうか。

もちろん、基礎が不足していると思われる場合は、少ない鍛錬法に集中した方が良いとアドバイスする事もあるでしょう。

しかし、ある程度の年令がいった場合、下手に特定の流儀の稽古法を押し付けてしまう事は、その人の進歩を妨げたり、理解するのに遠回りさせてしまう事もあるのではないか、と思うのです。

特に、過去他の流儀をやり込んだ人には、その作用は強く出ると思います。

ある程度の現代的格闘技も経験し、その上で伝統的武道を継続している自分だから理解できる事もあり、それがどなたかにアドバイスできる事もあるのではないか、と思うのです。

それが私のスタイルであり、やらなければならない事であり、その方向性がぶれる事なく、集中して参りたいと思います。

いろいろな人の可能性の手助けとなる様な、開放的な会を作っていきたいと思います。

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